当ブログのコメント欄には、私に対して、アホとか痴呆とか書かれているのでその反論。
昔の宝島や週刊誌の記事を見ると私のことを浪速のビルゲイツという見出しで表現されていました。
当時は、神戸大学にコンピュータクラブ情報統計部をつくり、
計算センターに入り浸り、FORTRANやcobolを使って、プログラミングをしていました。
演習のプログラムをお金をもらって、代わりに作ったりもしていました。
神戸大学で大学院生も含めて12000名の学生の中で、プログラミング能力は1位と言われていました。
塾や家庭教師では、理科の先生についで数学の先生をさせられることが多かったようです。
高校生の時、通信添削を受けていました。
1万人ちょいの中で、数学はよく全国でベスト10にはいり、賞状や記念品をもらっていました。
国語もたまに全国10位にはいり、賞状や記念品をもらっていました。
国語と数学だけ通信添削をうけていましたが、合格率を出す際は、大半の受験生は、英・数・国の平均偏差値で。 わたしだけ国語と数学の平均偏差値で。志望校は、いちも神戸大学経済学部。数百名の志願者の中で、いつも成績は1位。合格率は80パーセント以上となっていました。
神戸大学の2次試験、英語0点。数学満点でした。
シャープに勤めているとき、マイクロソフトの西和彦副社長が3回、針中野の私の家に来てヘッドハンティング。
シアトルにきてと。マイクロソフト山本隆雄の名刺までつくって。1枚だけくれました。
英語で書かれた裏面を見ると、sales 要するに営業と。
マイクロソフトの営業としてスカウトされたのでした。
西さんの秘書に、ビルゲイツは私のことを知っているかと。
するといつも西が山本さんのことをしゃべっているので知っていると。
シアトルに行くことには、英語ができない私には抵抗がありました。
同じ時期、ソフトバンクの孫正義社長が、毎月40万円あげるから会社を興しと。
私は、針中野から離れる気がなかったので、孫さんの話に乗りました。
ちなみに、日コン連企画という社名の命名者は孫正義さんです。