普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

専業、兼業主婦の役割

2008-10-03 16:15:54 | 政策、社会情勢

 私の尊敬するブロガーの一人である大谷さんが、草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN の、[日本弱体化の標的となった日本女性]で最近半ばタブー視されていた?女性の問題をとり上げられていた。

 それで私も母の例を取り上げて、女性の役割を考えて見た。
[私の母]
 前にも何度か書いたが、戦前の父は新日鉄の前身の製鉄所で職夫という今で言えば、工員と契約社員の間の地位の僅かな給料で夫婦と食べ盛りの子供5人を支えていた。
 今思えばかなり貧乏な暮らしだった。
 今でも覚えているのは私の弁当のおかずの定番は、鰹節に醤油をかけたものか、海苔の佃煮だった。
 学校から帰ると、いつも母が居て、当時は、洗濯機などの家電製品は全くなかったので、盥(たらい)と洗濯板で山のような子供の服をごしごし洗濯しているか、七輪を使って料理をしているか、子供達のための毛糸を編んでいるか、あるいは家計を助けるための色々の内職をしていた。
 しかもその合間には、漬け物や味噌を作り、雛祭りには雛壇はないが甘酒、5月に鯉のぼりはないが、柏餅やちまき、7月には七夕の飾り、11月の製鉄の起業祭に来る客のために定番の栗おこわに甘酒を作り、
正月の朝起きると当時の習慣で新しい下駄や足袋が枕元に置いてあった。
 子供たちはその様な母親を見て、遊び半分だが自分から家事の手伝いをし、上の子は下の子の守をした。
 そして就職後は当然のように、給料袋はそのまま母に渡し、結婚後は仕送りをしていた。(*注1)
 母は、子供たちが悪いことをすると薪を持って追い回したり、時には文字通りのお灸を据えたが、決して「自分がこんなに働いているのにお前たちは」など言わなかった。(今のように権利意識が強くて、自分だけ働くのは損と言う考え方は母にはなかったようだ。)
   母は私たちに「他人の迷惑をかけることはしないこと」くらいしか言わなかったが、私たちは母の背中から多くのことを学んだ。
 父については、皆の為に働いているのだからと、貧しい食事ながら一品増やすなどして子供に対して父親を立てていた。(お父さんのようにならないために勉強しろなど言わなかった。)
 だから子供にとっては母親がたてている父親から叱られるのが物凄く効いた。

[子供たちに愛されていた母親たち]
 子供たちはいくら叱られても、自分たちのために何も言わず一生懸命に働いてくれる、母親が好きだったが、父親は休みなどに遊びに連れて言って呉れるだけのどちらかと言えば怖い存在だった。(家庭内での父親の損な役割は今でも変わらない。)

 これは当時は何も私の家族だけに限らない。
 私の家族ほどは無いにしても、戦前、戦争直後の生活は今に比べるとどこも遥かに貧乏だったし、親の老後の生活は程度の差こそあれ子供たちで支えられていた。(幸か不幸か当時はまだ高齢化伴う介護問題も余り問題にならなかった。)
 大戦のときの話で良く聞くのは死ぬときの最後の言葉は「天皇陛下万歳」でなく、「お母さん」だったし、知覧の特攻学生の遺品にも殆ど母親への感謝の言葉が書いてあるそうだ。
 詰まり昔の一般の母親は、例外を除いて社会からは評価されないが、子供たちから圧倒的な評価をされていたのだ。

[混迷している一部の家庭生活]
 時勢は変わり、生活が豊かになった。
 家庭には洗濯機、冷蔵庫、電子レンジなど家電製品やガス機器のお蔭で家事は昔と比べるは遥かに楽になり、専業主婦は一時期「三食ひる寝付き」と揶揄されるようになった。
 さらには冷凍食品、パック料理がスーパーに並びだした。
 主婦たちの中には(正確には昔より)豊かな生活を維持するため、学校で不足する学力不足を補うた塾の費用を稼ぐために(*注2)、パートなどで働きに出かけ、子供たちが帰っても母親の姿は夜まで見ることが出来ない子供たちが増えてきたそうだ。
 両親と子供の接触時間の減少で、「親の背を見て育つ」の言葉は死語に近くなった。
 昔より生活は楽になっても、私の母のように働く背中を見せるだけの子供の教育ができないと言う、一部の母親にとって難しい時代がきたようだ。
 そして昔なら家庭でやっていた子供の教育、躾けまでも一部の家庭では学校に頼らなければならなくなった。
 若い人達の意識も変わり、「育児より自分の生活中心」
の考えが広まり、経済的な理由、生活の変化などの色々な理由で高齢化に加えて少子化が進んだ。
 そして昔は子供たちの手で支えられた高齢者の生活は、年金、介護など乏しい財政の中から、政府の手で支えられるようになった。
 これらのことをそれがご時世だと言えばお終いだが、冷静に見ればどこか何かが食い違っているような気がする。

[家庭生活の見直し]
 その解決策は世間には色々の人がおり、色々な考え方があるが、ここではごく一般の人達を対象にすると、次のような事が考えられてる。
・忘れかけている次世代育成の重要性の見直しまたは再確認
・女性または男性が社会に出て活躍することと、次世代の子供たちの育成のバランスを取る。
 特に女性の場合、男女雇用機会均等法、男女共同参画など、世の動きに惑わされず自分の価値観で社会進出、次世代の育成のいずれかを選択することで、自然と日本全体としてはバランスが取れることになる(と言うことを希望してる)。
・子供育成と豊かな生活の切り詰めのバランス
  豊かな生活を追う余り子供の育成を妨げないように、ある程度の生活上の我慢、節約をする。(*注3)
・主婦または主夫の社会活動の積極参加とその社会的評価システムの確立
  例えば主婦の場合、夫や子供が社会的に評価を受けて表彰されるときは、同時に主婦も表彰するようにする。
・今の主婦は、昔のように「無償の愛」で子供たちから高い評価を受けるとともに、社会活動への参加でその能力を活かし、それなりの評価を受けるなどの活動の範囲が拡がっていると前向きに考えるべきだと思う。

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*注1:老後に暮らしを支えていた戦前の子供たち
 戦前の私たちは就職すると結婚するまでは、給料袋そのまま母に渡したし、結婚しても仕送りをし続けたように、戦前の老後の生活は子供達の協力でなりたっていた。
 今は少子化、核家族化、それと幸か不幸か高齢化で介護問題が浮上して、老後の生活が不安定になるばかりだ。 

*注2:教育の責任
 私は生徒が有名中学校に行くために特別に塾に行くのは、生徒や父兄の勝手だが、学校の授業について行けない生徒から希望があれば、万難を排しても補習授業などで、その希望に応えるのが学校や教師の責任だと思う。
 部活や学校事務などで手を取られるのなら、部活の指導を一時中止するとか、学校事務を合理化で簡素化するべきで、生徒の基礎学力の確保を全てに優先にすべきだ。

*注3:貧乏でも明るい将来の希望
 私は日本の現状を抜け出すには、政府関係の無駄の排除、正規社員と長期間働く非正規従業員の給与格差是正、消費税増税による福祉関係政策の強化と膨大な国債圧力の減少、将来に向けての積極財政への転換がベストではないがベターと思っている。
 この提案は企業の競争力の低下や国民の負担増に伴う一時的な景気の悪化とうの問題があるが、国民に明るい将来への希望を持たせることが今に政府が一番考えるべきだと思う。
 然し、豊かな暮らしに慣れた人達に今更貧乏暮らしすることを国民が受け入れるかを考えると、私の提案は残念ながら机の上の議論と言われても仕方がない。

参照:
  
専業、兼業主婦へ脚光を当てよう 
  
貧乏人は不幸か 
  
貧乏人の子沢山有用論