社会的な信頼や信用と言うのは、お金では買えない。
つまり、買い戻すこともできない。
仕事場を、プライベートエリアのようにして、
他人の手が入らないようにしていた同僚が任されていた仕事を、
ほとんど処理できてもいないことが発覚し、
手遅れ寸前になったことがある。
その同僚は、ものスゴい騒ぎになっても、まだ言い訳していたけど。
それどころではなかった。
(前回の続き)
一般的な社会人であれば、「自分の仕事」が、
会社や組織を支えているという想いは、自負であり、やりがいとなる。
だから、仕事に関わる人間とウマがあうのは望ましい。
しかし…。
ある程度、生きていると、
ウマがあわない人と言うのがわかってくる。
こちらに、何も含むところがなくても、
相手が、自分とはウマがあわないと感じているのが分かってくる。
「よし、お互いにハラをわって話し合おう」などと言っても、
お互いに、すでにため込んでいるものがあり。
ハラをわったら、ドス黒いものが、吹き出しかねないときもある。

それに…。
他人を嫌うのには、十分な理由などないのかも知れない。
普段、自分が使っている座席に座っていた。
自分と同じ銘柄の煙草を吸っていた。
自分より、高級なスーツを着ていた。
…などのツマらない理由で充分なのかも知れない。
むしろ、他人との交友を築くのにこそ、理由が必要なのかも知れない。
だから、大人の世界では、色々と割り切らないといけないときもある。
目の前にいる相手に罵詈雑言、悪口雑言をブチまけるなどの行動や言動をすれば、
相手によっては、とんでもない騒ぎや状況となる。
騒ぎが飛び火すれば、誰かが火消しにまわる事態になる。
<続く:2017年4月改編>