今週の法話

法華宗北海寺住職-二王院観成による仏教用語と法話集です。毎週水曜日に更新いたします。

驚きのパラリンピック

2010-03-30 21:02:57 | 人間の本性
 オリンピックの後で開催されたパラリンピックは驚きの
連続だった。特にスキ-の大回転などのスピ-ドの凄さに
は驚かされた。不自由な体を駆使したテクニックと勇気に
感銘したからである。アイスホッケ-、クロスカントリ-
等々、しかりである。これらの素晴らしいアスリ-ト達の
活躍に驚き、驚かされたと云うのは、逆説的には彼らを今
まで正しく認識していなかった、ということであろう。恥
じ入るばかりである。基本的な能力は、健常者も身体障害
者も同等であると感じざるを得なかった。オリンピックの
アスリ-トには企業などの支援はあるが、パラリンピック
のアスリ-ト達には支援体制は貧弱だ、とマスコミは報じ
ている。練習場、遠征費用などの支援、補助などを国はも
っと考えるべきではなかろうか。
 一方、フィギァアスケ-トの採点方法は違和感があった。
最初のショ-トプログラムで浅田真央選手は完ぺきな上に、
女子世界初の3回転半ジャンプを一回成功させた。方や、
完ぺきな演技だったとはいえ3回転半ジャンプを飛ばなか
ったというより、飛べなかった選手の方が高得点だった。
次のフリ-では演技の順番が逆になったが、いかに完ぺき
な演技だったとはいえ、3回転半ジャンプを飛べなかった
選手では考えられないような高得点を得たのは不自然では
なかろうか。その差は、真央選手が最高の演技をしても追
い抜くことのできないほどの不自然な高得点だった。これ
に動揺した真央選手は3回転半ジャンプを2度成功させた
ものの、ミスをしてしまった。たとえミスしなくとも、ラ
イバルを追い抜く得点はもらえなかったであろう。真央選
手に同情せざるを得なかった。これらの結論は、審判員の
大多数は、最初から真央選手を優勝させまいとする意図的
な採点だったと断ぜざるを得ない。不条理な採点である。
今回の理不尽な採点を繰り返さないためには、ロボットに
よる自動採点方式に変えるべではなかろうか。たとえば、
カラオケで自動採点方式をとっている器械もある。精度を
高めれば、ロボットによる採点でできるはずである。概し
て、審査員による採点方式には問題点が多すぎる。スキ-
のモ-グルもそうでるある。上村選手もメダルを取れる滑
りと演技をしたのに、メダルを取れなかった。真央選手と
上村選手に同情せざるを得ない。柔道も同じことである。
タイムによる判定では文句のつけようがない。公正な判断
方法に改善すべきである。不条理な採点方式ではオリンピ
ックそのものが否定されかねない。スポ-ツに不条理は許
されないはずである。

中西衆議院議員の辞職は対岸の火事に非ず

2005-03-16 22:54:40 | 人間の本性
 酒を飲んだ勢いで、若い女性の胸を触ったとして強制
ワイセツで逮捕された中西衆議院議員(40)は、議員
辞職した。政治家としてばかりでなく、一般の人として
も許される行為でないことは分かり切っている。
 しかし、酒を飲んだ上でのことであり、普通の男性な
らば、誰でも陥りやすいことではなかろうか。その意味
からしても、まことにもって同情に耐えない。
 若い中西議員は、前途を嘱望されていただけに残念な
事件だった。何よりも本人自身が痛恨の思いであろう。
 また、大学教授が手鏡で女性のスカートの中をのぞき
見たとして逮捕され、現在裁判中である。
 このように政治家、大学教授といった名誉ある立場に
いる人でも所詮は凡人である。何度もいうように、すべ
ての人間には地獄の心から仏の心にいたる10の心があ
る。当然、色情や金や権力を求めるあまり、人間として
の正当性を見失うことがある。どんな人間でも、男女の
区別なく、その罠にはまりこむ危険性を抱きながら生き
ている。まさに山頂の分水嶺を歩いているようなもので
ある。右から強風が吹けば左の谷底に落ち、左から風が
吹けば右に転落するのと同じである。場合によっては殺
人事件を起こす場合もある。
 ブッダはいっている。
「これらの人々こそ哀れみを与えるべき人(悲器)であ
る」。
 対岸の火事と見ずに、また非難の対象とするのではな
く、自分自身の自戒の契機とすべきではなかろうか。
 中西議員も大学教授も、早く立ち直ってほしい。


 

小1女児誘拐殺人に際して -人間の本性は善か悪か-

2004-11-20 01:32:24 | 人間の本性
 奈良市で小学1年生の有山楓(かえで)さんが誘拐され、殺
害された。何ともやりきれない気持ちである。謹んでご冥福を
祈るのみである。このような弱い立場の人間をねらった悲惨な
事件は繰り返して起きている。犯人は何の目的なのかも現在の
ところ不明である。
 ところで、いつの事件でも犯人の動機などが問題となる。精
神異常や二重人格などが話題となる。しかし、仏教的な見方は
少し違う。誰でも殺人者になる可能性がある。また、仏のよう
な優しい人にもなる可能性がある。この両者の可能性を人間は
本来持っている、とブッダは説いている。
 人間は本来善であるという中国の孟子の性善説、本来悪であ
るという荀子の性悪説がある。しかし、これらの見方は一方的
なものの見方で、両説ともに間違っている。
 仏教では人間の心を10に分類している。(1)地獄。冷酷
で残虐な心。(2)餓鬼。むさぼりの心。食物、金、物質、出
世、名誉、権力などを追い求める心。(3)畜生。動物にたと
えられる心。感情や知性がなく、本能だけで行動する心。(4
)修羅。争いの心。正当な心でなく、自分のエゴカラ出た争い
をする心。(5)人間。人並みの心。あまり悪いこともしない
が、善いこともしない心。(6)天上。財力や名声や権力を握
った人の心。成功者であるが、人を馬鹿にしたり、傲慢になっ
たりして人に嫌われる側面がある。没落する可能性もあり、不
安定なものでもある。(7)声聞。上記の心から一歩抜け出し
た心。金や地位や権力や欲望などの他に、もっと価値があるも
のがあるのではないか、と目覚めた心。(8)縁覚。人に教え
を説こうとせず、自分の救済だけを考える自己満足の人の心。
(9)菩薩。自分のことより、他人を救おうとする心。(10
)仏。人間としてこれ以上ない、という最高の境地に達した心。
仏様の心。
 このうち(1)~(3)の心の人は、善と認めるところがな
いから三悪道という。(4)~(6)は、善なるところが認め
られるから三善道という。(7)~(10)を四聖といい、善
悪の心を超越した人の心の世界をいう。この10の心を「十界
」という。この10の心を、すべての人は持っている。これを
「互具」(ごぐ)という。このことを「十界互具」と言うので
ある。
 この10の心は誰でも持っており、善なる心と悪なる心が出
たり引っ込んだりする。それは一瞬に起こることもあるし、一
日、一ヶ月、一年の内でもぐるぐる回転することもある。した
がって、その時の雰囲気や状態で自分で自分をコントロ-ルで
きない場合もある。すなわち、誰でも殺人者になる可能性があ
る。反対に、誰でも仏様のような心になることもある。
 したがって人間の本性を性善説や性悪説で定義するのは間違
った考え方、一方的なものの見方といわざるを得ない。
 ブッダは、「自分自身で自分を守れ」といってる。今回の犯
人は、自首して人生をやり直してほしい。また、われわれも悪
の誘惑に負けない人間とならなければならない。それが人間とし
ての理性であり、教養でもある。今回の悲惨で残忍な事件を見
て、自分自身の戒めの一助とすべきではなかろうか。