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波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

文字をやりとりする。

2025年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム

文字を受け取る ❶美術館へ行って来たと絵葉書(山本二三展)もらう。老いてわけが分からなくなって玄関前に立ったら握り飯をもらう約束した人から。デザイン的文字がかわいらしい ❷ブログから感じる「波風立男氏は『いい男』」だと思う5つ。小4の時の教育実習の先生(84歳)から。さすがに照れる。堂々とした点画揺るぎない迫力に圧倒される ❸『縁』の不思議さありがたさ。亡くなるまでずうっと見守ってくれていた中学時代の恩師の娘さんから手紙。奥様に届いた波風イラストのことや近況を可愛らしい文字で ❹「南中ソーラン」のことで取材に来られた方からレポート届く。ソーラン踊りの源流探り文化だけでなく教育の意味を考えさせられる。一度の接触が惜しい気がする ❺配達の郵便局員さんに、「えっメロン?北海道に?」と聞いた届け物。詳しいことはあとで手紙に、とメモ ❻黒うさぎの絵葉書いただいた方に、波風珈琲を飲みに来てくださいとお礼のハガキを出していたら、珈琲代の前払いですと本とマチスの絵葉書。こんなにしてもらわなくても、と思いつつ読み始めたら、イラストも文章も装丁もこんなに素敵な本が浮かばない。 

文字をせっせと送る 何かをいただいたら自作の絵葉書にお礼を書いて送る。電話でお礼するのが大の苦手なのでこの波風流を10年以上通していたら相手も慣れたのか電話のお礼はほぼ無くなった。めでたしめでたし。身辺素材のイラストと金釘流の文字で、せっせと礼状を送る。ポストに礼状を入れると気持ちがホッとしいただいた食品も喉が通りやすくなる(笑)。レポートとか論文は読み終わるまで礼状書けないのでやや難渋するが、感想込みの礼状書き終えた満足感は何とも言えない晴れ晴れしさ。昨日、6枚の礼状出し終えた。

文字の交流をする 昨日、第49回目の読書交流会『ほんのおつきあい』。一人一人が、書き言葉を読んできて感想を話し言葉で口にし、参加者の6人(本人も自分の感想を自分で聞く得難い機会)がそれを静かに耳で聞く。こう書くと「それがどうした?」なのだが、波風氏にも参加者にもこういう機会はかつて無かった。月1回の集まりが、暮らしの中に『読書』を意識させる。「いろんな本があるんですね」とか「全く本を読む習慣が無かったけれど、読もうという気持ちは出来て来た」などの感想も。※近日中に、前回と今回の交流記録を掲載予定。


画像は、目玉焼きを乗せようと食器棚から引っ張り出した時に誤って割ってしまった白い平皿。40年前に今はない西武デパートで奮発して3皿買って大事にしていたのについに最後の1枚も割ってしまったhabitato 描いたのでやっと捨てられる  今日の午後は、ブログの引っ越し予定。上手くいけば良いのだが・・・・。

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第49回『ほんのおつきあい』開催のご連絡

2025年05月22日 | ご連絡

直近のご連絡となりましたが、前回参加者の方々は忘れずにいてくれると思いますが、久しぶりの方や初めての方もいるかも知れないと思いお知らせいたします。

■日時 5月25日(日)14時~
■会場 波風宅
■内容
 ・参加者各自が読んだ本の内容と感想を紹介
 ・感想の最後に、5段階評価で採点も(未だかって2以下無し)
 ・一人15分程度で。1冊メインで2~3冊の紹介も可
■その他
 ・参加費200円(子ども食堂応援費)
 ・聞くだけ参加も歓迎
 ・途中までしか読んでなくてもOK(笑)

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縁を削る言葉

2025年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム

少し前に、我が家は米貰ったので良かったと知人のSNSに。他人に気配りできる人が、こんなの書いちゃいけないよ。馬鹿な政治家の「米は貰ってる。売るほどある」とは比較にならないが、前回記事の「傘を持っていって良いよ」と真逆の、ふと口に出た言葉。人は実力プラス、運と偶然と支えてくれる人の存在で幸不幸が決まるが、幸運を引き当てた喜びを誰かに伝えたかったんだろうなあ。農政トップの大馬鹿政治家は論外だが、誰でもそうした誘惑は持っていて、失言も善言(波風氏の創作ことば)も生まれながらの個性と育ちによる自己評価が為せるのだろう。

体調はどうなの?と聞かれ、糖尿病で高血圧ですと答えたら「私はどこも悪くないんですよ(笑)」と返され、かろうじてお世話になった感謝の念は完全消失はしなかったが、「遊びに来て下さい」と言われても「では今度」と言いつつ絶対に行かない(笑)。波風氏は、「思いやり無し自己陶酔言葉」を3つ以上いただくと、自動的に「縁の無い人」スイッチが入るようだ。体調万全老人には相当数の失言をもらっていた。
結婚、子ども、孫、親なども、ある人には幸福の種で、ある人には悲しみの種。健康や収入も同じ。老いると生きがいの有無が加わる。偏見かも知れないが、SNSはほぼ自己満足・自己評価の道具。このブログ14年になるが、人のうらやむ幸せは書かないと決めている。貧乏老人のセコセコ日記が目標。ブログを読んだ妹から「お兄ちゃん、お金無いの?大丈夫?」と心配されたりする(笑)。

ブログは、偉そう、マウント取りたがり、格好つけを自己評価できる絶好の道具。その意味では、SNSもブログも発信者の人間性を明らかにするとても怖い道具。そして何より怖いのは、勘違いの自己評価を自己満足で晒し続けること。そう書くと、波風立男氏その人と思えてくるから困ってしまうが。
あらためて、もう老人なんだから世界の人々を優しく見守らなくては、自分自身の偏見と独断と自己満足に鋭い「波風」を「立て」続けたいものだ。うーむ、なんて立派な志だろう・・・と危ういしめくくりをするのであった。


人生で一番悲しかった時に受けた言葉で、縁を閉ざす結果になったのは意外に身近な方から。思う、悲しみの人に救いの心を心を持てる人に、優しく正しい言葉を伝えられる人になりたい 貧乏な兄は心配する妹に、「払えるけれど貯まりはしない」と答えた。妹の連れ合いは波風氏と同職業でそこらはわかるはずだろう、と兄は少し心配するのであった

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言葉の背景

2025年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム

親切にされた記憶。小学校5年生の夏だから10歳の思い出。夕刊配達していて土砂降りの夕立にあい必死の雨宿り、新聞を濡らすわけにはいかない。軒先に身を隠すように佇んでいたら数字読み上げの声に合わせてソロバン弾く音。そろばん塾だった、ここ。真ん中あたりに座っていた女の子と目が合った。同じクラスだけど話したことのない人。
いつになったら止むのかなあと思案していたら、その人がすぐ横の玄関から顔を出して「たてお君、これ持っていって。私はうちが近いから大丈夫だよ」と赤い傘を差し出した。さっぱりした感じで笑顔で渡して直ぐに戻っていった。

優しさの記憶。どうやって傘を返したのか、まったく覚えていない。その人の他の思い出も浮かばない。家で親に話したら、立派な人だね、たておもそういう人間になって欲しいと言われた。
この遠い思い出は消えることが無く寧ろ濃くなっている。立男の「そうありたい人間観」の始まりであり生き方の芯。人が困っている時に助けられる人間になるという難問の。

とっさに出る言葉を思う。行動はもちろんだが、「持って行っていいよ」を咄嗟に口に出せる個性や育ちの環境を思う。老いたからこそ敏感になる年令無関係の人情の機微。少し前、挨拶だけの間柄の近所の方が突然亡くなり香典を持って行き初対面の娘さんが挨拶に来られた。何か困ることがあれば言って下さい、出来る事ならやりますと言ったら「心細いなか、その言葉だけで励まされます」とマスクの顔の眼が微笑んでいた。赤い傘の女の子を思い出していた。亡くなられたお父さんの丁寧な除雪や清掃、きちんとした身だしなみが浮かんでいた。


とっさの言葉は、取って付けた対人技法などは通用せずその人の本質が人生が裸で露出するのかもしれない。とりわけ辛く悲しい時にかけられる言葉は普段の数千倍のぬくもりにも鋭い針にもなる。「もしもの時」とは、生死の境い目ではなく、日常に生起する隣人家族との喜怒哀楽のよりそいの瞬間瞬間かもしれない 息子が家族を成して久しぶりの里帰り。「もっといたいなあ」と息子、「いや予定通り帰ってください」とママヨさん(笑)

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剪定ばさみを描く

2025年05月15日 | 図工・調理

義父の道具箱にあって一番目をひいた剪定鋏。片手で使うのにギリギリの重さ、鉄の錆を飾る剥げた赤い塗料、そしてカブト虫やサイの角を思わせる刃と繊細なバネと握りの微妙なカーブに心躍る。
未踏の開拓地でどんな枝を切ったのだろう、必死な藪の除去や原生林の伐根の時期を過ぎ、細い枝を相手にする時代が来たのだろうか。

その地を初めて訪れた時、ママヨさんの家族は既に離農し家屋も無かった、ここからあそこまでがうちの土地だったと聞いても理解できず、ただただ左右天地どこまでも広々と延びている牧草地だけがあった。「ハイジの世界だ」と言葉が出ると同時に、ここまでの平地にする労働と暮らしを思った。土と汗と握力で使い込まれた尊い鉄の道具。桜の板を削ってこれを収納する箱を作ろうと思う。


波風家の記憶を言葉とイラストで書き残せた。忘れ物を見つけて目につく場所に置きなおせたようなホッとした気分 スマホ会社のポイントをしみじみ集めている(笑)。このブログに訪問してくれる方が1000人超えた(5/14現在の5月訪問者数1357人)ので100ポイント当たった。読者の皆さんのご支援と運を感じる素敵な今日の朝。

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