今週の法話

法華宗北海寺住職-二王院観成による仏教用語と法話集です。毎週水曜日に更新いたします。

小沢幹事長は今後の不動産不取得宣言を

2010-02-23 06:04:59 | 政治
 長崎知事選挙で民主、社民、国民新党などが推薦した候補が、
自民、公明両党の支援を受けた中村氏に大敗した。当然といえ
ば当然の結果である。鳩山首相がいうように、「政治とカネが
影響」したのは疑問の余地がない。
 しかし、政治家とカネの問題はこれまでマスコミ報道された
だけでも枚挙にいとまがない。共産党などを除くほとんどの政
党の政治家の名があがっている。鳩山由紀夫首相の母親からの
献金問題にしても、弟の鳩山邦夫代議士も同様に献金を受けて
いる。自民党は鳩山邦夫氏の献金問題も取り上げるべきではな
かろうか。しかし、この両者の献金問題は企業からの賄賂性の
あるものではない、といえよう。
 一方、民主党の小沢幹事長の不動産取得に関する問題にして
も、民主党だけの問題ではない。自民党の政治家などでも企業
の献金や、公共事業などに関する利権がらみの献金問題はこれ
まで表面化されてきているのも事実である。しかし、官憲が立
件できなかったために最終的に起訴にまでいたらなかったとい
うことであろう。「やぶ蛇」という言葉も思い出すべきではな
かろうか。小沢氏は豊富な政治経験から、知っていることをす
べて暴露すれば多数の政治家がヤケドすることになるのではな
かろうか。
 本欄でも何度も指摘しているように、政治家とカネの問題は
今に始まったことではない。今後も政治家とカネが話題になる
のかと思うと不愉快である。小沢幹事長を擁護する気はないが、
この世が金で動いている間は、この種の話題が後を絶つことは
ないだろう。
 小沢氏は、今後、「一切の不動産を取得しない」ことを公言
すべきではなかろうか。野党も対岸の火事のように騒ぐことが
賢明だとは思えない。

秋葉原事件の犯人も極楽往生できるのか?

2010-02-03 16:18:38 | 幸福の追求
 2008年6月、何のとがもない人達を、トラックとダカ-
ナイフで7人も殺害し、10人を負傷させた秋葉原事件の初公
判が1月28日、東京地裁ではじまった。
 裁判はともかくとして、このような殺人鬼も往生するという
親鸞の悪人正機説は変ではなかろうか。これに類する凶悪事件
が際限なく、連綿として起きているのは何が原因なのであろう
か。たしかに社会の矛盾性も原因の一つであろう。一方、何不
自由なく生活し、満足している人達もいる。しかし、娑婆世界
の矛盾と不条理に耐えて大多数の人々は生きているのである。
その中で生きていれば、人を殺したくなる気持ちが出るのも理
解できる。それをブッダは十界互具(じっかいごぐ)と云って
いる。どんな人でも人を殺したいと思う心があり、反対に人に
やさしさを与える仏心もある、という意味である。そこで問題
となるのは、殺人を思いとどめる心、すなわち理性心がある人
と、ない人の差が出る。それが犯罪の根本的な境界でもある。
犯罪を起こすまでに、瞬間的なこともあれば、長時間悩みぬい
た結果であることもある。
 人は誰でも死にたくないと思っている。死は父母兄弟、親族、
友人などに悲しみと苦痛を与える。したがって何の罪とがのな
い人を殺せば当然ながら悪い結果を招く、とブッダは説いてい
る。仏教の第一義は「人を殺すな、殺させるな」という教えで
ある。それは自分の業をより一層汚さないためでもある。自分
の幸せを望むならば、人を殺せば絶対に幸せになれない、とブ
ッダは説いているのである。第一、人を殺して幸せになれるは
ずがない。
 読売新聞(2010年1月15日、朝刊)に「鬱の時代 照
らす光に」が掲載された。その中で「親鸞」の悪人正機説こ関
する論評が掲載されているので紹介しよう。「一際個性を放つ
のは、『黒面法師』だろう。『父母を殺し十悪五逆をつくす彼
は、自分が地獄へ落ちることで法然や親鸞が間違っていると証
明しようとします』。だが親鸞はそれでも悪人こそ救われると
いう『悪人正機説』の思想が鮮明になる」、と紹介されている。
一見、高い宗教的な「悟り」と誤解される表現である。しかし、
その内容は、いかなる悪をも全面的に認めると同時に、その悪
行をした人でも救われる、あるいは極楽往生できるという、と
んでもないものである。ブッダの教えを真正面から否定するも
のである。ブッダの教えとは何の関係もない「悟り」(?)と
云わざるを得ない。馬鹿げている。したがって悪人正機説を説
く親鸞の思想は、仏教とは到底いわれないものである。 なぜ
なら、ブッダの在世に、親鸞と同じような内容を説く一派がい
た。
 「(生き物および人間を)切断しても、苦しめようとも、悲
しませようとも、悩ませようえとも、おののかせようとも、生
命を害しようとも、盗みをなそうとも、他人の家に侵入しよう
とも、・・・このようなことをしても悪を行ったことにはなら
ない。たとえカミソリのような刃のある武器をもって、この地
上の生き物すべてを一つの肉団、一つの肉塊となそうとも、こ
れによって悪の生ずることもなく、また悪の報いのくることも
ない」、とブ-ラナ・カッサバは主張している。このカッサバ
は六師外道の一派で、原始唯物論に根ざした「無道徳論者」で
ある。因果関係をまったく認めない説を主張した。まさに親鸞
の悪人正機説にそっくりではないか。
 ブッダはこれらの外道の主張に同調できず、29才で「善を
求めて出家した」、と述懐している。ブッダの善の第一は、
「殺すな、殺させるな」というものである。このブッタ゜の教
えの根幹を親鸞は否定しているのであるから、仏教とは到底認
められない宗教である。仏教の看板をかけてるいのは、はなは
だ不遜であると云わざるを得ない。
 このような親鸞の思想は、現代人を一層悪くするものといえ
るのではなかろうか。悪人正機説を説かない法然の浄土宗こそ、
仏教本来の説に近いものである。
 凶悪事件で殺害された遺族が、悪人正機説を主張する宗教形
式(宗派)で葬式をだすのも矛盾している。その矛盾に気付か
ないのも、現代人の特徴の一つであろう。人の命を尊重する思
想がこの地上を覆わないかぎり平和や安穏な社会は実現しない
であろう。