今週の法話

法華宗北海寺住職-二王院観成による仏教用語と法話集です。毎週水曜日に更新いたします。

北朝鮮の未来を考える

2011-12-28 07:40:22 | 政治
 中国にとって北朝鮮の存廃は死活問題である。もしも、北朝鮮が
韓国に併合されれば、米国の第七艦隊が中国の隣町に横付けされる
ことと同じ意味になる。それは中国にとって許されないことである。
したがって、北朝鮮の民衆が大挙して韓国に亡命たとしても、中国
は北朝鮮を守り、絶対に手放さないであろう。中国にとって北朝鮮
は生命線といえよう。韓国は北朝鮮人の亡命者が押しかけてくるこ
とと、北朝鮮を併合するようにれば、経済的な負担などに耐えられ
るのか、ということを危惧しているようである。しかし、韓国と北
朝鮮が併合されることはありえないだろう。
 また、北朝鮮の新指導者の金正恩(キムジョンウン)氏が28才と若
いのは、中国にとって好都合である。御しやすいからである。逆説
的には、もしも正恩氏が中国に反発すれば、中国は新たな北朝鮮の
指導者を模索し、実現させることになるだろう。
 一方、米国にとって北朝鮮は貴重な存在である。絶えず、世界の
どこかで紛争がなければ困る、というのが軍産複合体の方針だから
である。CIAはそのためにある、と云われている。人民を恐怖政治
で支配する邪悪な国がなければ米国は困るからである。それらの国
の人民を救い、自由を与えるというのが米国の使命だ、という大義
名分が必要だからである。アラブ諸国の独裁国家は凌駕され、残っ
ているのはシリアぐらいなものであろう。シリアの現政権も倒され
るであろう。その意味からしても、北朝鮮のような国の存在は必要
なのである。正義だの自由だのと云っても、国際政治の根本はその
程度のことなのである。
 中国にしても、人権問題が国際的な批判を受けている。しかし、
もっと悪い国がある、という意味で北朝鮮の存在は意味がある。こ
の点で米国と中国の国益は合致する。元々、中国と北朝鮮の関係は
深い。中国はチベツトを侵略するに際して、北朝鮮軍を韓国に侵攻
させて朝鮮戦争を起こさせたのである。世界の耳目をチベットから
反らすためである。そのおかげで中国は堂々とチベット人を虐殺し、
併合することができたのである。朝鮮戦争の際、中国は血を流して
までも北朝鮮を守った、という「血の同盟」という評価は表面的な
ものである。中国はチベット侵攻のために朝鮮戦争で北朝鮮を助け
たふりをしたと云うのが正確な歴史観といえよう。
 今後とも北朝鮮の言動を見れば、中国と米国の真意を推し量る目
安となるであろう。
 いずれにしても、可哀相なのは北朝鮮の人々である。国際政治の
犠牲者といえよう。それらの人々が開放されるのはまだまだ先のこ
とであろう。

科学音痴の原発収束宣言 !

2011-12-20 21:32:50 | 環境
「原発事故は収束」と宣言した現内閣は科学音痴の大臣しかいないのであ
ろうか。馬鹿げている。メルトダウン、メルトスルーという内容を分かって
いるのであろうか。燃料棒の溶けた塊がある限り、高熱を発し、放射性物質
を放射し続けることを知らないのであろうか。ザルに水の状態は以前と大差
ないはずである。こんなことでは諸外国から笑われるだけである。これ以上、
書く気になれない。

COP17と人類の未来

2011-12-15 23:52:57 | 環境劣化と人類延命の智慧
 南アフリカのダーバンで開催された気候変動枠組み条約の第17回締約国会議(COP17)
が終わった。いくつかの合意事項が確認されたが、温暖化阻止の具体策は何一つなかっ
た。「新たな枠組みをづくりを目指す」という抽象的なものでしかない。逆説的には、
逼迫している人類の危機を国際的な世論は何ら感じていないという証拠でもある。最近
の自然現象の過酷な異変を知ってはいるものの、人類の未来が危機に瀕しているという
認識はゼロに近い。人類が滅亡するのは何百年も先だと思っているのであろう。確かに
現在は人類の危機を実感できる段階に達していない。しかし、人類の絶滅感を身近に知
るようになれば、人類の最終段階になっていることを意味する。炭酸ガス等による地球
の環境汚染は悪循環と負の相乗効果で急速に進んでいるのが現状である。2乗・3乗の早
さで環境破壊と環境劣化は進む。
 第一、「温暖化」を、「気候変動」と云って、危険はないかのような言葉で詭弁を弄
していること自体、甘い判断といわれても仕方ないであろう。現実はそんな悠長な地球
劣化の状況ではない。世界中が洪水に襲われるテレビニュースは恒常的な状態となって
いる。日本での竜巻発生はめったになかったのに、人間3人が180mも飛ばされて死亡す
る状態にすでになっている。2050年になる前に、地球の劣化現象が人類を脅かすのは間
違いのないこととなるであろう。人類が滅びる「小の三災」が本格化するのはもはや時
間の問題と云っても過言ではない。

 野僧が「地球成仏」を出版したのは1998年であるが、書き始めたのはその2年前の96年
頃のことである。当時すでに「科学が発達し、人類が今後どんなに対策を練っても人類
絶滅は避けられない」、と強く主張する科学者がいたのを見聞していたのである。「そ
んなことはないだろう。必ず人類が延命する方策があるはずだ」、として反発して書き
はじめたのである。しかし、資料としてワールドウオッチ研究所の「地球白書」などを
読んでいるうちに、かの科学者の主張が正しいことを確信せざるを得なくなってしまっ
た。

 一方、仏典を探しても人類が延命する方法、手段を見つけることはできなかった。逆
に、人類が絶滅するプロセスとメカニズムが説かれているのを発見した。先ず難病、奇
病が発生すると説かれている。その原因は環境悪化と推測される。炭酸ガスや原水爆実
験、さらには原発事故や化学物質等による環境悪化が原因として考えられる。その難病
などは治療して直すことは困難である、とも説かれている。次に穀物などは高温と水不
足のために成熟することができず、さらに飢餓のために人類が早く茎などを食べるよう
になる、と説かれていたのである。最後は、石つぶてや木の棒などの原始的な戦いで、
意味なく殺しあって人類は絶滅すると説かれていたのである。

 この点について、ワールドウオッチ研究所は、設立されてからほどなく、人類は絶滅
することに気がついたものと思われる。それまでは「地球白書」の中で、環境の浄化を
説いていたのである。しかし、企業活動や産軍複合体などによる戦争等の影響で環境汚
染が進み人類絶滅は避けられないことを確信したものと推測される。ほぼそれと同時に
ワールドウオッチ研究所長はレスター・R・ブラウン氏からクリストファー・フレイヴ
ィン氏に2000年に変わった。それは、研究所の方向転換を意味していたものと思われる。
その意図は、人類の絶滅の確実性を多くの地球人が認識することを恐れたからであろう。
ブラウン氏はその後、日本などのマスコミに頻繁に登場するようになった。「一部の書
籍などで人類絶滅の危惧が云われているが、そんなに急に絶滅することはない。当面、
絶滅を考えなくとも良い」という内容を繰り返した。それに対して野僧は本欄で激しく
反撃した。その根拠は「地球白書」であった。ブラウン氏は序文などの中で、人類の危
機を説いていたからである。さすがのブラウン氏も、野僧の反論を認めざるを得なくな
った。「環境が悪化しているのは事実である。早急に対策を講ずるべきである」、と。
それ以後、ブラウン氏は日本のマスコミに登場しなくなった。ブラウン氏に変わって否
定に躍起になったのが世界中のマスコミである。「温暖化は認められない」、というも
のである。その主張は現在も続いている。その影に巨大な組織がちらつく。世界金融財
閥の影である。今のうちに儲けられるだけ儲けよう、ということであろう。世界中のマ
スコミが正義の味方だと思うのは幻想である。功利主義に負けてはならない。人類の絶
滅が避けられないとしても、我々の子孫が安楽に一年でも長く命を永らえるようにすべ
きではなかろうか。

大阪都構想の首都機能移転は間違っている !

2011-12-09 19:16:00 | 環境劣化と人類延命の智慧
 大阪都構想の中に「首都機能移転」が入っていると報じられた。一部を
大阪に持っていこうということらしい。そういう思考は自由であるが、移
転しなければならないという問題の本質を何ら分かっていない。地球環境
の劣化による高潮などの災害を無視した利益追求型の古い政治思考といわ
ざるを得ない。その根拠を列挙しよう。

①今回の東日本大津波の教訓がいかされていない愚考である。津波の危険
 性を無視した考え方である。南海地震などが発生すれば、巨大津波が発
 生する。大阪のハザードマップは今年発表されたばかりである。その科
 学的な根拠にもとずく予測を無視するものである。すなわち自然の破壊
 力を無視するものであって、自然より人間上位の傲慢政治、虚飾政治と
 云われても仕方ないであろう。そのような考え方は不穏当で危険な思考
 であり、大阪人の生命と財産を危険にさらすことになる。

②高潮などによってロンドンが水没する様子を映画化したのが「デイ・ア
 フター」である。高潮だけであれば、そんなに危険性はない。しかし、
 その映画では「ハリケーン(台風)と高潮と大潮」が一時的に一緒になっ
 て大水害が発生してロンドンが水没してしまうという内容である。特に
 川を遡る(逆流する)ので被害がかなり内陸に達する危険性がある。それ
 は津波とほぼ同じ災害のことをいう。大潮は、月と太陽が地球に対して
 一直線上になることであるが、ここでは満潮とほぼ同じ意味で、海水面
 が最高位に達した状態をいう。高潮とは、台風などの低気圧によって海
 水面が異常に高まり、海水が陸上に浸入することで「暴風津波」とも云
 われる。気圧が下がれば下がるほど海面が持ち上がることになる。巨大
 な板で海面を押し付けるような原理と同じようなものである。
 
③津波は地震の震源地の位置によって被害地域が大きく異なる。津波の被
 害を受けない地域も出てくる。一方、高潮と台風と大潮が一緒になった
 場合、被害地は広範囲になってしまう。たとえ湾の入り口が小さくとも、
 位置に関係なく海岸地はすべて暴風津波に襲われることになる。それが
 津波と高潮の違いである。

④地球の温暖化は確実に進行している。南極の棚氷や高山の氷河の融解が
 進んでいる。それらの水は最後は海に至る。したがって海面が上昇する
 ことになる。すなわち、一年一年、海面が上昇して、津波や高潮の被害
 が甚大になるのは確実である。

⑤温暖化が進むと海水の温度も上昇することになる。海水の温度が上昇す
 ると海水が膨張することになる。海水が膨張すると海面位が上昇するこ
 とになる。したがって、津波や高潮の被害が年々自動的に巨大化するこ
 とになる。これが温暖化のなりゆきの一つである。

 このように、温暖化は地球の劣化現象に連動する。すなわち劣化は2乗、
3乗とスピードアップするのである。したがって、大阪ばかりでなく、東京
も安全地帯ではなくなったと云っても過言ではないであろう。
 首都機能移転の当初は、東京の一極集中は過密すぎる、というのが発想だ
ったのである。しかし、今や首都としての東京は安全か、危険か、という論
議の段階に入っている。以前から指摘されていたことであるが、海岸部と津
波の危険性が叫ばれてから久しい。特に海面の上昇と津波がより一層危惧さ
れ、「首都移転」論議にまでいたっている。大阪への首都機能移転など論議
の対象外である。それどころではない。要点を列挙しよう。

①天皇陛下を始めとする皇族方の生命を守れるのか。
②内閣の各大臣の生命を守れるのか。
③衆参の国会議員の生命を守れるのか。
④中央官庁の職員の生命を守れるのか。
⑤皇居や国会議事堂、官庁の建物を守れるのか。
⑥東京都民の生命を守れるのか。
⑦暑すぎる東京は首都として適しているのか。

 等々、列挙すれば限がない。はっきり云えば、東京は首都しとして適さな
くなったのである。その理由は温暖化による世界的な環境劣化が原因である。
上記の答えは、「守る自信はない」ということであろう。であるならば津波
などに襲われれば国家の統制を欠く事態になる。さすれば「首都を移転せざ
るを得ない」ということになる。当然の結論といえよう。

 首都移転を考えるべきである。

一川防衛相発言は失言に非ず !

2011-12-05 07:24:33 | 政治
一川防衛相の発言「95年の沖縄少女暴行事件は詳細には知らない」は
失言ではない。「詳細は知らない」、と云っているのであって、事の重
大さを知らない、と云ったのではない。たとえば、その犯人の米兵の名
前をすぐに云える日本人は何人いるのであろうか。すなわち一川氏は防
衛相としての資質も問われることはないはずである。また、野田首相の
任命責任でもない。野党の党利党略の過大反応である。
 
 一方、前沖縄防衛局長の不適切発言は許されざるものである。しかし、
その責任は、本人自身にある。あえて責任を問うとすれば、防衛事務次
官にあるのではなかろうか。野田首相と一川防衛相の責任でもない。

 沖縄は駐留米軍人による犯罪を始め、騒音等々の苦悩を押し付けられ
てきた。その意味からすれば、駐留を許す日本国政府は加害者の立場で
あることを自覚すべきである。さらに今後とも沖縄に基地を押し付ける
ことは沖縄の人々の意思に反することを意味している。絶対に受け入れ
ないだろう。

 今後、書類上の普天間移転事務を進めても実現する可能性はゼロであ
ろう。政府は県外、あるいは国外を模索すべき時期にきていることを自
覚し、真剣に努力すべきだと考える。

付和雷同の大阪市長選 !

2011-12-03 10:56:05 | 政治
具体論なき大阪市長選は真の選挙とは云えない。単なるムード選だからで
ある。お祭り選挙、付和雷同選挙というべきである。当選した橋本氏は、今
は「独裁」が必要な時といっている。トンデモナイことである。

 第一、「大阪府と大阪市の二重行政では無駄が多すぎる」から「都」とす
る、という理由だけで市民は投票したのであろうか。そんなことを云うので
あれば、全国の都道府県の現行体制を否定することになる。理屈の通らない
ことである。分かりやすい例でいえば、公営の野球場を作る場合、都道府県
と市町村が一つ以上作ることがある。その場合、市が作るのは自由である。
しかし、全体を見回して都道府県が適当な場所を選んで作るのも自由なはず
である。普通、県が中規模野球場を作れば、市は陸上競技場を作る、その逆
もある。いずれにしても合理性が求められている。たとえ都道府県と市町村
がダブッテ作って悪い結果になったというのであれば、都道府県議会と市町
村議会のどちらかが悪いことになる。しかし、都道府県体制が悪いというこ
とには直結しないはずである。

 また、現在の日本には独裁者は必要ない。民主政治が定着し、国際的にも
民主化が進行している。アラブ諸国やミャンマーなどを見れば分かるであろ
う。たかが、大阪市長、府知事になったぐらいで独裁者きどりでいるのは民
主体制に反逆する思考で、危険な夢想家と云われても仕方ないであろう。

 さらに新市長は自分の主張を認めないならば、「国政」に打って出る、と
までいっている。その意思は自由である。しかし、多くの国民は無知ではな
い。そんなに簡単に行くものではないだろう。正しいビジョンを示すのが先
である。橋本氏はヒットラーになるつもりなのであろうか。

 民主党をはじめとする諸政党は付和雷同すべきではない。明知を磨いて冷
静に対処すべきである。