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私の父・鬼木五郎が生きていたら、一昨日の7月12日でちょうど喜寿(77歳)。喜寿を記念して、父の故郷/玄海町(佐賀県)において、「鬼木五郎牧師喜寿生誕祭」を行ないました。父は「牧師」として懸命に生きた人でした。
企画発案は父のお姉さん。2年前に私に電話がかかってきての実現とあって、父の子ども・孫・その連れ合いも総参加。また、父のきょうだい、またその子ども・孫・ひ孫もあわせて、にぎやかな会です(^^)。
25年前に天国に召された父のこと。普段は遠くに暮らす姪っ子たちに、父のこと、父が遊び育った故郷のことを知ってほしかったという想いもあります。それぞれに父の想い出を語り合いました。
まだまだ私の知らないことも飛び出しました。多くの方の生きる灯に息吹を吹き込んだんだなぁと。
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写真の右横に父の生家があります。今は舗装をされていますが、庭先から1メートル余りの道を隔てたところが海への入り江になっていました。
子どもの頃、毎夏、1週間ほど、ここで過ごすことが私たちの年中行事でした。普通電車で米子から小さな子どもたち4人をかかえての旅は、いろんな意味でさぞかし大変だったと思いますが、当時は楽しく、今となっては感謝の一言ですね。
大雨の合間をぬっての記念祭とあって海は濁っていますが、ここから川の河口、そして海へと、毎日毎日、朝から晩まで、泳いで釣りをして貝をとって遊んだのです(その割に泳ぎは苦手ですが)。写真の船で遠出をすることもあり、宝物のような思い出です。
魚だけではなく、父がもぐっては、アワビやサザエを獲ってきてくれ、そうウニも。たいそう豪勢な食事でした(^^)。子どもの私ですらウナギがつれ、父が見事にさばいて、美味しい蒲焼きになりました。河口付近は潮がひくとアサリの宝庫。歩くとイタイくらいで、毎朝のアサリ汁にはお出汁はいりませんでしたよ。私は、実は、釣りが大好きなのです(^^)。
ある早朝、この入り江に大きなカブトガニが2匹あがってきていて、父が、逃がさないようにして、後から起きて来た私たちに見せてくれました(もちろん、逃がしました)。なんてことも、子どもにとって大切なことなんですよね。普段から遊び名人で、子どもと一緒にというか、子どものように遊んでいた父でしたが、故郷にもどると水を得た…と、なおさらでした(^^)。
私の頭のところに橋がかかっていますが、以前にはこの橋はありませんでした。見晴らしも、干拓地の様子も様変わり。玄海原発をかかえる街として、父が生きていたらどう思うのでしょう。
「聖書の上に新聞を置いてよみなさい」。父の言葉が甦ってきます。