今週の法話

法華宗北海寺住職-二王院観成による仏教用語と法話集です。毎週水曜日に更新いたします。

150の「新霊場」はまやかしだ!

2008-09-22 01:31:13 | 宗教
 関西地区の4府県の寺院と神社の150ヶ所を
新霊場と指定し、観光客や巡礼者を呼び込もうと
するイベントが9月19日開かれた。伊勢神宮を
スタートとし、比叡山延暦寺までにいたる150
ヶ所の寺院と神社を新霊場に指定するものであ
る。昔の伊勢参りを模したものだという。その裏
にはホテル業界も関わっていると報じられている。
 結論を簡単に野僧なりに云えば、大変なまやか
しである。
①仏教徒としての自覚がない。テレビニュース
を見て驚いた。まずバスで本装した大勢の僧侶が
降りてきた。次に仏教僧侶と神官が並ん伊勢神宮
に向かって歩く姿が映し出された。そして帰り際
であろうか、延暦寺の管主と思われる僧侶がイン
タビューに答えた発言に驚いた。「荘厳な伊勢神
宮に参拝できて感激している」というような意味
の発言をした。社交辞令的な意味合いがあるのか
も知れないが、一宗を代表する最高位の僧侶とし
ての威厳と格式、さらにはプライドを脱ぎ捨てた
お粗末なコメントだった。そのコメントは一般人
のするものである。何の宗教であれ、何の宗派で
あれ自分の属する宗教宗派が世界中で一番だと思
っているのが普通である。僧侶としての自覚がま
ったくない、といわれてもしょうがないであろう。
開いた口が塞がらない、とはこのことである。
 ②信仰心がない。仏教思想に対する信仰心がな
いから、上記のような発言をするのである。こん
なことを云えば一般人の方は不思議に思うだろう。
「坊さんに信仰心がないなんて、ありえない話だ
」、と。しかし、昔から「坊主の不信心」という
諺があるくらいである。何ら特段不思議な話では
ない。信仰心のない僧侶は日本中いくらでもいる。
「仏教以上の宗教、仏教以上の教えはない」とい
うのが仏教の信仰心である。
 ③太平洋戦争に対する反省がない。仏教界は先
の戦争で政府に協力的だった。この点に関しては
仏教界で論議が闘われてきた。しかし、その主流
は否定派の論客による少数派のものが主だった。
多数の僧侶は肯定派で、沈黙派といった状態だっ
たのである。表面的に否定的な発言する宗派や僧
侶がいたとしても、形式的、社会的な体裁を整え
るための本心と異なる欺瞞の表現だったといって
も過言ではない。「殺すな、殺させるな」という
ブッダの教えは日本の仏教界では何ら生かされな
い状態だったのである。日本に仏教僧侶が何十万
人いるかわからないが、「殺すな、殺させるな」
というブッダの言葉を本心から信じている僧侶は
どのくらいいるのか、アンケートをとると分かる
であろう。戦没者の慰霊の供養は仏教寺院でもし
ている。靖国神社に代表される神道の神社に最高
位に近い僧侶達が参拝すること自体、おかしい。
何を考えているのだろうか。「殺すな、殺させる
な」というブッダの教え信じないのであれば、あ
るいは信じたくないと思うのであれば、仏教僧侶
を辞めて神官などになればいい。簡単なことであ
る。ただ、特筆すべきは浄土真宗系列の宗派が日
本における戦後の平和運動に寄与したことは大き
な意味がある。
 ④廃仏毀釈運動を忘れたのか。明治の初期に起
こった廃仏毀釈は神道の神官による画策だったの
である。すなわち明治政府の出した「神仏分離令
」は、「一つの宗教施設の中に仏と神を一緒に祀
ってはいけない」、という趣旨のものだったので
ある。それを神官達は、「仏教寺院をつぶせ」と
いう政府の方針であると悪宣伝したのが廃仏毀釈
運動である。その結果、貴重な仏像や仏教寺院が
焼き討ちされたり、投げ捨てられたりしたのであ
る。それらを思い出せば、今回の霊場指定は何と
も無節操な僧侶の行動である。明治政府の出した
施行令もおかしいが、集団心理による行動も恐ろ
しいものである。
 ⑤商業主義の観光寺院化だ。今回の150に上
る寺院と神社の霊場指定は、単なる志を同じくす
るもの同士の勝手な取り決めで、「ありがた」く
も何ともない。権威もない。そんな所にお参りし
ても何の御利益もない。すなわち、現世利益を求
めて参拝しても、何の利益がないことを知るべき
である。第一、今回の計画はホテルがらみである
ことを見れば一目瞭然である。観光化で人集めが
目的である。ばかげている。かって「日本名僧名
墨展」なるものが開かれたことがある。それを見
ると有名寺院の住職などが主だった。どうやら有
名寺院や歴史ある寺院の住職が名僧だと一般人は
考えているようである。まったく形式論、権威主
義である。何度もいうように、そのような住職だ
からといって名僧とは限らない。信仰心があると
は限らない、社会のオピニオンリーダーとして適
格者であるとは限らないのである。この点につい
てはNHKも同罪である。いずれにしても今回の
霊場指定はまやかしであり、噴飯ものである。

リ-マン破綻は貨幣経済崩壊の序章か?

2008-09-18 02:20:10 | 経済
 米証券4位のリーマン・ブラザーズ社が9月15日
破綻した。負債総額は約64兆円(6130億ドル)
である。米国史上最大の倒産である。勿論、低所得者
向け住宅融資「サブプライムローン」の失敗である。
 約1週間前の7日には、連邦住宅抵当公庫(ファニ
ーメイ)と連邦住宅貸付公社(フレデリック)が発行
した住宅ローン関連の債権と証券は約530兆円(5
兆ドル)にのぼる。両社の経営難から、米政府が2社
を政府管理下に置いて救済することを決定したばかり
である。この2社とリーマン社の証券との関連内容が
報じられていないので断定できないが、三社の負債総
額は594兆円となる。
 また、米証券3位の「メリルリンチ」社は4兆25
00億円の負債を出して、米銀2位のバンク・オブ・
アメリカ社に吸収合併された。さらに米証券5位のベ
ア・スターンズ社は今年の3月、米銀モルガン・チェ
ースに吸収合併された。米5大証券のうち、3社が吸
収合併されたことになる。考えられなかったことが起
きたのである。さらには米シティグループ6兆300
0億円、スイスのUBSが4兆5000億円の損失を
出している。さらに中小の金融機関の損失を総合計す
ると天文学的な数字になるだろう。また、「サブプラ
イムローン」の勝ち組といわれた米証券最大手のゴ-ル
ドマン・サックス社は、70%の減益(6~8月期)となり
強く影響を受けたようである。    
 不思議なのは、各社ともマネーゲームのプロが揃っ
ているはずなのに、なぜこんなに損失をだしたのか、
という理由がわからない。恐らく、米大統領のお墨付
きの「サブプライムローン」で大量の金が世界中から
米国に押し寄せたので、そのムードに酔いしれ、舞い
上がり、冷静な分析をしなかったからであろう。
 日本の金融機関もリーマン社だけでも約4400億
円の債権をかかえ、そのうちの約2000億円は回収
不可能だろうと報じられている。
 これらの損失を聞いただけでも、マネーゲームという
錬金術は通用しなくなったということであろう。言葉を
変えれば、貨幣経済は行き詰まったということであろう。
 一方、日本国内を見れば、賞味期限の切れた食品の販
売、産地の偽装、食べ残しのたらい回しなどが発覚して
いる。そればかりか残留農薬やカビなどに汚染された事
故米を食品用として販売して巨利を得た企業まで現れた。
恐ろしいことである。貨幣経済は利益追求を目的として
いる以上、このような輩が出ても不思議ではない。しか
し、それらは貨幣経済の末期症状の一つとも見える現象
なのかも知れない。
 それでなくとも、自然災害は年々巨大化しつつある。
すでに現在でも世界各国は自然災害の復旧費用だけでも
国家財政を圧迫するようになってきた。約10年くらい前
であろうか当時の日本の建設大臣は「これ以上自然災害
の復旧費用が大きくなれば、国家予算は大変なことにな
る」と災害地視察の際、テレビで云ったことがある。今
後自然災害が巨大化するのは間違いのないことである。
復旧費用が莫大すぎて、最終的には国家予算を組めなく
なる時がくるのは時間の問題といっても過言ではないと
思われる。また民間も一つの台風で多大な人的損害が゛
出れば生命保険会社は倒産することになる。また、物的
損害も多大なものとなり、農業共済などは運営困難な時
がくるのは間違いないことである。自然界を甘く見てマ
ネーゲームに没頭している間にも自然環境は悪化してい
る。自分の希望的願望にもとずく判断ではなく、科学的
に地球環境を洞察すべきである。特に、マスコミの判断
は甘すぎる。NHKを除いて。
 終身雇用の時代は終わり、派遣社員の時代となった。
しかし、夫婦で派遣社員をしている家庭は、経済的自立
が出来ない時代に入ったのではなかろうか。また、どん
な一流企業に就職しても、いつ倒産するかわからない、
いつリストラされるかわからない、という「不安の時代」
でもある。その不安によるストレスは、毎年3万人以上の
自殺者の大きな原因の一つとなっている。これらの現象
は貨幣経済の崩壊の序章のように見えて仕方がない。
 現在の弱肉強食の世界は闘争の世界である。そうでは
なくて安心して人間らしく暮らせる共存の社会を目指す
べきではなかろうか。しかし、その社会を作る時間はも
う少ししかない。今の地球上からやがて人類がいなくな
るのは確かなことである。しかし、大宇宙のどこかでこ
の地球のような星ができ、人類(宇宙人)が再生するのは
間違いのないことである。その時、ワンランク上の人間
社会ができ、人類が進化するのも間違いのないことであ
る。ブッダの教えに従って希望をもって生きるべきであ
る。