今週の法話

法華宗北海寺住職-二王院観成による仏教用語と法話集です。毎週水曜日に更新いたします。

韓国は日本の天皇制を正しく理解して!

2019-02-20 13:04:49 | 幸福の追求

  韓国の国会議長の文喜相(カン ヒ サン)氏のワシントンでの発言が問題化している。

文議長は日本の天皇制を一部誤解しているのではなかろうか。大戦後日本の憲法が変

わり、天皇は国家元首ではなく、「象徴」となった。政治的な活動は一切しないことになっ

のである。また、天皇家が持っていた土地や財産などはすべて国のものとなり、同時

にすべての政治的な権力もなくなったのである。

 戦前の天皇は国家元首であった。これは明治になってからのことである。武士の幕藩政

治から明治になって天皇は元首になったのである。当時は米国やイギリス等の欧米諸国

は日本を属国にできないかと画策していた時代でもあった。これに対抗する方策は富国強

兵しかないという国策が明治、大正、昭和にわたり強力に推進された。

 その結果、韓国や中国などアジアの近隣諸国に大変なご迷惑をかけることになったので

ある。同時に日本人も約330万人が犠牲となった。昭和天皇は死ぬまで自国や他国の区

別なくすべての犠牲者の慰霊を常に心を悼められていたのである。その後の平成になって

から現天皇は慰霊の旅に中国に行った時、深甚の遺憾と慰霊の意を表明した。しかし

がら韓国に行く機会を失ったのは心残りなのかもしれない。他国に行くのもいかないの

政府が決めることで天皇単独の判断で決めることはできないのが実情である。

 また、昭和天皇時代でさえ天皇は形式的な存在で、当時の政府や軍人などの意思です

てが決められていた。米国との開戦の時も同じようなものだったと云われている。元首という

のは形式上だけのものだったと多くの国民は思っているのではなかろうか。

 現在の天皇は台風や地震などの大災害の時、慰問に現地に行くのが仕事のようになって

る。天皇・皇后両陛下は足を半分折って被災者と同じ目線でお話するのが今や通例とな

っている。特に皇后陛下は足を折るとき激痛が走るという。このような誠心誠意の見舞い行

為は日本国民の誇りに近いことと目に映る。 政治的な発言を一切しない現天皇は日本国

から絶大な支持と思慕の念に満たされている。現天皇はもう少しで隠棲される。最後に批

されるのは日本国民として納得できないことである。 

 これらの観点から、現在の天皇制を正しくご理解いただきたい。また国同士、政治家同士、

政治上争は大いにすべきであろう、と思っている。しかし隣国同士、仲良くしたいもので

ある。

 


科学たけで善悪の判断はできない!

2019-02-14 14:56:38 | 幸福の追求

 科学は善か悪か、という議論がある。その答えは、科学は善でもなく、悪でもな

いと結論づけられている。すなわち科学そのものは善悪の判断ができないのである。

科学的な文明の利器の一つとしての小さな発電機を例に考えてみよう。排気が十分

場所で適切に使用されれば電気を発電することができて便利である。しかし、密閉

された小さな空間で利用すれば、一酸化炭素中毒で側にいる人が死にいたることも

ある。このように利用次第で善にもなり、悪にもなるのである。また、電気カミソ

リを例にとれば、適切に使えば便利な利器となる。一方、コードを付けたままカミ

ソリを風呂の中に投げ入れれば、入っている人を感電死させる凶器ともなる。この

ように、科学の利器一つをとってみても、善悪の判断をできないのである。自動車

とて同じことである。利用次第で善にもなるし、悪にもなる。このように、科学そ

のものは善でもなく、悪でもない、と云わざるを得ないのである。

 さらに科学そのものは善悪の判断をできない。たとえば「人を殺すのは善か悪か」

という判断を科学そのものはできない。①人食い人種はかっていた。現在はいない

ようである。その社会では、人を殺して食べるのは悪ではない。共食いの一種だった

のである。②旧約聖書などでは「神」を信じない人は「積極的に殺せ」、その方が

「神」は喜ぶと明記している。その殺人は善として許されるという意味である。

③ブッダは、「殺すな、殺させるな」(法句経)と説いている。民族や、他国の人や、

考え方の違う人などは勿論のこと、すべての人を殺してはならない、と説いている。

このように社会学的にも、宗教的にも違いがある。また、戦争は大規模な殺人行為で

ある。見たこともない人同士が殺しあい、個人的な怨みがない同士で殺し合う戦争

は納得できない殺人行為である。しかし、自国を守り、平和を祈念しているのに隣

国が勝手に侵略してくることもある。この場合、侵略された国の軍隊が自国民の生

命、財産を守るために侵略軍の敵兵を殺す場合は許されるとブッダは説いている。

このように人を殺すという殺人や戦争などの善悪を判断するだけでも多種多様の解

釈があるのである。いずれにしても殺人や戦争等を肯定するのも、否定するのも人

間なのである。

 ましてや科学が「殺人」の善悪を判断するすべがないのである。最終的には人間

が判断せざるを得ない。たとえば、ある人が他人の首を刀で斬り落として殺したとし

よう。「首の間を刀が通過して死なせた」、という事実しか科学は説明出来ない。その

殺人行為のどこが善で悪なのかという判断を科学はできない。なぜなら生命の価値観

を斟酌する力を科学はもっていないからである。また、科学そのものは善悪の判断力

は必要ないといえよう。科学を利用する人の問題だからである。原爆や水爆(原爆の

550倍)を造ったのは人間である。一度造れば、各国は競って原水爆を造りたがる。

それを根絶するのは不可能に近くなる。これも造る人間の責任である。

 最近、あるテレビ局で銀河系以外の宇宙には、人間ではなく、ほとんど鉄とプラス

チックでできたサイボーグだらけの星があるはずである、という内容の未来宇宙図が

放映された。とんでもない科学者の説である。サイボーグを造るのは人間であって、

サイボーグがその星の中心となることはあり得ない。そのような星がもしできるとす

れば、恐ろしい結果になるであろう。科学者の妄想以外の何物でもない。人類はそれ

ほど馬鹿ではないはずである。ある話しが伝わっている。米軍が人間のクローンを改

良した人間ロボットを造ったという。ある時、そのロボットに眼前の犬を殺せと命じ

たら、殺すのを嫌がったという。それを見て、このロボットは使えない、と判断して

研究を止めたと云う。人間の命令を拒否するのであれば、反対に人間に襲いかかって

くる可能性を否定できなかったからだと云われている。この話しが本当であるかどう

か推測の域をでない。

 しかし我々の地球はあと4.50億年存在できると云われている。21世紀で地球

が終わるわけではない。地底大都市であれ、その他の方法であれ人類はまだまだ生き

られるはずである。22世紀以降の理想的な人類の生き方を考えておくことを忘れて

はならない。

「殺人」などの価値観は、人間の知性の問題である。さらに窃盗などの価値観など

が集積されて正義という世界観が生まれるのである。そこに人類全体の平和が生まれ

る。科学一辺倒の考え方は危険であることを忘れてはならない。

 いつか人類がこの地球上に再生する日は必ず来るものと信じている。そのためにも

これまでの人類史の検証を欠かすことはできない。新たな平穏な人類史を造るためで

もある。


1地底大都市は何万人単位か?

2019-02-10 17:32:09 | 幸福の追求

  世界人口は70億人(19年9月現在)である。日本の人口は1億2649万

6千人(18年8月現在)、2100年頃には5%になると仮定した場合、632

万4800人となる。

ところで一つの地底大都市は何万人の規模が理想的なのであろうか。また心理的

には一室何人が適当なのであろうか。地底都市では、現在のような家族制度は否定

され、子供は一カ所に集められて、全体で育てられるようになるものと思われる。

すなわち母系家族制になるのではなかろうか。したがって女性は一人一室が必要で

ある。それでは男性は一室何人が適当なのであろうか。慎重に検討する必要がある。

日本を全体的に考えてみよう。632万人として1都市を1万人単位とした場合、

632都市が必要となる。3万人単位とすれば211都市、5万人単位とすれば

127都市、10万人単位とすれば64都市が必要である。

 地上に建設するのであれば簡単なのかも知れない。しかし、地下都市として建設

するのは不可能に近い規模といえよう。もしも上記のいずれも建設できないとすれ

ば、人数制限されることになるだろう。その場合、入れる人と外される人を、誰が、

どう選定するのであろうか。クジ引きとなるのであろうか。

 いずれにしても難問だらけ、と云っても過言ではないだろう。


地底生活はいつまで続く?

2019-02-08 11:23:34 | 幸福の追求

 地底都市生活はいつまで続くのか、という問題がある。産業革命は、蒸気船、蒸気機関車が登場した

約1850年頃からと見ればいいのではなかろうか。人類が大滅亡する時期は2100年頃と推測されるの

ではなかろうか。その頃は、地球の平均気温は4.8度以上になっているものと思われる。産業革命以来

250年たつことになる。その250年を単純加算すると2350年後には大気中の二酸化炭素の濃度や、地

球環境などは産業革命前と同じようになるのではなかろうか。

 ただし、それを困難にする要因も考えられる。①核兵器や化学兵器などを無害になるように処分できる

か。②原発の関連施設などを無害になるように処分できるか。③民間の有害物質を無害になるように処

分できるかという問題がある。これらを無害に処分できなければ、回復時期もその分、遅くなるものと推

測れる。

 恐らく、2100年頃には、汽車の線路や、一般道路、高速道路などは台風被害を受けてずたずたの状態

になって使用不可能状態となるものと推測される。温暖化の影響を過少評価すべきではないと考える。

 地底大都市生活をしている間に、これまでの人類史の検証と同時に、地上に出る場合の理想世界、理想

科学を検討することになるのではなかろうか。

 

 


地底都市構想を理想世界に!

2019-02-03 15:39:54 | 幸福の追求

 仏典には、人類が滅亡する際の状況が説かれている。たとえば、「グルメに浸り、性を怠けるから」と説かれている。理由はともあれ、

男女が結婚をためらう若者が増えている。まさに現実世界の様相と一致する。その時の人は「草衣をまとっている」、すなわち文化、文

明が滅びた後であると解釈できる。今や地球の温暖化による自然の巨大災害はすでに著に着いてといっても過言ではないであろう。それ

が本格化するのは2050年頃だろうと野僧は予測している。

 たとえばシカゴ大学の名誉教授だった藤田哲也氏とアメリカの国立暴風雨予報センターの局長だったアレン・ピアソン氏の両名によっ

て提唱されたのが「藤田スケール」である。別名「藤田・ピアソンスケール」と云われた。それによると100m(秒速)以上になると

「自動車がミサイルのように飛ぶ」、120m以上になると「大型トラックが空から降ってくる」と予測されている。話し半分としても

想像外の被害が出そうである。すなわち、地上の建築物は存続できない、ということになるのではなかろうか。さらに、故西澤潤一氏は、

2080年頃になると地球の大気中の二酸化炭素の濃度が3%になると、人類は窒息死すると予測している。この両論が地底都市構想の

原点となっているのである。

 2050年以降になると、住居を失った人々は上記の両論を信じざるを得なくなるであろう。その結果、世界中の人々は洞窟や、鉱山

の廃鉱や、鉄道などの廃トンネルの中に押しかけるであろう。しかし、それも一時の現象で滅亡だけで終わってしまうであろう。

 したがって、地底都市以外の人類の延命策はないことに気がつくであろう。地底都市の原則は、自給自足である。貨幣経済は自然消滅

となるであろう。拝金主義も自動消滅するだろう。地底都市に住する人々は、自分たちで決めた規則を自主的に守るようになるであろう。

その規則を一人でも破れば、全員の死を意味するからである。

そこでは絶対的な平等社会となるであろう。また、絶対平和の社会となるはずである。そうしなければ地底都市自体が存続できないか

らである。たとえば衣服にしても、同じ種類のドレスは色や形体は少種類の中から誰もが選ばざるを得ない。特権は何一つないはずであ

る。また食事も同じようなものとなるだろう。たとえ地底都市の首長となっても、特別待遇はないはずである。もしも何らかの特権があ

れば地底都市は崩壊するからである。

 さらに家族の形態も大きく見直されるであろう。これまで家族の思考は、他の家族より仲良く、豊に、幸せに、自分の子供だけは他人

よりも恵まれた状態にしたいという欲望があった。しかし、それはエゴであって、社会全体の幸せの部分が欠落したものだった。地底都

市では、子供は自他の区別のない全体の宝という観念となるのではなかろうか。すなわち、自分の子供という観念がない社会となるのか

も知れない。たとえば、子供は生まれ時点から一カ所に集められ、成人になるまで全体で育てるのである。その際、母親は自分の子に母

乳を与える権利は保障されるはずである。また、いつでも自分の子とあって可愛がるのも自由である。しかし、一人の子だけ特権が与え

られることはないはずである。すなわち地底都市では、母系社会となるであろう。父親の名前は知らなくても良いのではなかろうか。地

底都市の子供は全員、自分の子供だと思ったほうが円満な社会となるのかも知れない。また、男女とも性欲がある。基本的にはフリーセ

ックスの社会となるのかも知れない。普段は避妊用具を使えば良い。女性が妊娠したいと思った時には何も使う必要がないであろう。そ

の判断は女性の特権として委ねられてしかるべきであろう。いずれにしても、女性の思考が尊重されるべきであろう。

 まだ概念の段階ではあるが、人類は地底都市で生き延び、温暖化や大気が浄化するまで存続させる必要がある。それが何十年後になる

のか、何百年後になるのか野僧は知らない。少なくとも、宇宙移住よりも早く、地上で生存出来るようになるであろう。たとえ何千人乗

りの宇宙船で出かけても、隕石一つで全滅する可能性が髙い。脚下照顧という仏教用語がある。地に足をつけた思考が大切だと考える。

 今後、断片的になると思うが、野僧の地底大都市構想に関する事項を掲載したいと思っている。