今週の法話

法華宗北海寺住職-二王院観成による仏教用語と法話集です。毎週水曜日に更新いたします。

「最後の戦いに疲れる時がくる」(アインシュタイン)

2005-07-24 22:32:25 | 戦争と平和
 「世界の未来は進むだけ進み、幾度か争いは繰り返さ
れ、最後の戦いに疲れる時がくる。その時、人類は真実
の平和を求め、世界の盟主を仰がなければならない。そ
の世界の盟主は武力や金力ではなく、もっとも古く、最
も尊い家柄でなければならない。それはアジアの高い峰、
日本にもどらなければならない。われわれは神に感謝す
る。日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」。

 これは、大正11年(1922)にアインシュタイン
が初来日したとき、帰りぎわに謎めいた言葉を残してい
ったものである。
 エジプトで23日、またしても大規なテロが発生した。
死者は現在のところ88人以上といわれている。また、
ロンドンでは7日の同時テロに続き、2週間後の21日
再び同時テロが起きたばかりである。
 その内、アインシュタインがいうように、全人類が
「戦いに疲れ果てる」日が遠からずくるだろう。いかに
強力な武力を誇る米英とてテロを完全に防ぐことは不可
能である。
 そんなに殺し合いガ面白いのだろうか?

英テロ犯と宗教的殺人意識

2005-07-17 00:17:52 | 宗教と戦争
 英テロ犯の実像が報じられている。英米メディアが
報じた実行犯として名前が上がった6人は、いずれも
イスラム教徒であるらしい。
 その真実はどうであれ、宗教と殺人意識を論じてみ
よう。まず、キリスト教もイスラム教も、旧約聖書を
根本聖典としている。その旧約聖書の中で、「異教徒
は殺してもよい」、と規定している点に注目しなけれ
ばならない。たとえば、「申命記」には、異教徒は殺
しても何ら罪にはならず、むしろ「神は喜ぶ」と明記
されている。「根絶やしにしてもかまわない」、「容
赦してはならない」などの超過激な言葉が羅列されて
いる。すなわち、これが「聖絶」、「聖断」思想の根
拠となっている。すなわち、「神を信じない者は人間
ではない」、という意味であろう。この「聖絶」思想
は、やがて「聖戦」(ジハード)思想に発展したので
ある。
 このように、創造主としての「神」を信じない者は、
「魂のない物質」としか見ないことを意味するもので
ある。この聖絶思想が具体的に実行されたのが20世
紀に猛威を振るったキリスト教国を主とする植民地政
策である。たとえば、現地人の一人に「走って逃げろ
」、「あとで鉄砲を撃つが、逃げのびられたら解放し
てやる」、というような殺人行為を平気でやったので
ある。まさに、人間を動物扱いしたのである。
 その一方で、旧約聖書には殺人を否定する戒律もあ
る。また、新約聖書にも「隣人を愛せよ」とある。し
かし、これらの教えは、「神」を信じる者同士の中で
の教えである。異教徒は、これらの愛の対象外と規定
されていることを確認しなければならない。
 新約聖書は、キリスト教もイスラム教も根本聖典の
一つとしている。また、ユダヤ教も旧約聖書を根本聖
典としている。このようにキリスト教も、イスラム教
も、ユダヤ教も、「聖絶」思想を説く旧約聖書を根本
聖典としていることを、まず理解する必要がある。
 第二次世界大戦後に「民主主義」を人類は手に入れ
たといわれる現在にあって、人類愛を説く欧米各国や、
多くのイスラム諸国がある。しかし、その一方で、そ
れらの国々の人々は依然として「聖絶」思想を明記し
ている旧約聖書を愛読している点を見逃してはならな
い。
 「不殺生」を第一義とするわれわれ仏教徒から見れ
ば、それらの国々の人々は心底人類愛に目覚めたのだ
ろうか、という疑問をぬぐい去ることができない。
 たとえば、2年前に起きたタイでの殺人事件を思い
出さざるを得ない。道を歩いていた仏教僧侶2人を、
後ろからオートバイに乗って来た2人のイスラム教徒
の青年が刀で殺した事件があった。何の罪もない仏教
僧侶を殺したのである。まさに「聖絶思想」に基づい
た青年の行動であろう。確信犯である。邪悪な教えを
説く宗教は、麻薬どころの話ではない。
 その一方で、同じ旧約聖書を信じているキリスト教
と、イスラム教と、ユダヤ教はなぜ殺し合うのだろう
か、という疑問に突き当たる。これはセクトの問題で
ある。創造主としての「神」に対する信奉形態の違い
によるセクト主義に固執するあまりの抗争である。す
なわち、自派以外の異端を許さないことに起因する。
さらには、同じイスラム教の中でも、派閥抗争に起因
する凄まじい殺し合いが展開されている。
 いずれにしても、現在の戦争やテロの問題は、この
ような精神的なバックポーンがあることを正確に認識
してから論ずべきである。
 おそらく、旧約聖書を根本聖典とする宗教は、自己
矛盾に目覚めて自滅するだろう。すべての有神論の宗
教も自滅の道を歩むであろう。

人類は永遠に殺合いを続けたいのですか?

2005-07-09 09:03:20 | 戦争と平和
 7日、またしてもロンドンでテロが発生した。死者50
人以上、負傷者700人以上と報じられている。政治闘争、
権力闘争、軍事闘争に負けた弱者の反抗方法の一つがテロ
である。一方、強大な軍事力で他国に干渉するのも国際的
な犯罪の一つといえよう。
 テロを起こす側にも反抗の論理がある。それが妥当だと
思うからテロを起こすのであろう。
 一方、何の罪もない人々がテロの対象となる。無辜の人
々や平和を祈念する人々にとって、テロはとうてい容認で
きないことである。しかし、テロはそれらを十分承知の上
での犯行である。
 いずれにしても、他国に干渉する側にも、それに反発す
る側にも、それぞれの理由がある。しかしながら、どちら
の論理も普遍的に妥当な理由は持ち合わせていない。すな
わち、現状の世界体制では永遠に闘争は繰り返されること
になる。
 アジアで最初にノーベル賞の経済部門を受賞したインド
のアマルティア・セン氏は、第二次世界大戦後、世界の人
々が獲得したのは「民主主義」である、といっている。
 その具体的な例として、強大な軍事力をほこる米国であ
っても、一国だけでは他国への武力干渉はできなくなった。
国際世論が許さないからである。すなわち、同盟国を募っ
て武力干渉せざるを得なくなっている。アフガニスタン、
イラクへの干渉がその例である。これは世界の平和にとっ
て喜ばしいことである。
 しかし、日米欧の三極体制による経済的な世界支配は続
いている。われわれ日本人にとっては、豊かな生活ができ
るので満足な社会といえよう。だが、世界的な矛盾性、貧
富の格差による社会悪の増大は広がる一方である。それら
がテロの一因になっているのも事実である。
 今回のロンドンのテロばかりでなく、今後も世界各地で
テロが続発する可能性がある。国家権力でそれらを防ぐに
も限界がある。
 いずれにしても、テロや戦争などの表面的な問題に目を
取られて、根本原因を解明する努力を人類は怠っている。
マスコミや有名な評論家も怠けている。一部は、故意に民
意をリードして人々の目を曇らせているかのような人物も
見受けられる。正邪の判断力を世界の人々は養うべきであ
る。このままでは、テロや戦争などを続けざるを得ないこ
とを容認し、それを甘受しなければならないだろう。
 ブッダはいっている。全世界から国境をなくせ、貨幣経
済を捨てよ、と。
 いずれにしても、人類の未来を決めるのは、人類自身で
ある。

平和天皇に学ぼう

2005-07-02 22:10:41 | 戦争と平和
 天皇は6月27日、サイパンを訪れた。先の大戦で
犠牲となった人々を慰霊するためである。天皇は、日
本政府が建立した「中部太平洋戦没者の碑」、多くの
日本人が身を投げた「バンザイクリフ」と「スーサイ
ドクリフ」、沖縄出身者の犠牲者ために琉球政府が建
立した「おまなわの塔」、朝鮮半島出身者の軍人、軍
属1106人の犠牲者のために建立された「韓国平和
記念塔」、サイパン島とテニアン島で戦死した米兵約
5000人を追悼する「第二次世界大戦慰霊碑」、「
アメリカ慰霊公園」、現地の約4分の1のチャモロ人
約900人が犠牲となった追悼のための「マリアナ記
念碑」などを慰霊した。
 この天皇の慰霊行為は人類愛に根ざしたものである。
日本人の犠牲者だけの慰霊でなく、敵味方、国籍を問
わない慰霊行為は真に平和を祈念しているからこそ出
来ることである。時には、雨の中で傘もささずに花を
手向けた報じられている。われわれ日本人ばかりでな
く、現地人にも感銘を与えたはずである。
 天皇は羽田空港を出発する際の挨拶で、「先の大戦
によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩
んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと
思います」と述べている。まさに言行一致の極みとい
えよう。
 日本の政治家や文部官僚は、心して天皇の平和への
情熱を感じ取るべきである。これまで、先の大戦を「
悪」とも思わず、「国歌」、「君が代」ばかりを国民
に押しつけ、天皇の名のもとに軍国主義よ再び、と夢
想してきたのである。その一環としての靖国参拝であ
る。いわば、平和天皇の真意を冒涜してきたのである。
平和天皇を守る声をもっと大きくする必要がある。