波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

第15回『ほんのおつきあい』全記録【その1】

2019年12月14日 | 読書

11月24日の読書交流会の記録。昨年と同じく12月末は忙しいので休み、これが今年最後。来年は1月26日(日)開催予定。5点満点のお勧め度を★マークで。

SN(女) ドキュメンタリー『真冬のタンポポ』(双葉社:近藤恒夫)、筆者は、覚醒剤経験者、薬物依存者のためのリハビリセンター「日本ダルク」代表。日本は先進国で薬物依存の対策が最も遅れていて、病気でなく処罰対象。覚醒剤使用の恐ろしさや苦しみ、生々しい使用実態。薬物依存者にとって孤立が一番だめであり1日3回話し合い寄り添う「ダルク」=全国で66ヶ所あり、国からの支援と同時に介入を避けるため各々独立組織。芸能界と政権の関係が取り沙汰されているがあり得そうだ。今までも犯罪者の心理に関するドキュメンタリーを読んでいるが、やはり自分の知らない世界だから手に取った★5。
『私にありがとう』(ダルク女性ハウス委員会編) 、ダルク女性ハウスの活動記録★4。
写真集『追憶の鉄路』(北海道新聞社:工藤裕之著)、副題「北海道廃止ローカル線写真集」。作者の宗谷線を無くしちゃいけないという思いに共感、昔からの知人★5。

(次回に続く)

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こめの学習帳19頁目【黒い塊】

2019年12月13日 | 【保管】こめの学習帳

黒い塊

マルチタスクは良くない、シングルタスクが良い、と聞く。要するに、何かをする時にはいくつかのことを同時並行にではなく、1つのことに集中してやるべきだということだ。ならばそうしよう、と思っても、実行できるとは限らない。

                 ・・・・

振り返ると、自分の自宅での行動は全てのことがマルチに進行している。開け放たれたクローゼット、洗い残したフライパン、ラップをして冷蔵庫にしまわれるのを待っているスープの残り。終わってから次のことをすれば良いと思うのだが、完了する前に何かを思い出し、それに取りかかってしまうのだ。

                 ・・・・

シャワーを浴びて脱衣所から出ると、さっき干した洗濯物が目に入った。その一ヶ所に、黒い塊が見える。眼鏡をかけるまでもなく、干し残した下着だと理解し呆れる。一体自分がどんな動きをしているのか。自分の行動を録画して観察してみたい。ちなみにこれを書きながら、空になった炊飯器を洗っていなかったことも思い出している。

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『ヤクザの幹部をやめて、うどん店はじめました。』を読む

2019年12月11日 | 読書

名『ヤクザの幹部をやめて、うどん店はじめました。』(新潮社:廣末登著)で思わず買ってしまった。「泣く子も黙る武闘派組織・元専務理事が 『元暴』返上めざして 今日も感謝で営業中!!」と帯に。うどんの話はちょこっとで、社会学の視点で犯罪者更生の環境と実際に光をあてたドキュメント。筆者の「いかなる立場の方であっても、憲法に規定された権利が主張でき、義務が履行される社会が『健全な社会』、例外が生じてはいけません」による一冊。

本で唯一の「特定危険指定暴力団」工藤會元幹部、カタギ修行奮戦中の中本サン。ヤクザになるまでの家庭環境や修行時代、刑務所生活、親分子分の関係、組織離脱後の難しさ、うどんのこと忘れて読む。後半で、うどん店開業とそれを受け入れた商店街の奇跡のような話。一杯のうどんを提供する心構えに立ち止まる。中途半端で無く、一生懸命やっていれば見てくれる人、助けてくれる人は必ずいると中本サン。

い懲役を支え、逆風に耐え、挑戦と勇気をもらった言葉「人に勝つ道は知らず。我に勝つ道を知りたり」(柳生宗矩『葉隠』)でしめくくる。今日は昨日より腕が上がるというように、一生かかって日々を仕上げるのが道で終わりが無い。人間を磨くことも、うどんを作ることも終わりが無いのだと。


怖い人というのは、一度口にしたら必ず実行すると思わせる人間のこと、暴力を振るう振るわないとは違うという下りで考えるものあり。

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言葉のケイコ【その拾壱】

2019年12月10日 | 【保管】言葉のケイコ

ほんのおづかい

付き合っていた人に、自分では思いもかけないことでほめられたことがある。「人の目の前を通らないで移動した」こと。水槽があって、その前に人がいる。でも水槽とその人の間は結構あいている。あいているけれど、私はその人の前を通らずごく普通に後ろを通った。その姿をほめられたのだ。だいたいの人がそうするだろうことをほめられたことに、嬉しいけれどなんだかむずがゆい。でもこういうささいな気づかいに気づいてもらえることが幸せだなぁと思ったので、それ以降は私も気づける人になろうと決めた。それは結果的に仕事に活きたと思っている。

日の読書交流会「ほんのおつきあい」にて。休憩中にコーヒーとプリン(グレードアップしていてとろける美味しさ!)をいただき、後半へ。途中、ある方がコンコンと咳をした。しばらくしてまたコンコン。するとママヨさんがすっと立ち上がり、台所へ。話の邪魔にならないように、そっと水をその方の前へ置く。その一連の流れがあまりにも自然で、私はとても感動した。そのままの流れでママヨさんはほうじ茶を全員に淹れてくれて、それがあたたかくて美味しくてまた感動した。きっとママヨさんにとっては当たり前のことだから注目なんかされたくなかったかもしれないけれど、この素敵なおきづかいも、「ほんのおつきあい」の魅力だと思うのだ。素晴らしきプリンとともに。


【波風氏談】画像イラストは、10年近く前のママヨさん。咳をしていたら「水を・・・」で思い出し、探した出した。ケイコさんの記事を読み久しぶりに玉子プリン作る。練乳作りから始まるのが波風氏特製の「思い上がり」プリン。

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納得、『思い上がり』

2019年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 

作っている年賀状の文面。「・・・鍋焼きうどんや煮ゴボウ天うどんのヒット商品も生まれた真心と思い上がりの波風食堂。このジコチュウなゴッコ遊びを・・・」と書き、『思い上がり』を辞書で引く。「実際より自分をえらいものと思う」(新明解)は全くつまらない。期待しなかった広辞苑だが、さすがだ。

           

ういう語意が欲しかった。うぬぼれと思わせておいて実は「高貴性」を隠している、いいね。こういう諧謔。それに比べ『波風新聞 面白荘』は、いかにものの感じでうっとおしい。『思い上がり通信』なんてのが悪くないなあ。

                                            

分は価値ある者と思わなければ辛い。自信は自分を信じること。教育の目的「人格の完成」の意味がここに。人前では「私なんか・・・」とママヨさんみたく自信なげな態度が好まれるが、他人の評価を気にし過ぎると自分の所在がわからなくなる。それにしても、言葉ひとつでものの見方、心のありようが変わる。面白いなあ。


意味は無く思いついた語呂合わせで、ねほりんはほりん石垣りん。「石垣りん詩集」(岩波文庫)を時々開く。なんにもいらないと繰り返し、「いらないはずのべべをきて いらないはずの年とって いのちひとつをもてあます そのゆたかさをもてあます」(「すべてはほしいものばかり」の一部)。心底自分を客観化しそれを言葉にできる人を詩人と言うのだなあ。

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