即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

自分を笑えること

2009年12月24日 00時24分44秒 | 雑感
なるほどなあ、と最近思った記事。

パーソナルスタイリスト・イメージコンサルタントの冨永 のむ子さんのコラムより。

『自分のことを笑えるか』。引用させてもらいます。
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先日イメージコンサルタント仲間と話していたのですが、

彼女は、人の好き嫌いを判断する際、
自分のことを自虐的におとしめることができるかどうか
というところをみるそう。

自分のことを、おもしろおかしく表現して
笑いを取ることができる人。。。

好きか嫌いかという基準は私には無かったですが、

私は、それができる人は、
自分の中に軸があって、
他人の目を気にする必要が無い人じゃないかと思います。

あまりに自虐的すぎて、
聞いてる相手がひいてしまうようなのは別ですが。。

自信がなくて、人に持ち上げて欲しくて欲しくてたまらない人は、
自分を落とすようなことはできないし、
自分を落とすような冗談は本気で憤慨してしまう。

有名人の誰に似てるかとか、そういう話でも、
本当に素敵で余裕がある人ほど、
動物や怪獣(!)や、
異性のお笑い芸人などを、さらっと出して笑っています。

自分を客観的に見ることができているからかな、と思います。

逆に、自信がなくて不安な人は、
そういうものや人に似ているといわれると、
本気になって怒るかも。

ある意味、自分のネタで笑いを取れるかどうかは、
気持ちに余裕があるか無いかのバロメータかもしれません。

・・・と、久しぶりに、禅問答してみました。

自分はどうか、ちらっとふりかえるってのもありかもしれません。
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僕は小学生の頃、かなりの優等生でした。(おー、自慢かあ・・・。)
親や先生の期待にも(まあまあ)しっかり応えてきていた。

ずっとそういう見られ方をしていたので、多少無理しても、背伸びしても優等生を演じるようにしていた。
精一杯。そうしかできなくて、いっぱいいっぱい。
あまり疑うこともなく、それほど不満でもなく。

それが、中学の頃。
部活の下級生を傷つけてしまったことがあった。
自分たちの学年の仲間だけで楽しんでいて、ついていけないでいる下級生の気持ちを思いやる事ができなかった。
そして、彼は誰にも愚痴をこぼす事もなく、静かに傷つきながら辞めていってしまった。
そんなようなことがいくつか重なり、自分ってなんぼのもんじゃい、って思った。
可愛い下級生の気持ちもわかんないなんて、なんてひどいことをするやっちゃ、って思った。
うまく説明できないけど、優等生なんて屁でも食らえ、って気になった。
その頃にはすでに成績も下降気味だったこともあり、あー、もうやーめた、劣等性の方がどんだけ楽しいか、って宗旨替えした。
期待するのは勝手だし、僕、しーらないっと。
一気に楽になったし、すーっと肩の力が抜けた。

その路線に乗っていないと不安だったわけで、気持ちに余裕がなかったのですね。

俺って、そういうのだめじゃん。
俺にはそこまではできないから、俺をあてにしたってだめだよ。
無理無理、俺にはそんな力ないもん。

かっこつけても仕方ないし、何事も本音トーク。

いくらできる人であっても、自分のことを軽く笑える人は素敵だと思う。
とても好感が持てる。
仲良くなりたいと思ってしまう。

ねっ、俺って、ほんと、馬鹿みたいに単純でしょ?
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