今回の名人戦、フルセットの末、羽生名人が防衛しました。
観る将棋ファンとしては、かなり見応えのあった熱戦続きのシリーズ、しっかり堪能しました。
僕は、今回の勝負の流れの中で、キーポイントは羽生名人がいいところなく敗れた第五局にあると思います。
この本でも語ってます。
『やはりいい手と言うのはきれいなんです。』
それから、去年のパリの竜王戦の時は、
『芸術と言われるような将棋を指したい。』
と言ったのが印象的でした。
第四局も短手数で敗れてタイになって迎えたこの第五局。
どちらが負けても王手をかけられる重要な一局。
それが、一日目からいいところなく、苦しい局面に。
二日目の午前中でもうすでに、大盤解説の渡辺竜王が、終局は早そうと見たような大差。
ただの大差ではなく、形が・・・・。
どうにも許せないというか、彼の美学にとっては絶対にあってはならない感覚だったのだと思います。
どうにも窮屈な形。
これ以上指し続けたくないような盤面。
我慢に我慢をさせられた△4二歩と、△5二歩の下で今にも泣き出しそうな玉。
その横の△7一金と、8二銀のどうにも動けない形。
その上には、ただただいじめられるのを待っている歩越しの飛車。
そして、左には広いところから逃げてきて、自陣にじっと閉じこもってしまった哀れな龍。
渡辺竜王が言ってました。
去年の竜王戦第三局では、二日目の午前ですでに、早く投げて帰りたかった、と。
全くいいところがないのに、面白い局面にひとつもならないのに、長い一日を盤の前で過ごす事の辛さ。
こんなに辛い事はなかったとのカミングアウト。
多分、羽生名人もそうだったのだろうと推測するが、ここから一気に行かなかったのが名人の凄さ。
楽には勝たせないぞ、というか、このまま負けたら悔しすぎるから、そうはさせたくないとする粘りの指し手を続け、明らかに大差が小差に縮まった。
しかし、長手数にはなったが、逆転の形勢には全くならないままの投了。
負けたことよりも、この美しくない形で闘わなくではならなかったことが、自分としてひどく許せないことなんだと思う。
言い方は悪いけど、「こんな将棋、死んでも指したくない」というくらいの辛く重い負け方だったのではないだろうか。
その悔しさが、その美学を汚された感覚が、追い込まれた第六局、第7局の勝負強さ、執念になったのではないかと思うのです。
絶対に負けられない気持ちにつながったんだと思うのです。
第五局が、こういう形の負け方ではなく、いい勝負の末に力を出し切って負けたとしたら、果たして、逆転で防衛につながっていたのかどうか。
たらればを言っても仕方ないのだけど、こういう負け方をしたことが(あるいは、郷田九段がこういう勝ち方をした事が)、
(自分でも意識しないうちに)羽生名人の強さをさらに一段階アップさせる結果をもたらしたとは言えないだろうか。
他の棋士にとっては、なんとも皮肉な運命なのだけど、
こうして、
また一人だけ誰にもわからない高みに、
孤高の思索の世界に、
どんどん上り詰めていくことになるのだろう。
観る将棋ファンとしては、かなり見応えのあった熱戦続きのシリーズ、しっかり堪能しました。
僕は、今回の勝負の流れの中で、キーポイントは羽生名人がいいところなく敗れた第五局にあると思います。
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この本でも語ってます。
『やはりいい手と言うのはきれいなんです。』
それから、去年のパリの竜王戦の時は、
『芸術と言われるような将棋を指したい。』
と言ったのが印象的でした。
第四局も短手数で敗れてタイになって迎えたこの第五局。
どちらが負けても王手をかけられる重要な一局。
それが、一日目からいいところなく、苦しい局面に。
二日目の午前中でもうすでに、大盤解説の渡辺竜王が、終局は早そうと見たような大差。
ただの大差ではなく、形が・・・・。
どうにも許せないというか、彼の美学にとっては絶対にあってはならない感覚だったのだと思います。
どうにも窮屈な形。
これ以上指し続けたくないような盤面。
我慢に我慢をさせられた△4二歩と、△5二歩の下で今にも泣き出しそうな玉。
その横の△7一金と、8二銀のどうにも動けない形。
その上には、ただただいじめられるのを待っている歩越しの飛車。
そして、左には広いところから逃げてきて、自陣にじっと閉じこもってしまった哀れな龍。
渡辺竜王が言ってました。
去年の竜王戦第三局では、二日目の午前ですでに、早く投げて帰りたかった、と。
全くいいところがないのに、面白い局面にひとつもならないのに、長い一日を盤の前で過ごす事の辛さ。
こんなに辛い事はなかったとのカミングアウト。
多分、羽生名人もそうだったのだろうと推測するが、ここから一気に行かなかったのが名人の凄さ。
楽には勝たせないぞ、というか、このまま負けたら悔しすぎるから、そうはさせたくないとする粘りの指し手を続け、明らかに大差が小差に縮まった。
しかし、長手数にはなったが、逆転の形勢には全くならないままの投了。
負けたことよりも、この美しくない形で闘わなくではならなかったことが、自分としてひどく許せないことなんだと思う。
言い方は悪いけど、「こんな将棋、死んでも指したくない」というくらいの辛く重い負け方だったのではないだろうか。
その悔しさが、その美学を汚された感覚が、追い込まれた第六局、第7局の勝負強さ、執念になったのではないかと思うのです。
絶対に負けられない気持ちにつながったんだと思うのです。
第五局が、こういう形の負け方ではなく、いい勝負の末に力を出し切って負けたとしたら、果たして、逆転で防衛につながっていたのかどうか。
たらればを言っても仕方ないのだけど、こういう負け方をしたことが(あるいは、郷田九段がこういう勝ち方をした事が)、
(自分でも意識しないうちに)羽生名人の強さをさらに一段階アップさせる結果をもたらしたとは言えないだろうか。
他の棋士にとっては、なんとも皮肉な運命なのだけど、
こうして、
また一人だけ誰にもわからない高みに、
孤高の思索の世界に、
どんどん上り詰めていくことになるのだろう。
シリーズのひとつのポイントだったと思います。
棋聖戦第三局も美しくない負け方をしていますので
今週の第四局でどんな将棋を指すのか
かなり注目しています。