即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

近況

2015年09月15日 10時01分33秒 | ブログ
すっかりご無沙汰してしまいました。
突然音沙汰なくなって、ほったらかしにしてしまい申し訳ありません。

今年に入ってからと言うもの、怒涛のような忙しさでまだ追われる日々が続いてます。
フリーランスになってから6年目になり、少しずつ仕事も増えて来たので、資料作り、企画書などの対応で頭の中がいっぱいいっぱいになっていて、書きたいブログネタは山ほどあるものの取り掛かる余裕がないというのが実情です。

その間、家族の入院、手術などのこともありましたが、お陰様で何とか元気に生活しています。

それにしても豪雨、洪水、噴火、難民、安保法案などなど、どうにもこうにも危うさが増していますね。
考えること、やらなければならないことがどんどん増えています。

将棋はネット観戦と週刊将棋、将棋世界を読むことは続けていますし、たまに就位式などのイベントにも参加したりはしています。

線路内人立ち入りについてはチェック、情報収集は続けていますので、そのうちまた整理して記事を書ければと思っています。

ということで少しずつうまく時間を作って、ちょっとした記事ではあってもまた書き続けていければと思っています。

懲りずにお付き合いいただければ幸いです。よろしくお願いします。
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水分補給の功罪

2015年02月11日 16時28分47秒 | 雑感
新規案件も含め、どんどんいろんな仕事が舞い込んできて、嬉しい反面、かなりいっぱいいっぱいな毎日になっています。

《三連休なので仕事の話》という以前の記事にも書いたように、小さな仕事でも儲からない仕事でも、せっかく僕に声をかけてくれたことに感謝して、週末も祭日もなく、日々老体に鞭打って頑張っています。

祭日の今日も全くそんな意識のないまま、渡辺・羽生の棋王戦を時々チェックしつつも朝からPCに向かっているのだけど、ブログも将棋観戦も遠出も何もままならない状況でちょっとストレスが溜まっています。

それに加えて、毎年1月、2月には重ーくのしかかっているのが青色申告。
もう4回目なので、慣れてはきたのだけど、いつになっても好きになれないこの作業。
ちゃんと都度都度やっておけばいいというのも十分わかっているのだけど、ずっとほったらかしの定石通りに今年を迎えてしまい、いよいよケツに火が点いてきた最近、やっと着手した次第。
過去の青くなっている記事は下記。
青ざめて深刻な日々
青色吐息

今日のネタは、時々話題になっていてずっと気になっていたのだけど、
『この常識が180度ガラッと変わったのはいつ、どういうことだったのか?』というネタ。

昔は運動をした時、バテるから一切水を飲むな、って言われていましたよね。
皆、顔を洗うふりして飲んだり、こそこそ目を盗んで飲んだり、見つかって怒られたりした思い出があるはずです。

それがいつの時代から、水分補給が大事、しっかりこまめに飲め、となったのだろう?
その境目はいつごろなのか?
誰がいつこの常識に真っ向から異を唱えたのだろうか?
すっかり定着していたこの常識に対して、誰が勇気を持って覆すことができたのだろう?
どのような経緯で、この常識がコロッと正反対に変わったのだろうか?

まさにコペルニクス的転回。
天動説に懐疑的な見解を持っていて恐る恐る地動説を唱えたコペルニクス。
当時のキリスト教の教義に反することは、尋問にかけられたり、火あぶりにされたりしても不思議ではなかった時代。

どちらにしても常識に異を唱える、固定観念を打破するということは、どこの国でも大きな反発を受けることになると思うけど、一体いつ誰が言い出したのだろうか?
そもそも、昔の説はちゃんとした根拠とかデータがあったのだろうか?

単によくわかってない勢いだけの体育会系の人たちが、根性論とか、下級生を鍛えるための便利な方法論として利用していただけなのかどうか。
それが噂とか流行りで全国的に蔓延していただけかもしれない。
どちらにしてもあの頃はそれが一般常識だったし、ちょっとでも水を飲んだらあっという間に疲れが出て、飲んだ瞬間にヘトヘトになるように洗脳されていた気がする。

ということでかねてからの二大研究テーマの
1.線路内人立ち入りとは、どんな人が何の理由で立ち入るのだろうか?
2.毎日行なっている『拭く』という作業は、前からか、後ろからか、どちらから行っているのか?
に加えて、このテーマもこれから深く掘り下げていきたくなりました。

現在は、こまめに水分を取らないと熱中症になったり体によくないというのが常識になってます。
そういうことであるのなら、昔、どれだけ多くの人が水を飲めずに倒れたり、病気になったりしたのでしょうか?
昔の説を唱えた人は今頃反省してるのだろうか?
全く正反対、大間違いの説を唱え、多くの人たちに苦痛を与えた責任は一切問われないのだろうか?
傷害罪、殺人罪などの罪には問われないのだろうか?

ちょっと検索しただけでも、たくさんの情報があるようです。
水分を取るとバテるから飲むな!は誰がいつ頃言いだしたのでしょうか?
名古屋ランニングジャーナル: 「運動中は水飲むな!」時代の方が熱中症は少なかった!?
子供のころ、よく「運動中に水を飲むとバテる」と言われましたが、医学的に本当の所どうなのでしょうか?

さて、この件もライフワークとして徐々に解き明かしていきたいと思うので、情報その他、ご協力のほどよろしくお願いします。
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短期は損気・その2

2015年01月26日 11時39分37秒 | スポーツ
またまた間が空いてしまいました。
これほど慌ただしいのは久々です。

儲かってるわけではないのだけど、仕事の相談、広がり方が半端じゃない。(半端ない、という最近の言い方はどうしても馴染めない。)
フリーランスで個人でやってるので、小さなことでも絡むとなれば、とことん調べたり整理したり突き詰めようとしたりで時間がかかる。
相談してよかった、と心底思ってもらえるためには、誠心誠意、これでもか!というほど力を入れたいのが信条。

そんなことで新年のあいさつで“余裕”とか“ハンドルの遊び”とか言っていたのがどうにもこうにもままならない日々が続く。

そんな“余裕”にリンクする話が、最近のアギーレジャパンのアジアカップ。

明日の準決勝、週末の決勝を楽しみにしていたのだけど、結局、気持ちの余裕を持てなかったことが準々決勝敗退につながった。

決定力の無さの技術的側面もあるけれど、気持ちの面での余裕が大きい。

一戦、一戦、大事に勝っていくために、ずっと固定したベストメンバーで戦わざるを得なかったことが、大きな敗因のひとつ。

優勝するまでの6試合を通しての長期戦略を取ることができず、目先の短期的な結果を求めざるを得なかったことが皆の期待を裏切ることに繋がった。

アジアカップで優勝できなかったら即解任。
すぐに、ちょっとだめだと監督交代、と、言いたいこと言う世間は、どうしても短期的な結果を求めたがる。

ロシアワールドカップに向けての世代交代や長期的なチーム作りの視点はどうするのか。
思い切った若手の起用や時間がかかる戦略の導入など、先を見据えたことはどこまでできるのか。

短期も大事だけど長期も大事。

そりゃ両方うまくできればそれに越したことないけど、よほど力がないとそんなことはなかなかできない。

ビジネス社会もそう。
特に外資の考え方、人の使い方は、短期で結果を求めてくる。

短期的な視野の狭い部分に目が行ってると、いろんな齟齬が出てくる。

どこかで気がつくとおかしなことになっている。

いっぱいいっぱい、キツキツで物事を進めているといいことはない。
遊びのないところに進歩はない。

はやぶさの國中均さんの言葉に、
『ゆっくりでも、止まらなければ、けっこう進む』
というのがあるけれど、目一杯で焦って短期的な結果を追い求めるとろくなことはない。

余裕を持って、伸び伸びと、肩の力を抜いて進んでいきたいものだ。

失敗するからこそ見えてくることがある。

少しの失敗も恐れていてはちっとも進化していかない。

短気になって、単騎で勝手に進んでいくと必ず損をする。

短期は損気。

少し先を見つつ、余裕を持ってことにあたりたいものです。

以前の記事・短期は損気
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謹賀新年 2015

2015年01月05日 18時44分54秒 | 日記とニュース
バタバタしているうちに時間は通り過ぎ、あっという間の一年。
去年は徐々に忙しくなって後半はすっかり余裕がなくなってしまいました。
ブログを始める一つの理由であった「自分と向き合う時間」が徐々に減ってきてしまった昨年でした。

そう、それだけでなく、
将棋と向き合う時間、社会や未来と向き合う時間、線路内人立ち入りと向き合う時間。
思うように取れなくなってしまいました。

すべての元は、余裕、です。
気持ちの中のハンドルの遊びの部分。

つくづく反省です。

いいことも悪いこともたくさんあったけど、何とか無事に2014年が幕を閉じ、穏やかに新年を迎えることができました。

皆さま、新年明けましておめでとうございます。

昨年の反省からしても、今年はテーマは『余裕』ですね。

忙しい中でも、余裕をきちんと作り出さないといけない。
走っていても余裕を持って走っていなければいけない。

持ち前の好奇心ゆえ、どんどん広がってしまっているものをしっかりひとつずつ切り落としていく作業が肝心。

羅針盤の精度を上げるの記事でも取り上げたけど、いろいろある選択肢の中から取捨選択の捨てる方を見極めてスパッと行動していくことが大切だとつくづく感じます。

やらないことを決める
断捨離
ですね。

ブログ更新がどこまで追いついていけるかはわからないけど、心身ともに余裕に裏打ちされた充実の2015年にしていきたいと思っています。                 

新年が皆様にとって素晴らしい年になりますように。

今年もまた楽しいお付き合いのほどよろしくお願いします。
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羅針盤の精度を上げる

2014年12月26日 12時12分05秒 | 将棋

羽生さん、強いですね。
ハードなスケジュールをものともせず、名人位奪取、3冠防衛、1300勝達成、棋王戦挑戦者、と、40代半ばにしてさらなる進化を続けています。(昨日の王将戦プレイオフは残念!!)

今日はそんな羽生さんのプレジデントオンラインの記事、羽生善治「若手に負けぬための秘密の習慣」についてです。
共感する部分がいっぱいあるし、とても参考になる記事です。

おおまかにこんな内容です。
★いろいろある選択肢の中から取捨選択の捨てるほうを見極める目。経験知を磨くことで羅針盤の精度を上げていくこと。
★未知の局面に出合ったときの対応力を上げる。そのためには持っている大量の情報を普段から自分の頭で考え、整理する時間が重要。
★ものごとがどういうプロセスを経て結果が組み上がってきたのかを知るのはとても大切。今の自分がどういうプロセスでここにいるのか、過去の何が今の自分の成果につながっているのか、といったことを再検証してみる。
★野生の勘を磨く習慣やトレーニングが必要。そのためには羅針盤の利かない状況を意識的に作り出す。


業界は違えど、どのように若手と付き合っていくのか、あるいはどのように若手に経験知を順送りしていくのか、最近よく考えることが多いです。
この年になってくると、確かに経験がものを言う。
過去にいろいろ苦境や修羅場や突発事故も経験済みなのでなまじのことでは驚かない。
良くも悪くも経験してない、経験の少ない若手に対しては、そこで培われたノウハウや経験則が強みになることは間違いない。

でも経験が逆に妨げになることもあるわけで、過去の成功事例に囚われて新たな発想や変化ができない、ということも十分にある。
経験してないからこそ生まれる新鮮かつ鋭い視点ということもある。

そのあたりのことは、心に残った南場智子さんの若者へのメッセージ「個で勝負できる人材になれ」という記事でも指摘されています。

「(若い世代は)やはり私には見えていない物が見えている世代なのです。世代、世代で見えるものが違うのです。ですから、自分が見えていないものを提案されたときに、頭ごなしに否定しないことが重要だと思っています」

この部分、経験知のある人がついつい陥りがちな欠陥だと思いますし、いつも自戒するようにしています。

次に、羽生さんが“「こうすればうまくいかない」と知っている”というところで言っている話。
「見切りをつける」「いろいろある選択肢の中から、何を捨てていくか」という部分です。

羽生さんが言われてきたことはこの部分だけでなく、田坂広志さんの言われていることとかなり共通していると常々思っています。
田坂さんのなぜ、21世紀の戦略は、「アート」になっていくのか?という内容とオーバーラップするので紹介します。

「「戦略」とは、「戦い」を「略く(はぶく)」こと。
 すなわち、「戦略思考」とは、「いかに戦うか」の思考ではなく、「いかに戦わないか」の思考に他ならないのです。
 真の知性とは、「戦って相手を打倒し、勝つ」ことに価値を置くのではなく、「無用の戦いをせずに、目的を達成する」ことに価値を置くからです。


羽生さんと田坂さんのことは過去にもずいぶんと書いてましたね。
一芸に徹すれば、万般に通じる
今の自分の力を全部出し切る
自己限定すること
羽生さんの新著「大局観」
羽生二冠、王位獲得で三冠へ、そして、通算80期に

次に羽生さんが“未知の局面に出合ったときの対応力”というところで語っていること。

アナログで育った世代だから基礎や土台の作り方を見ているし、大変な労力と時間を使って自身で作ってきている。それが世代の強みだ、と。

アナログの時代ということで、若かった頃、僕自身が経験した広告制作業務の話を例に出してみます。

昔はオリエンからプレゼンまで時間があった。
いろんな役割のスタッフが大勢集まって、どういうコンセプトで行くか、表現はどうするか、どんなプレゼンをすれば勝てるのか、などなど、日夜何度も何度も侃侃諤々議論して企画を作っていった。
もちろんコンピュータなどないので、全部手作り、手作業。
知恵を絞り出し、もっとよくなる、さらにブラッシュアップできる、と際限のない深夜作業が続く。
手書きの企画書を何度も何度も書き直し、いわゆるカンプライターに頼んで実際のビジュアルを手描きで書いてもらい、間際になり平身低頭して書き直しもお願いした。
コンセプトを決めるだけで一週間も二週間もかけるような仕事を皆がしていたものだけど、今や、そんな悠長なことは言ってられやしない。
3日後にかなりの精度のビジュアルを出せてしまう。
一人でもそれなりの企画を短時間でできてしまうようなスキルやインフラが知らないうちにできてしまった。
ではあの頃の僕たちの経験は何だったのだろうか?
順序立てたり、整理し直したり、ああでもないこうでもないとたくさんの試行錯誤を続け、広げ尽くしたり、まとめ切ろうとしたり、無駄かもしれない努力も含め、どれだけの労力、精力を駆使してきたことか。
羽生さんの言うように、その経験知を僕らの強みにできるはずだし、若手には絶対に負けやしないと今でも自負している。

しかし、そこが陥穽だといつも認識し、忘れないでいることも極めて重要。

そして、もうひとつ田坂さんの挙げている戦略思考の話も羽生さんの言われていることとしっかりと通じる。

これまでの戦略思考は、「山登りの戦略思考」とでも呼ぶべきものでした。
 すなわち、あたかも山に登るときのように、地図を広げ、地形を理解し、目的とする山頂を定め、その山頂に向けて、どのルートで登っていくかを決めるという戦略思考でした。
 しかし、世の中の変化が急激かつ非連続になり、企業や組織をめぐる環境が予測不能な形で目まぐるしく変化する時代を迎え、これまでの「山登りの戦略思考」では、その環境変化に対応できなくなったのです。
喩えて言えば、山登りをしようにも、「山の地形」が刻々変わってしまうという状況です。そして、その新たな地形についての「地図」も無いという状況です。

 では、こうした時代に、どのような戦略思考が求められるのか?

 それが、「波乗りの戦略思考」なのです。

 すなわち、あたかもサーフィンで波に乗るときのように、刻々変化する波の形を瞬時に体で感じ取り、瞬間的に体勢を切り替え、その波に上手く乗りつつ、目的の方向に向かっていくという戦略思考です。
 なぜなら、変化の激しいこれからの時代には、極端に言えば、三日前に立てた戦略でも、すぐに古くなってしまうからです。
 従って、環境変化が緩やかに起こるという前提での「山登りの戦略思考」では現実に対処することができず、刻々変化する環境に瞬時に対処していく「波乗りの戦略思考」へと、戦略思考のパラダイムを変えなければならないのです。


この話が羽生さんの羅針盤の話に通じていくと思います。
どこからどのように山に登るかを地道に研究して成果の上がる時代ではなくなってきた。
加速度的に変化を重ねる時代に対応していくためには常に羅針盤の精度を挙げる努力を怠らないこと。
羅針盤の効かない状況にわざと身を置いて、刻々と変わる環境変化にも対応できるような反射神経を養っていかないとどうにもならない時代になってきた。

時代の波に乗って、翻弄されるに身を任せ、その中で人間が本来持っている「野性の勘」を駆使して自分の進む道を描いていく。

最近の異常気象もそうだけど、いまだかつて経験したことがない事態がよく起こる現代社会。

そういう状況でも、パニックにならず、落ち着いて判断し行動できるための準備。

柔軟にフレキシブルに、強い意志と研ぎ澄ました野生の勘を頼りに大胆にサバイブできる人。

日頃から自分の羅針盤のスペックを上げ、より精密に機能するように点検整備しておかないといけないとつくづく感じる今日この頃です。
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生き方のセンス

2014年12月14日 11時52分48秒 | 友達・絆
また間が空いてしまいましたね。

この間、棋界でも糸谷新竜王誕生、今泉さんプロ試験合格、そしてあっと驚くリアル車将棋(!?)などいろいろなことがありましたが、僕の周辺でも仕事がどんどん忙しくなってきてたり、また、プライベートでもいろいろありました。

つい最近のことだけど、長年仲良くさせてもらっていた前の会社の先輩Tさん(歳は5歳ほど上)が亡くなりました。

まだまだ全然若いのに、そして、いつも笑顔で明るく素敵な人だったのに、とてもショックです。

このところたくさん来ている喪中のハガキでも、親でなく兄弟というのが徐々に増えていますし、ほんと最近は黒いネクタイの機会が増えてしまっています。

考えてみると、こういう辛い記事は今年三度目です。
哀しい雪の日
生き抜く強さ

Tさん、もともとデザインが好きだったこともあり、仕事でもプライベートでも何にでもかなりの拘りがありました。
ずっと尊敬する営業マンだったのだけど、自分では“営業もできるデザイナー”と言ってました。
10数年前に会社を辞め独立して、去年会社をたたむまでずっと一人で頑張ってました。
クライアントにもまわりにも人望が厚い人だったので、仕事も安定していたようです。
仕事でも絡んでいたので年に何度かは一緒に飲んでいたし、一緒に出張やゴルフにも行きました。
骨董通りにあったTさんの事務所にはいつもいろんな人が集まっていたようです。
別に親分肌なわけでもないし、強いリーダシップがあって強力な求心力があるわけでもないと思うのだけど、クライアントでも協力会社でも後輩でもいろんな年代のいろんな人が彼を慕って集まってくる。

ファッションとか、名刺とか手書きの企画書とか、本当に独特の拘りがあって強い生き方のポリシーやセンスが常に伝わってきていました。

昔、飲みながら、後輩に対してプレゼン技法についていろいろ語っていた時、
『お前は女を口説くときに何に気を付けるんだ?』
というところから始まって、いかにプレゼンと女性を口説くのが似ているのかを具体的にわかりやすく話していたのが印象的です。

お通夜に行った時の帰り道、いただいたお返しを手にしながら皆で話していました。
シェラトンホテルの包装紙です。(中味はクッキーでした。)
『お返しがシェラトンのだなんて、こんなの初めてですよね、さすがTさんだなあ。』と。

そして数人で駅前の居酒屋に入ってTさんを偲んで飲んでいたら、見る見るうちに黒い服の人たちで貸切みたいになってしまった。
2階の座敷、10数人のグループを含め、4グループは全部お通夜帰り、あちこちで、Tさん、Tさん、という話し声が聞こえてくる。

人が集まる人。
会いたくなる人。
Tさんの笑顔が浮かんできます。

もっと飲みたかったし、一緒に出掛けたかったです。
長い間、ありがとうございました。

心からご冥福をお祈りします。
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円熟の味

2014年11月26日 00時41分31秒 | 将棋
今日はまずサッカーの話から。

かなり共感するこの記事。
今野泰幸投入で引き締まった、日本代表の現実を憂う

アギーレ監督のこと。
まだ6試合なのにすぐにつべこべ言う日本のマスコミもいい加減なもんだけど、それに振り回されてどうもブレてるような気がしてならない。
当初はザックジャパンでお馴染みのベテランをはずし、今まで呼ばれてなかった新鮮な若手を招集し、4年後をにらんでのテストをやるのだと思いきや、この2戦、遠藤、長谷部、今野などを招集して、ブラジルワールドカップとほとんど変わらないメンバーで戦っていた。(それも4−3−3でなく、4−2−3−1で)
4年後のロシアに向けて長期戦略で新戦力を育てていくのではなく、目先のアジアカップで優勝するにはどうしたらいいのか、という目的にすっかり変わってきてしまっているようです。
アジアカップで負けたら即解任か、なんて言われ方もしているようで、せっかくブラジルで痛い目にあったことが全く生かされてないような気がしてなりません。

で、何が言いたいのかと言うと、結局遠藤、長谷部、今野などが活躍してしまったこともあり、アジアカップでも若手の出番が減ってしまうということ。

いつまでもベテランは衰えない。若手が伸びて来ない。
若手がどんどんベテランを乗り越えたり押しのけたりしていかないこの歯がゆさ。

J1の得点ランキングを見ても
1位 大久保32歳、豊田29歳 3位 マルキーニョス38歳
(J2だって大黒34歳がダントツのトップです。)

ロシアに向けてのチーム作りということを主体に考えると、武藤、柴崎などが主力のチームに変身していかないといけないのは自明の理です。

そして、なでしこも全く同じ構図。
来年はカナダのワールドカップだというのに、そこに向かうメンバーは4年前の優勝メンバーと澤がいないくらいであとはほとんど変わっていないという有様。

世代交代はどうなってるのか。
ベテランが強すぎるのか、若手が情けないのか。
協会や監督などがあまりにも近視眼になりすぎてやしないのか。

そこで将棋界の話になる。

この前、NHKのNEWS WEBにも登場したけれど、我らの羽生さんが史上最速で1300勝という偉大な記録を打ち立てました。


渡辺明ファンで有名なssayさんでさえも、
羽生善治名人が通算1300勝を達成その2と羽生四冠のあまりの偉大さにあきれるとともに、勢いがあるはずの若手棋士に対する羽生さんの激辛な面も指摘している。

そして、いつまで経っても羽生四冠を中心として棋界は回っているのだけど、その周りにいるのはいつまで経っても羽生世代、そしてそれに続くアラフォー棋士の方々が中心になってしまっています。

もうすぐ挑戦者が決まる二つの棋戦を見てみると、

王将戦挑戦者決定リーグ
羽生四冠(44)、佐藤康光九段(45)、郷田真隆九段(43)、深浦康市九段(42)、屋敷伸之九段(42)、三浦弘行九段(40)、ただひとり若手の豊島将之七段(24)(しかし1勝4敗!)

棋王戦挑戦者決定トーナメント
羽生四冠(44)、佐藤九段(45)が勝者組決勝へ。深浦九段(42)、郷田九段(43)が敗者復活戦へ。

さらにおまけでA級順位戦を見ても、挑戦権に向けて走っているのは
4勝1敗の行方八段(40)、深浦九段(42)、広瀬八段(27)
3勝2敗の佐藤九段(45)、久保九段(39)。

ここでも広瀬八段だけが唯一の若手だけど、あとはどこを見てもオジサンばかりです。

元タイトルホルダーだった広瀬八段、そして二度の挑戦者経験を持つ豊島七段、中村六段など、有望な若手は多いものの、強者のオジサンたちと対等以上に勝負できているのは結局渡辺二冠しかいないというのが現状です。

さて、現在竜王戦でタイトル初挑戦中、しかもリーチをかけている糸谷七段が一気に壁をぶち破って駆け上がっていくのだろうか。

羽生さんの力、羽生世代の力という記事で取り上げた羽生世代タイトル戦連続登場記録について再掲します。

3年前の名人戦から始まった羽生世代の驚くべき記録です。

下記、羽生世代は赤字です。

2011年度
名人戦 羽生名人  森内挑戦者
棋聖戦 羽生棋聖  深浦挑戦者
王位戦 広瀬王位  羽生挑戦者
王座戦 羽生王座  渡辺挑戦者
竜王戦 渡辺竜王  丸山挑戦者
王将戦 久保王将  佐藤挑戦者
棋王戦 久保棋王  郷田挑戦者

2012年度
名人戦 森内名人  羽生挑戦者
棋聖戦 羽生棋聖  中村挑戦者
王位戦 羽生王位  藤井挑戦者
王座戦 渡辺王座  羽生挑戦者
竜王戦 渡辺竜王  丸山挑戦者
王将戦 佐藤王将  渡辺挑戦者
棋王戦 郷田棋王  渡辺挑戦者

2013年度
名人戦 森内名人  羽生挑戦者
棋聖戦 羽生棋聖  渡辺挑戦者
王位戦 羽生王位  行方挑戦者
王座戦 羽生王座  中村挑戦者
竜王戦 渡辺竜王  森内挑戦者
王将戦 渡辺王将  羽生挑戦者
棋王戦 渡辺棋王  三浦挑戦者

2014年度
名人戦 森内名人  羽生挑戦者
棋聖戦 羽生棋聖  森内挑戦者
王位戦 羽生王位  木村挑戦者
王座戦 羽生王座  豊島挑戦者
竜王戦 森内竜王  糸谷挑戦者
王将戦 渡辺王将  ?挑戦者
棋王戦 渡辺棋王  ?挑戦者

ということで、羽生世代連続登場記録が途絶えた昨年度の棋王戦に関しても、アラフォー棋士という括りにすれば三浦九段も入るわけだし、これも続いているとすればまだまだ連続記録は十分に続きそうな勢いです。
(久保九段まで入れるとしたら2010年に遡ってさらにこの連続記録は膨大なものになります。)

この記録を早く破って、若手同士のタイトル戦を見てみたいです。
渡辺二冠ばかりでなく、若い世代の奮起を大いに期待します。

ベテランの持つ経験値や総合力に対して、若さの持つ勢いや新たな発想が打ち勝って行く日はいつ来るのだろうか。
世代論では捉えられないような新たな個性溢れる戦国時代が到来するのだろうか。
羽生さんのますますの強さに敬服しつつ、若手の躍動に強く期待しつつ、来年に向けてどのような勢力図が描かれていくのだろうか。
ますます楽しみが膨らんでくる棋界展望です。

以下、関連記事。
2007年、2008年くらいに、羽生世代になかなか勝てない渡辺竜王を筆頭にした20代棋士たちに対する応援歌3部作を書きました。
20代の反乱
20代の反乱・その2
30代に負けるな!

羽生世代が再び一丸となって台頭してきたことを書いた記事、羽生世代3部作とおまけです。
羽生世代の逆襲
羽生世代の復権
羽生世代の時代
まわるまわるよ時代はまわる
アラフォーの時代
羽生さんの力、羽生世代の力
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電王戦タッグマッチの行方

2014年11月16日 00時56分01秒 | 将棋
またまた間が空いてしまいました。
久々の電王戦ネタです。

《電王戦の行方》《その2》《その3》と書いてきましたが、この件についてかなり深く掘り下げているのがギズモさんのブログ。

電王戦タッグマッチを考える その1 プロ棋士のコンピュータに対する認識の現状をまとめてみる
電王戦タッグマッチを考える その2 プロ棋士がコンピュータの強さを認めない理由とは?
電王戦タッグマッチを考える その3 2つの事例から見る、話し合うことの大切さ
電王戦タッグマッチを考える その4 この棋戦の成否を決めるのは何か?
電王戦タッグマッチを考える その5 連盟を根底で支えているのは何なのか?
電王戦タッグマッチを考える その6 アマチュアに及ぼす影響は?
電王戦タッグマッチを考える その7 今までのまとめ

僕がいろいろストレートに言いたいことを多角的にうまくまとめて書いてくれています。

さて、面白かったこの本の中でも関連する部分が出て来てますね。
渡辺明の思考: 盤上盤外問答
クリエーター情報なし
河出書房新社


対局中の荷物検査、つまりカンニングの対処問題についての質問に対し、渡辺二冠は下記のように答えています。
・現在のところ荷物検査はないけれど、あった方がいいと思ってます。
・携帯の持ち込みを制限しようという話になったのですが、結局はまとまらなかった。
「棋士はそういうことをしない。するわけがない。」という意見があった。
・しっかり検査しようとするとめんどくさいことも多いので、今はモラルに任せると言う意見が多い。
・きっちりしたルールを決めた方が対局者も気持ちいいでしょ、という考え方。
・この一局だけはどうしても勝ちたい、しかも大金が得られる、という将棋で不正をしないと言い切れるか。モラルに任せる方がかえって酷。
・スポンサーやファンがどう見るか、ということもあるので、そういう状態で指している将棋にはたしてお金を出そうと思ってもらえるのか。(ごとげんさん)
・どうやっても抜け道は出てきちゃうので厳しく規制しても完全に防ぐことは不可能。でも最初の一歩を踏み出すことが進むべき方向性を示すと言う意味で重要。
・しかし「ルールは必要ない。と考える棋士が一定数いるので制度化は難しいのが現状。

すべて渡辺二冠の意見に賛成です。
ここまでコンピュータが強くなったわけだから、早急にこういう措置を考えていかないと自分たちの首を締めることになると思います。

次にssayさんのいかにもssayさんらしい最新の記事、《電王戦タッグマッチについて》
ハンセン、ブロディとか、世界最強タッグの話、懐かしいことこの上ないしすっかり楽しませていただきました。
ハンセンとウィリアム・ルスカ、ブロディとモハメド・アリのタッグマッチ?(笑)
見てみたいです。
ペアマッチでハンセンと吉田沙保里、ブロディとやわらちゃんって言うのはどう?

ま、世界最強タッグの話はともかくとして、つい最近、僕の《電王戦の行方・その3》にコメントが来ました。いろいろ話題になっていた電王戦タッグマッチは臨時総会で白紙撤回になったという噂があるみたいです。
ほんとかどうかは全然わからないのですけど、もしそうであれば僕としては一安心です。

まだずいぶん先のことなのだから、棋士や関係者が皆問題意識を持ち、リスクもデメリットも明らかにした上で本当にやるのかどうか真剣に議論を戦わせるべきだと心から思ってましたし何度も警鐘を鳴らしてました。
何の話し合いも持たれないままに理事会とドワンゴだけでどんどん進めていっちゃうと言うのは絶対に悪手だと断言できます。
落ち着いてしっかり議論して判断して、もしやるにしてもすべてを納得した上でやればいいと思います。
一ファンの勝手な心理ではあるけれど、特に棋士の方々の懸命な判断をお願いするしかない大事な局面だし、昔から一貫して大好きな将棋、敬愛してやまない棋士、という僕の中の位置づけをずっと継続できるよう願ってやみません。
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三連休なので仕事の話

2014年11月03日 13時48分27秒 | 仕事
世の中は3連休ですね。
僕もそうなのだけど、いまいちそんな気分でもないし、そういえば3連休だったよな、程度の感じ。
サラリーマンの時ほどの解放感もワクワク感も死にもの狂いで遊んでやるっ!という気概もない。
そう、これはフリーランスの性(さが)なんですね。(個人事業や経営者も)

このブログではほとんど仕事の話は書いてないですけど、あらためて。
長い間(真面目な)サラリーマンだったのだけど、5年ほど前に独立というか、フリーランスになった。

友達など、手に職があって一人でもできるのはいいよな、と言うのだけど、そんなことでもなく、いい歳してどこかの会社に就職とか考えられなかったので、食えるかどうかは別にしてそれしかないしやってみようということでスタートした。

当初は結構暇だった。
個人事業主は何と言っても健康第一ということもあり、毎日のようにスポーツクラブに行ったり結構遠くまで散歩に行ったりしていた。
「毎日仕事に行くと言って家を出て、公園で一日暇を潰してるんじゃないの?」とか友達から弄られたりしてたけど、当たらずとも遠からず。(笑)

とりあえず長年のサラリーマン生活は楽しいこともたくさんあったけど、自分には向かないというか、どうにも受け付けにくい部分がいくつかあった。

ラッシュアワー
(長い)(くだらない)会議
(バカな)(上しか見てない)上司
ネクタイ
組織集団主義のプレッシャー

組織の一員と言えどもそんなことは一切気にせずゴーイングマイウェイでなるようになれ、という生き方もあるけれど元来気が弱いせいもあり、なかなか毅然とはできなかった。
ストレスもそれなりに感じていた。
休みの日でも気になって気になってゆっくりできない日もたくさんあった。

そんな長年の反動もあり、上記一切がなくなった新たな日々は新鮮だった。
快適だった。
ストレスフリーで自由な日々が始まった。

しかし、あまりにも大きかった会社の存在感が一切ないわけで、全部自分に降りかかってくるし、何事も自分でやらなければならない。
これは慣れないしいちいち面倒くさい。
経理とか青色申告とか、営業や企画のこと以外は一切わかんないし。

解放感と責任感と孤独感のバランス。喜びと悲哀。

当初は売上ゼロの月もあったけど、5年も経つとそれなりに相談なりオファーもあって、お陰様で結構忙しい毎日を送っている。
しかし、基本は不安定。
忙しい時と暇な時が当然あるわけだし、忙しいからといってレギュラーの仕事は断ることなんてできやしない。
その分週末で調整するわけだし、サラリーマンの時のような気楽な休みの感覚はない。
週末でも結構仕事してる。
逆に平日でも何もなければ遊んでる。

以前とはまるで違うライフワークバランス。

サラリーマンの時には、趣味を聞かれた時って、あれやこれやいっぱい語っていた。
いかにいっぱい趣味があり、どう熱中してるか、充実してるかをとめどなくしゃべっていた。
そこがないとサラリーマンってやってられないと思っていたこともあり、必要以上に頑張って心血を注いでいた。

しかし、ついこの前、nanaponさんの趣味は?って聞かれた時に、???と考える自分がいた。

もちろん仕事が趣味だなんて答えるわけじゃないけど、どうにも趣味の充実にいまいち頭が行ってない自分がいてハッとした。

まあ、それだけ自分の中での仕事が重いってことだ。

会社が受け皿で何でもやってくれていたのとは、まるで違う現状。

僕個人に頼んでくれるのだから、僕自身の力が問われてる。
せっかく声をかけてくれたのだから、それだけで感謝し、精一杯の恩返しをしたい。
どこかの知り合いの会社にでも声をかければ何とでもなっただろうことを、敢えて個人の僕に頼んでくれるリスク。
それを考えるとただでは済まさない、というか、期待以上の満足感を与えないとどうにも気が済まない。
以前、《時代の仕事観》と言う記事でも書いたのだけど、仕事はこうあるべきと思う。

どこまでやればいいという境界線がない仕事も多いので、それに関しては、
「これくらいにしておこう、これくらいでいいか」、
ではなく、
「えっ、そこまでやるの?」
と言われるくらいのアウトプットをしたいといつも思っている。
できる限り自分らしいブレない仕事の仕方ができればと思っている。


あー、声かけてよかった、そこまでやってくれるとは思わなかった、またぜひ頼みたい、ってことでないと、感謝の気持ちが収まらない。
1万円の売り上げを上げるのだって、個人では大変なんだもの。

ということで土日もなくなる。趣味への傾倒もそこそこになる。
前もって3連休の計画を立てることもなく、仕事もしながらいつもよりゆったりと過ごしている。

とりあえず大変なこともたくさんあるけど、充実して仕事ができているし、自分も今まではできなかった経験をさせてもらい成長できているし、クライアント仕事量も次第に増えてきている。

こういう生活を送れていることに感謝です。

クライアントには、『nanaponさんはいい仕事をしてくれた。』と思ってもらうのより、
『nanaponさんと一緒に仕事ができてとても楽しかった。』と言われたい。

つくづくそう思っている今日この頃です。
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遊び心の神髄

2014年10月29日 12時42分32秒 | 雑感
ついこの前、高校時代の同級生が亡くなった記事を書いたばかりだったけど、今度は好きだった赤瀬川原平さんが亡くなりました。

赤瀬川原平さん死去 「老人力」「超芸術トマソン」
「千円札事件、法廷が展覧会」 前衛バカ、赤瀬川さんが拓いた地平

境治さんも赤瀬川さんに大きな影響を受けたようですごく共感する追悼文を書かれてますのでご紹介します。
トマソンを通じて教わったのはつまり、自由とは何かについてだった?赤瀬川原平さんを悼んで?

赤瀬川原平さんについては、僕も少なからず影響を受け、かなり前だけどセミナーを聞きに行ったことなど、下記の二つの記事を書きました。

路上観察学会
第一感

路上観察会の発想、コンセプトには本当に目から鱗のような衝撃を受けました。

歩く、見る。
路上の観察から、
さまざまな考えが駆けめぐる。
そこで得られた知見は
思わぬ場所に飛び火する。


「路上観察学会とは、路上に隠れる建物(もしくはその一部)・看板・張り紙など、通常は景観とは見做されないものを採取・鑑賞する団体。
 学会という名前ではあるが実際には出版や講演を目的とした出版社(筑摩書房)による文化人のブッキング、マネジメントであり学会的な運営がされていたわけではない。」

「1986年、赤瀬川さん、藤森照信さん、南伸坊さん、林丈二さんらにより「路上観察学会」が結成されました。トマソン、古い洋館、ハリガミ、マンホールなど、それぞれの得意分野の観察で路上を流れていた方々が合流。さらにパワーアップされた視点で、日常からずれているモノたちを採集し始めました。」


こういうのって大好きです。
世の中に何の役にも立っていないこと。
無駄。意味がない。
ほとんどの人にはくだらないし、一生目をやらないで過ぎていくのだけど、
そこに何かしらの価値、意味を見つけて本気で面白がる姿勢。
変に目をギラギラさせて熱中するというよりも、普通に自然に日常の中で目を向けてハテナ光線を発射しつづける変なおじさんたち。

それぞれが、勝手に街を歩き、個々の基準で面白いと思ったものを写真に撮り、その晩旅館とかに集まって、皆で飲みながら品評会をする。
どんな視点をひけらかせて、どんな評価が下され、どんな真面目で変てこな会話が飛び交っているのか、実際に品評会に行ってみたいと常々思っていた。

ここで教えられたのは、真剣に、真面目に、遊ぶ姿勢。
遊びって本来楽しいものではあるけれど、子供の頃のように、集中して、熱中して、もっと楽しさを突き詰めていく中で、自分なりの遊びの魂を追及していくこと。
遊びを一段階昇華させていくこと。

レベルは違えど、そんなことに触発され、このブログでもライフワークとして取り上げている研究課題が下記。
線路内人立ち入り研究
世界前派後ろ派比較人類学研究
電車内生態研究
※特に線路内人立ち入りに関しては、先日も線路内に痴漢が逃げ込んだという事件があったようだけど、そういうことがあると僕のブログのアクセスが急上昇するということになっているくらい、影響力のある研究になっているようです。(笑)

とにかく、人が見たら一見冗談のようなことに、ごく真面目に熱中し、どんどん掘り下げて研究する姿勢。
言わば究極の遊び心。
仕事などはほどほどにしておいて、人生の意味を問い直すくらいにとことん遊びの真髄を極めたいと思っている今日この頃なわけです。

赤瀬川さん、本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りします。
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生き抜く強さ

2014年10月19日 11時58分29秒 | 友達・絆
今年の2月に哀しい雪の日というお世話になったクライアントが亡くなった時の記事を書きました。

今まで何回このような悲しい記事を書いてきたことか、それだけそういう年齢になっているということの証ですね。

おととい、高校の同期の友達O君の訃報が届きました。
同期会の幹事をやってることもあり、年に何回かは前から決まってる飯田橋の飲み屋で次回の会の作戦会議という建前の下、4,5人で集まっていました。

ちょうど二年前のこと。
いつものように集まって飲んでいたら、淡々と病気のことを話し始めたので皆で真剣に聞き入りました。
『検査で胃がんが見つかって、年が明けたら手術をする。
もうかなりのレベルなので全摘して、それでもあと3年も持てばいいって医者から言われてる。』

えっ、何だよ、待ってよ、そんなことニコニコしながら飄々と語ってるんじゃないよ。

いろいろ詳しい話も交えて説明してくれたのだけど、彼の話し方は僕らに気を遣ってる感じではなく、まあ、あと3年らしいから、仕方ないし、どうにもならないし、って重苦しい雰囲気などこれっぽっちも感じさせない口調で語ってる。

時事ネタでも政治ネタでも経済ネタでも、何でもかんでも博識で、いつも皆で感心していたしいろいろ教えられることが多かったO君。
皆よりもちょっと大人の雰囲気を醸し出しているけど、ちっとも偉そうでもないし、ニコニコしながら嬉しそうに滑らかにしゃべってる。
決して意見を押し付けないし、相手の意見もしっかり聞きながら、わかりやすく持論を述べる。
どこか悟ってるような部分もあり、だからこそ僕らは俗人のようにも思えてしまうところもあるのだけど、大きな存在感で貴重な友人だった。

昨年2月に手術をしてからも、皆の集まりには普通に顔を出していたし、食は細くなっていたけど普通にお酒も飲んでいた。
そして、病気になってからもあの飄々とした語り口は幾分も変わらなかった。

もちろん表には出さないで辛く重いことは会ったのだとは思うけど、どうしてあんな風に変わらないでいられるんだろう。
病気の話を聞いてからずっと、僕らの方が動揺しちゃって狼狽えている。

しっかり着実に淡々と。
彼の生き抜く強さにいつも感心していた。

秋晴れの天気のいい週末だけど、火曜日のお通夜を控え、どこか空虚な休日。

もっと一緒に飲んだりしゃべったりしていたかった。
今後の政治や経済の動向について、もっと話を聞きたかった。

まだ、早いってば。。。

合掌。
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名刺が作る縁

2014年10月12日 13時35分32秒 | 雑感
フリーランスになってから、自分でPCで名刺を作っている。
仕事用、個人用、その他勝手に簡単にできちゃうので、いろんな種類の名刺を作っている。

携帯とPCがあればかなりのことは済んでしまうような個人事業主なので、(屋号)、名前、住所、アドレスと携帯番号があれば基本はOK。
シンプルに名前を大きくしたバージョンもあるし、仕事の内容を入れてるものもある。
もちろんブログやfacebookを裏面に紹介してるバージョンもある。

相手により状況により、言ったもん勝ちなところもあるので、名刺でいろいろ遊んでるんですね。

先日、仕事のセレモニー的な集まりがあって、同じテーブルに座った初対面の方々と名刺交換した。
その中で一番偉くて風格のある常務の名刺を出したオジサンが、いきなり僕の名刺の裏面を見て考え込んでる。
そして、顔を上げてこっちを見て、質問してきた。
『あのー、この線路内なんとかっていう研究会はどういう会なんですか?』

おー、来たか、いきなり。
仕事内容とかよりもそこかあ。

初対面で名刺交換して最初の質問がそこというのは前代未聞、生まれて初めてです。

ニコニコしつつ、
『あのですね、線路内に人が立ち入ったので電車が遅れてます、とかよくありますよね?』
『はい、ほんとよくありますね。』
『あれって、どんな人が何の目的で立ち入ったのか、不思議じゃありません?』
『そうですね、いや、ほんとに何であんなに多いんだろうかといつも思ってました。』
どんどん会話が弾みそうで、同じテーブルの他の人たち、常務の部下の人たちも、何という話の展開なのかと、不思議そうな顔で見守っていた。
料理が出てきたり、お酌をしあったりしながらしばし線路内人立ち入りの会話が弾む。
『その研究会は会員はどれくらいいるんですか?』
『あれは痴漢のことなんですか?』
『結局どういう人が多いんですか?』
などなど、常務の興味、疑問はどんどん広がっていき、他の人との話やセレモニーの式次第などかなりないがしろになってしまうような盛り上がりとなった。

ちなみにいろいろな名刺があるのだけど、その日に出した名刺には、裏面に小さく、下記のような魑魅魍魎たる
《5つの肩書き》が列挙されているバージョンだった。(こんなふざけたのでなく真面目なビジネス向けのものももちろんあります。)
線路内人立ち入り研究会会長
世界前派後ろ派比較人類学研究員
電車内生態研究員
外食問題調査学会会員
滅入る句会会員

このブログを昔から見てくれている人は《線路内人立ち入り》についてはご存じなのだと思うけど、これについては数々の突撃取材も含め、かなりの研究成果を収めている。(日本の第一人者を自認)
二つ目の《世界前派後ろ派比較人類学研究》についてはここのところ研究活動を怠っているのだけど、これはライフワークとして常に頭の中にある一大研究テーマである。
三つ目の《電車内生態研究》に関しては、以前の《携帯操作音》のフィールドワークから始まったものだけど、その後も路線別、時間帯別スマホ使用率実態調査、新聞雑誌の凋落問題、シルバーシート関連問題、居眠り状況・化粧状況・食事状況研究、ベビーカー関連問題、などなど、一概に生態と言ってもどんどん研究対象の幅が広がっていてまとめきれないでいるものの地道な事例収集活動は怠っていない。
四つ目の《日本外食問題調査学会》というのは、このブログでは表面的に取り上げてはいないものの、外食のカテゴリーで書いたことを含め、いろんな店、いろんな外食企業についての意見、提言(クレーム)を行っていくことで、健全な外食産業の発展を願うアカデミックな研究活動を目指している。
最後の《滅入る句会》についてはまだ誰にも話したり、取り上げたりはしてないのだけど、去年から始めた“MAIL”で投稿する句会のことです。まだ恥ずかしくて言えないのだけど、人知れず地道に俳句の勉強をしています。

どの肩書きのことにしても、聞かれたら目をキラキラさせて1時間でも2時間でも興奮してしゃべり続けられるようなワクワクするネタです。
これはこのブログのサブタイトルにもなっている
【毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。】ともリンクする僕の大事なアイデンティティなわけです。

この初対面の常務とはすっかり意気投合して、1週間後に会社に伺っていろいろお話をして、次回はゆっくり飲もうと約束もしました。
その場限りの出会いだったかもしれないのに、名刺を渡したことで素敵な出会いになりました。
面白いものです。

《線路内人立ち入り》にしても、《電車内生態観察》にしても、僕がのめり込んだそもそものきっかけは川島さんのブログの素朴な問題提起から始まりました。
きっかけを与えていただいた川島さんには改めて感謝する次第です。

さらにワクワクすること、話したくて仕方ないことを持てるように、広げていけるように、ゆるゆる頑張っていきたいと思います。
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電王戦の行方・その3

2014年10月05日 15時50分19秒 | 将棋
《電王戦の行方》《その2》と書いてきてその続きです。(ほんとにしつこいやっちゃ。)

まず、前回も取り上げさせていただいたギズモさんが、また今回のテーマについて深く掘り下げてくれているのでご紹介します。

電王戦タッグマッチを考える その1 プロ棋士のコンピュータに対する認識の現状をまとめてみる
電王戦タッグマッチを考える その2 プロ棋士がコンピュータの強さを認めない理由とは?

僕なんかの大雑把な感覚的意見でなく、客観的に緻密に広角度から分析検証されてますね。
その3も近日公開のようですので楽しみにしています。

さて、ギズモさんの指摘、主張されていることとかなりかぶりますが、整理してみます。

1.議論することの大切さ
その2の最後でこんなことを書きました。

【どんどん進化するコンピュータとの今後の付き合い方を含め、連盟は、そして我々将棋ファンは、将棋の未来予想図をどのように描いていくのだろうか。
目一杯の想像力を働かせて、360度の議論をすることはとても楽しいと思うし有意義だと思います。
はい、いろんな意見があるようだし、それはそれで面白いし、気軽に一杯やりながら皆でオープンにどんどん語り合いましょうよ。】

ギズモさんも
『「プロ棋士のみなさん、この棋戦について、とにかくまず話し合ってください」と書きました 今のところは、プロ棋士たちが「話し合いの場を持とう、作ろう」という動きは何も見られません。』
と書いています。

橋本八段や小暮さんがあれだけ問題提起しているというのに、一般の棋士を巻き込んでのオフィシャルな話し合いや意見交換会などはまだ行われてないようです。
理事会の姿勢と棋士の意識の問題と両方あるのかと思います。
一人一人が自分事として真剣に考え、異なった意見もリスペクトする形で侃々諤々議論する。
オープンに、ざっくばらんに、ぶつかり合うことも含め、議論を深め、より高度な領域に達して、一人一人の意識や考えも進化していく。
好きな将棋界を発展させていくには、一部の執行部の力だけでなく、多くの関係者の汗や知恵が必要だと思います。
米長前会長の頃のように強いリーダーシップのあるトップが、戦略を決めて、グイグイ皆を引っ張って前進している時には(良い面悪い面あったけど)ある意味仕方ないのでしょうけど、今の理事会の顔ぶれを見ると、もっと皆を巻き込んで力を結集する形で進めて行った方が、と思えて仕方ありません。
理事会も一生懸命精一杯やっているのかと思いますが、どこか一般棋士たちは置いてけぼりになっていている感じがして仕方ありません。

単に体を動かして普及に力を入れるということだけでなく、もっと棋士の意見を集約して、大勢の力を借り、ドロドロになって前進することで、将棋という文化がより広く強く深く社会に根づいていくのだと思います。

いっそのこと、棋士も関係者もファンも含め、賛成派、反対派に別れて、“ニコ生”で“朝生”でもやればいいのではと思ってしまいます。
(すでに出演者の顔ぶれ、番組の構成案、など、密かに妄想しています。

2.電王戦タッグマッチの価値
次に今回のタッグマッチについて。
人類とコンピュータの戦いは決着を見た感があるので、次には人間とコンピュータの融合とテーマに移行ということでこういう案になったのだと思いますしそれはわかります。

5対5の対抗戦の形での電王戦というのは、僕もビックリするくらい、将棋ファンでもない友人が見ていたり進んで話題にしたりするものだから、人類対コンピュータというその話題性の大きさ、その効果たるやかなり大きなものがあったのだと思います。
僕も船江vs.ツツカナ戦などはかなり興奮して見ていました。

しかし、今回のタッグマッチというものはどうなのでしょうか。
一見して筋が悪いと感じるわけだけど、客観的に考えて、誰が喜んで観るのか。
タッグマッチは初心者とかまだ将棋に興味を持ち始めの層にとっては多分魅力は通じないです。
やはりかなりのマニア、上級者で、それぞれのソフトの特徴なども理解した上で観戦すれば楽しみ方はあるのだと思うけど、どうなのでしょう?

これを高額賞金付きのレギュラーの棋戦にして、果たしていいのでしょうか?
今回の狙いとか、ターゲットとか、影響力とかきちんと考えた末の一手なのでしょうか?

3.電王戦タッグマッチのリスク
次にタッグマッチをこのようにアピールして大きなコンテンツにしていくことのリスクやデメリットについてです。
これはもう昨年から何度も言っていることなのですが、要はカンニング的な問題がひとつ。
連盟がこのような棋戦を立ち上げ、子供や初心者も含めタブレットを見ながら将棋を指すという映像を広めていくことで起こりそうなこと。

ギズモさんの記事から再び引用させていただきます。
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渡辺プロがつい最近出した本、「渡辺明の思考」にはこう書かれています
ファンからの質問(要約)「プロの公式戦において、荷物検査はあるのでしょうか? もしないなら、途中で席を立って現在の局面を調べられてしまう可能性があるのではないですか?」
渡辺「まず現在のところ荷物検査はないです。でも僕は、あったほうがいいと思っています。以前、携帯の持ち込みを禁止しようという話になったのですが、結局はまとまらなかったんです。 (中略)こういうことは言いたくないけど、この一局だけはどうしても勝ちたい、しかも大金が得られる、という将棋で不正をしないと言い切れるんですかね。状況によってはその人のモラルに任せるというのが、かえって酷ということもあるのではないでしょうか。 (中略)ただ、『ルールは必要ない』と考えている棋士が一定数いるので、それに関しては強く言えない部分があります。」
電子機器の持ち込み問題について、今はまだ何も明文化された規制がないんですね・・・
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プロ棋士も含め、人間は弱いものです。特にお金が絡んだりするとほんとに脆弱です。

受験勉強をしていても、わからないと自分で考えずにすぐに答えを見てしまうというのは自分の経験も含め、十分にありがちなことです。

棋士はそんなことは絶対にしない、という見方もあるのでしょうけど、渡辺二冠も危惧しているようにいろんな危険をはらんでいます。
電子機器を持ち込まないだけでなく、昼休みや夕食休憩に食事に外に出たりするわけなので、誰とも話してはいけない、と決めないといけなくなる。
つまりは競馬や競輪の選手のように試合中は一切外部との連絡禁止、外出禁止で閉じ込められる、ということにしないと不正に対しての措置は完璧とは言えないでしょう。
大和証券杯のような自宅でも対戦できる棋戦はもう成立しないと言えます。

そんなリスクのことを衆知を集めて十分に検討したのでしょうか、ということです。

小暮さんたちがあれだけ覚悟を持って警鐘を鳴らしているし、一般将棋ファンもギズモさんのように真剣に、深刻に受け止めている意見もあるのだから、それに対しての連盟なり理事会の意見や反論があるべきだと思うし、百歩譲って、棋士の方々とざっくばらんに議論するというのは必然手だと思うのですが、いかがでしょうか???
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回転寿司の裏側

2014年09月29日 20時23分07秒 | 外食
100円のところはなかなか行かないけど、もうちょっと高めのところ、時々行きます。

回転寿司と言っても、今まで一度もまわってるネタを取ったことはなく、前にいる人に、(例えば)アナゴと中トロとホタテ、とかって頼むようにしています。(皆、大体そうですよね?)

先日閉店間際に行った時のこと、結構ショックなことがありました。

一番キッチンのそばの端っこの席に案内された。
レーンが、というか、寿司が現れるところ。
ちょっと先に寿司が消えていくレーンもある。

つまりキッチンの中が少しだけど垣間見えるんだな、これが。

そして、衝撃の事実というか、外食産業の裏側を見てしまったんです。

目の前の人に頼んですぐに本人が握ってくれることもあるけど、アナゴとか巻物とか、ちょっと別の範疇のものは他の誰かに頼んだりしてるでしょ?
そしてどこかから届いたやつを出してくれる。

誰かが握ったり作ったりするのは直接見ていないですよね。

見ていたらキッチンから手渡しで回っていくものがあった。
キッチンで作っているのか、と思って注視していた。

そこにマジックがあった。
家政婦は見た。

頼まれたネタを自分で作るのではなく、レーンの上に乗って戻ってきた(何週か回ってきた)皿をとって、形を整え、表面に水をつけて乾いたのを修正し、出していたんです。

おー、やるじゃん。

捨てなきゃいけないものを効率活用。

終わり間近だっかからそうしたのか、一般的な荒利アップ作戦なのかわからないけど、
そうか、そうしていたのか。
やるもんだ。

もちろんチェーンによって、店によって違うのだろうけど、こんなのは当たり前なのか、と思ってネットを調べてみたところ、あるある、いろんな裏側情報が。

回転寿司の裏側というサイトに書いてありました。

★流れている寿司を再利用する
おそろしいですね。流れて乾きかけたネタを塩水に浸してもう一度握りレーンに流す。こうすると見た目は全然わからないというかよりいっそう新鮮に見えます。もしくは、霧吹きで水をかけたりする方法もあります。


こんな情報↓もあったし、他にもいろんな裏情報が載ってました。
ヤバすぎる「某100円回転寿司」の裏側

まあ、仕方ないといえばそうだけど、実施に現場を見てしまったので、当分足が遠のいてしまいます。
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電王戦の行方・その2

2014年09月20日 19時21分51秒 | 将棋
前回の記事、電王戦の行方では、いろいろ言いたいことを放電(?)のように書いてしまいました。

この記事についてはギズモさんの記事、《電王戦タッグマッチについての意見表明》の中で取り上げていただきましたね。ありがとうございました。

ギズモさんはこう主張されています。
【とにかく、プロ棋士のみなさんは、まず議論をするべきです 話し合いもなーんにもなくて、ただ川上会長と谷川会長の間だけで、こんな大棋戦が成立しそうな流れになってるじゃないですか
もう連盟のページにも、2016年からこの棋戦を作る、と書いてありますしね
まず、理事会、そして臨時の棋士総会を開くべきです 
こんなときのために理事は居るし、棋士総会もあるのでしょう?

棋士のみなさん、今、考えないとダメです 賞金をもらって既成事実ができてしまってからでは、遅いんです
<中略>
利益追求の株式会社ではない存在、日本将棋連盟という公益社団法人を、今こそ、正会員であるプロ棋士のみなさん一人ひとりが守ってください! この一件、本気で考えてください!】

     
すでにおわかりのように、もともと僕は温厚かつ柔軟な受けの棋風ゆえ、棒銀でガンガン攻めていくのは気が弱くて向いてないです。
なのでいろいろ書きましたが、基本は真っ向から反対意見を述べているのでなく、本当にいいの?この方向で進めちゃって大丈夫なの?と要らぬ心配をしているおせっかいなオジサンなわけです。

そんなことで今回の電王戦のタッグマッチに至る経緯のところで、ちょっと掘り下げて考えてみたいと思います。(しつこい。。)

まず、本筋とは別の結構新しいことをやるのであれば、それなりの事前の準備を十分にしたのでしょうか?という疑問。(もちろん十二分にしました、ということなのかもしれないですけど。)
いろんな角度から、リスクやデメリットも検証した上で、どれだけファンが支持してくれそうな棋戦(イベント?)になるのかどうか。
そのあたりのマーケティングも十分にやった上で、関係者の意見も聞いて議論を十分しつくした上での自信を持った判断なのであれば何も言うことはないと思います。

コンピュータがどんどん強くなってきた時点で、連盟としては将棋、あるいは棋士とコンピュータとの親和性について、あるいは関わり方について、どのようなビジョンを描いてきたのでしょうか。

米長前会長がいろいろな指針を出して、基本的な方向を作ったのだとは思いますが、さらに加速度的に強くなったコンピュータとの付き合い方について、まだ議論が足りてないのではないかと思えて仕方ありません。

もともとこの電王戦。
人類対コンピュータの異種格闘技として話題になり、新しいファンが増えたことは間違いない。

しかし、これからのタッグマッチも含め、これを連盟が目指す新たな方向性として位置づけることはどうなのか。
タッグマッチを多額の賞金を誇る棋戦のひとつとしてフィーチャーしていくことはどうなのか。

素朴な疑問なのですが、スポンサーがつく前から、人間とコンピュータの対決をして、異種格闘技のように盛り上げて、新たなファン層の開拓をしたら面白い、普及の大きな柱になるって発想はあったのでしょうか。(米長前会長はそのように描いていたのですかね?)
ドワンゴさんとは関係なく、棋士とコンピュータがタッグを組んでタッグマッチをやったら面白い、それを棋戦の一つにしたら面白い、って以前から考えていたのでしょうか。
どうしたらより普及を進められるかという課題に対して、真剣に議論を重ねていった中で、コンピュータとの関わりを持ち出すことが有力な一手だという結論なのであればまだわかります。
自らやりたいことにスポンサーが理解を示してくれて協賛してくれるのでそれは渡りに船ですから。

でも、そんなこと全く考えてもいなかったけど、たまたまこういうオファーがあったので、面白そうなので乗りました。
お金も入るし、普及にもなるし、という後付け的なことだったのであればそれはどうなのでしょうか。

こんな言葉があります。

「成功する新事業というのは、
どうしてもやりたくてやりたくてワクワクすること。
後ろから羽交い絞めされてもそれをはねのけてまでやりたくて仕方ないこと。」

そういうことであれば結果うまく行くのだ、という金言です。
逆に言うと、それほどの情熱とか、いわゆる使命感がなかったらなかなかうまく行かないということ。

もちろんマーケットやニーズがあることが前提だけど、こうであれば、結果はうまくいく、という話です。

つまり言いたいのは、このタッグマッチというものを本当にどうしてもやりたいことなのかどうかです。
本気度。必死度。

それほどやりたいわけでもないし、いろいろ問題はあるけど、メリットもあるからちょっとやってみよう、というのでは腰が引けてるし結局はうまくいかなくて頓挫することになる。

将棋の発展ということ。
そもそも将棋は何のためにあるのか。
ちょっと広げて言うと、文化は何のためにあるのか。
文化が発展するということはどういうことなのか。
単にファンの人数が増えればいいのか。

将棋の本質的な価値。
将棋のリテラシー。
世の中における影響度、ブランド価値。

日本の伝統文化ということを考えると、サッカーやチェスとは違って、相撲と共通する部分があるのかもしれない。
どんどん世界に出て行って“JUDO”のように変化しながらもインターナショナルな“SHOGI”になっていくことや、どんどん進化するコンピュータとの今後の付き合い方を含め、連盟は、そして我々将棋ファンは、将棋の未来予想図をどのように描いていくのだろうか。

目一杯の想像力を働かせて、360度の議論をすることはとても楽しいと思うし有意義だと思います。
はい、いろんな意見があるようだし、それはそれで面白いし、気軽に一杯やりながら皆でオープンにどんどん語り合いましょうよ。
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