二日酔いを意味する英語の「はんぐおーば(a hangover)」
まあ“酔っ払い”の言うこと。by.NA-094
はんぐおーば
70年よりも前の話:(後編)
地球上の大陸は、プレートの上に乗っている。
これは、巨大な自然のメカニズムであり。
太古に、このプレートが移動したことで、
現在のインドにあたる大地とユーラシア大陸が押しあって、
盛り上げられ(押し上げられ)ることで、ヒマラヤ山脈になった。
そして、現在のインドは、総人口が13億人以上で、
国土は、日本のおよそ9倍もある巨大国家。
お釈迦様(ブッダ)の生誕の地にして、
数字の“0(ゼロ)”を発明した国でもある。
(前回からの続き)
17世紀後半、ユーラシア大陸の勢力には、
オスマン帝国(現在のトルコを加えた大帝国)、
サーファヴィー朝(現在のイラン)、清王朝(中国)に加えて、
現在のインド周辺は、ムガル帝国があった。
1526年
チンギスハンの子孫を名乗っていたティムールの親族“バーブル”によって、
“ムガル”というイスラム帝国が、北インドを拠点として成立する。
当時、北インドは、イスラムの王国があり。
南インドは、ヒンドゥー教の王国があったけど。
ムガル帝国の勢力は、中央アジアから、インド北部へと伸びていく。
バーブルは、父方がティムールの子孫で、
母方は、チンギスハンの子孫であったが、
本人は、ティムールの子孫であることを強調したと言う。
ムガルとは、モンゴルの意味で、他の国がバーブルの国を呼ぶときの名称であった。
その勢力を、安定し、拡大させたのは、3代皇帝アクバルの政策にある。
帝国の役人に官位を与え、
維持する兵数などを定めたマンサブダール(官位・軍事)制。
そして、官位に応じ、土地を割り当て、
税を徴収する権利を与え、財政での安定を計っていくジャーギール制であり。
やがて、インド全域を支配領域としたムガル帝国は、最盛期を迎える。
支配領域が拡大しすぎた帝国は、税収を得るために
異教徒に課す税(ジズヤ)を復活させるも、
これが帝国への求心力を失わせていく。
地方勢力での独立や反乱が勃発させることになる。
そこにインドに進出していた東インド会社が加わっていくことになる。
1600年に設立された大英帝国の東インド会社。
18世紀、東インド会社は、軍事や財政での援助と引き換えに、
各地方勢力の税収を得ていく。
19世紀には、このまま、東インド会社による統治へとなっていく。
そこで、ムガル帝国を筆頭にした反乱が起きるも、制圧され、
300年以上も続いたムガル帝国も終焉する。
その後、東インド会社は解体され、大英帝国による直接統治へとなっていく。
1877年、大英帝国の領内として、インド帝国成立。
ヴィクトリア女王が、インド皇帝を兼任することとなる。
(今から、140年前の話。)
その後、大英帝国からの植民地支配は、70年も続くことになる。
蛇足:
さて…。
お気に入りのインドカレー店では、
ランチタイムにセットメニューを頼むと、
食後にドリンクを選ぶことができる。
今回は、ヨーグルトの飲料である“ラッシー”を頼むことにした。
日本で生活していると、ヨーグルトと言えば、
ブルガリアやギリシャ、カスピ海など、欧州圏のイメージがあり。
ちょっと不思議な気分にもなるけど…。
ヨーグルトとはトルコ語。
はるか昔、トルコ民族は、モンゴル高原に住んでいた。
モンゴルの遊牧民と言えば、もちろんモンゴル系が思い浮かぶけど
かつては、トルコ系遊牧民も住んでいた。
彼ら遊牧民は、馬の扱いに長け、
その高い機動力、戦闘力に目をつけたイスラム勢力が傭兵として、
引き入れていく。
ムガル帝国も、このような流れにあるイスラム勢力の1つで、
遊牧民の食べ物だったヨーグルトも、一緒に支配域へ広まっていく。
この発酵食品の起源は、他にも諸説あるけど。
ヨーグルトは、トルコ人の食べ物であり、
口当たりのいい酸味があるラッシーは、
スパイシーなインドカレーとの相性が素晴らしいところ。
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70年よりも前の話:(前編)
ここ数日、気分の良くなるような天気に恵まれ、
ビールでも飲みたい気分になった。
昼間から、ビールなど飲んでいれば、印象も悪いだろうけど。
馴染みにしているインドカレーの店なら、
まだ来店客も集中していないランチタイム前に、1~2杯飲めるかな?
(関連する過去の記事)
さて、インドと言えば、古くから中央アジアへの出入口でもあり、
異文化との交流や交易が行われ、多種多様な人種と言語が存在する。
今年(2017年)は、インドが大英帝国の支配より独立して、
70年目を迎えることは、すでに記したけど。
(関連する過去の記事「塩を求めて…。」)
それ以前のインドは、どんな国だったのだろうか?
紀元前2600年頃、インダス川流域で都市文化が始まり、
現在のインドの源流となるインダス文明となる。
インダス文明は、インドの先住民族ドラヴィダ人により栄え、
周辺地域の中心地となっていく。
世界四大文明のひとつ、とも言われ、
モヘンジョダロの遺跡などでも知られるインダス文明だが、
紀元前1500年頃に衰えていく。
そして、紀元前1500年頃になると、
インド北西部から、騎馬民族、アーリア人の勢力が鉄器を用いていくことで、
部族間抗争と淘汰が進み、インドは小国家の時代になっていく。
アーリア人が信仰していたバラモン教は、
民間信仰と融合して、ヒンドゥー教が生まれ、
現在では、約8割のインド国民が信仰している。
インドの社会制度であったカースト制はバラモン教の制度で、
古くは、バラモン(司祭)、クシャトリヤ(武人)、
バイシャ(平民・農民)、シュードラ(奴隷)の階層からなっていた。
現在のインドは、憲法によってカーストによる差別が、
禁止されたとは言え、まだ身分制度も残り。
土地ごとに宗教的背景も異なる。
これが食文化にも影響していることから、
インドでは、ボンベイ料理、南インド料理など、
土地の名を冠した料理名が用いられている。
紀元前6世紀頃、インドは小国家の形成期を迎え始める。
やがて世界三大宗教となっていく仏教も、この時期に誕生する。
インド初の統一帝国を成立させたマウリヤ朝のアショーカ王も、
仏教の思想に影響を受け。
このように広まっていった仏教の影響を受け、
ガンダーラ地方でギリシャ風仏教美術が産まれ、
中央アジアを経由し中国、そして日本にまで伝わっていった。
マウリヤ朝に続くグプタ朝、次のヴァルダナ朝により、
インドの古典文化はほぼ固まっていく。
この時代に、数字“0(ゼロ)” の概念や数式も発明される。
(2019年2月加筆:続く)
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