今週の月曜日(12日)、午後のあるワイドショーで、アメリカの大統領選で「強姦
された女性の堕胎手術の是非」もからんでいると取り上げられた。問題点は二つ。
「一つは神の意志によって造られ人間であるから妊娠は中絶すべきではない」。今ひと
つは「強姦されたとはいえ、生まれてくる子の生命は尊いものであるから中絶には反
対である」。これに対し「強姦という卑劣な行動によって強姦され妊娠したのであるか
ら中絶するのはやむを得ない」という両論である。そのワイドショーの話し合いでは
「難しい問題である」として解決策は何らしめされなかった。
この難問について私なりに多方面から検討してきた。ここで解決策の一案として記
そう。
まず、人間は神によって造られたというのはキリスト教の考え方である。仏教では、
宇宙の創造主としての「神」という考え方はない。ブッダの生まれた時には「梵天(
ブラーフマン)」という宇宙の創造主を考える思想や宗教があった。しかしブッダはそ
の考え方を否定したのである。「自然法爾(じねんほうに)」という言葉がある。簡単
にいえば「自然とは、そのものとして自らそうなっていることを云う。法爾とは、真
理そのものにのっとって、そのごとくあることを云う。すなわち自然の法則によって
そのごとくあることを云う」。このようにブッダは宇宙の創造主を否定して、敢然と立
ち上げたのが仏教である。したがって、
①神(宇宙の創造主)という考え方は一つの宗教の考え方であって、神を否定する宗
教もあるという事実を認め合うことが重要である。争いの種としてはならない。し
たがって日本のように仏教徒の多い国では、「神」という考え方を除外して結論を出
しているのが現状である。
②「強姦」によって妊娠させられたのは「暴力」という延長線の残酷な結果である。と
どのつまりは「暴力」と「強姦」は密接不可分のことで、「暴力行為」と「強姦罪」
の両者の罪を最も重くすべきだと考える。世界中の刑法を重罰にするべきではなかろ
うか。国連が死刑廃止への道を世界各国に説いたようにである。強姦と暴力は最低10
年以上の厳罰にすれば、この重罪行為は壊滅するのではないかと思われる。それでは重
すぎるというのであれば、強姦するなと説くべきであろう。重罰化は強姦による妊娠の
最大の効果的な方法であるとかんがえる。
③強姦罪の法廷での確認内容が、女性にとって耐えがたいものだと聞いている。簡単
な解決法は強姦したと認められる状況証拠がある場合、または被告人が強姦したのを認
めた場合は、こと細かな審判は省くべきではないかと考える。
政治は、強い人より弱い人を中心に考えるべきではなかろうか。
以 上