人類は太古から現在にいたるまで戦争を繰り返してきた。人類史のほとんどは
人間の血で書かれた悲惨な戦争の歴史書といっても過言ではない。戦争の原因は
ともかくとして、それぞれの戦後の判断は戦勝国、敗戦国で違っていた。
しかし、第二次世界大戦を契機に、敗戦国であっても公正な判断を世界に示す
ように変わってきた。特に「何が悪かったのか」、という具体的事例をあげて世
界中に示して詫びるように変わったのである。たとえばドイツは、600万人以上
といわれるユダヤ人を殺害したホロコーストを全面的に自己否定し、「二度とし
ませんから」と世界に公言し、今日の繁栄にいたっている。もしも、ドイツが開
き直っていれば、現在のEUは出来なかったであろう。これが「自由と民主主義」
という「世界のレジーム」の流れとなっている。
一方、日本はドイツのような反省や戦争の総括をしてこなかった。いわゆる負
けっぷりが悪かったといえよう。それでも今日のような経済的な発展ができたのは
米国の理解と支持があったからである。その原因の一つとして外交官の杉原千畝氏
の功績によるものといえよう。3000人以上のユダヤ人にビザを発行し、日本経
由で米国に渡航させて命を救ったからである。しかし、日本政府は戦後何の反省も
総括もしなかった。日本政府は杉原氏の行為を否定していたのである。いわば「瓢
箪から駒」で今日の経済的な発展に繫がったといえよう。
さらに日本軍は中国や韓国、さらにはアジア各国で大量殺戮や慰安婦問題などに
真摯な謝罪をしてこなかった。また、戦争を始めたA級戦犯を祀る靖国神社に政府
や政権政党の要人は平気で参拝をしている。これは日本が何の反省もしていない、
と世界中から見られていることを意味している。米国などのキリスト教国と思われ
る国でも、一つの宗教施設を慰霊施設としている国はほとんどない。国立無名墓地
として慰霊しているのが実情である。また、戦争遂行上の精神的なシンボルとして
きた靖国神社は世界的なレジームに反する存在として見えるのであろう。
今日の新聞各紙は、日中友好議員連盟と中国の要人との会合で、高村自民党副総
裁は「政府に召喚された兵士が眠る靖国神社に参拝するのは当然のことで、戦争指
導者に参拝しているわけではない」、と主張した。これは異端の説にも一理あり、
の類で、日本の一方的な解釈にすぎない。これに対し、「戦争を美化するもの」と
いう厳しい中国の反論にたじたじとなったようである。被害国である中国などの痛
み、怨みなどを何ら考えず、自国のエゴだけを主張する日本の態度は世界各国から
さらに批判されるであろう。
安倍首相のいう「世界のレジームからの脱出」ということが、戦争にする無反省、
開き直りの論理を意味するものとすれば、一般日本国民の精神的な脆弱性が世界中か
ら問われることになるだろう。