手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

「相約して淵に投ず後先なし」 南洲

2018-05-06 19:19:17 | 趣味
  今日の西郷どん、月照との入水場面でした。平野國臣がでると思っていたけれど出なかった。「日向送り」の船には平野も同乗していて、入水の水音に気が付きすぐに救助の努力がされ、二人とも引き上げられ、浜に舟をつけて蘇生の努力がされたようにとらえていたけれど、今日の場面では船頭以外の乗員が見えなかった。船頭一人では二人を引き上げることはできなかったと思う。ひょっとすると、護送の船以外に随番の船があったのかもしれない、むしろその方が現実的かもしれない。しかし、ドラマの展開としては、入水の事実と西郷の蘇生、大島送りがあればいいのです。それでも、福岡藩の平野國臣がかかわり、「我胸の燃ゆる思いにくらぶれば煙は薄し桜島山」と歌ったのか省かれるのは一寸残念だった。
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「西郷どん」  明日は月照の島津入りと西郷との入水の場面になるのかな?

2018-05-05 18:59:13 | 趣味
  先週は安政の大獄がはじまり、西郷が月照と島津に向かうことになる場面で終わった。この後私の知識では福岡まで一緒にのがれ、月照を預けて西郷が先に島津に帰る。そのあと月照は預けられ先の配慮で、平野國臣に連れられ島津に向かうが、関所を通ることができず、小舟で夜中出水灘?を乗り越えて島津入りをし、國臣も一緒に月照をかくまうことを願うけれど許されず、国外追放(日向送り)となりその途中、月照、西郷が錦江湾に入水し、西郷が蘇生、大島送りになるという風にうろ覚えしているのだけれど、どんな風に描かれるのか楽しみだ。斉彬が生きていれば話は変わったのでしょうが、斉彬は急逝、久光の代になっているけれど、親の斉興が実権を持ち、この二人は大の西郷嫌いだったという。とにかくたのしみです。

 西郷ドンを見ている方も多いから、センターでは桜田門外の変を取り上げてみようと思っている。
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お花を植えて、ササゲを苗床に植える

2018-05-04 19:20:58 | 身辺雑記
  家の前の塀の玄関部分に四角いフラワーポットを作ってあります。花の知識は乏しいのですが、とにかく秋口に一度植え替える形で毎年今ごろペチニアを植えています。今日買ってきて植えました。又玄関前の車庫の壁側にマリーゴールドを6本植えました。花畑の真ん中に少し程度の高い花を植えるつもりでいましたが、今日はほしいものが出ていなくこれから出てくるのを待つことにしました。何と言うこともない作業なのですが、これでも応えるのです。午後から「ササゲ」を例年苗に育てて植えていますので、その苗床といっても、ハッポウスチロールの底を抜いた枠にビニールの屋根をつけただけのものですが、肥料を入れた新しい土にして水をたっぷりかけてあとは苗として育つまで待つだけです。だけども家の裏に作りましたので、結構行ったり来たり、歩き疲れ果てました。

 今年はトマトとキュウリとか植えるところを決めたら、少し丁寧な土づくりをしてみようと思います。
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花に嵐のたとえもあるが・・・言葉通りの毎日

2018-05-03 18:57:54 | 身辺雑記
  桜の花の命は短い その短さを更に短くさせるこの時期の雨風。大型連休というのに気温が上がらず、それでも桜は満開だ。おまけに雨までついている。私のうちは家内と二人ぼっち。二人とも花見に出かける元気を持ち合わさない。テレビの報道を見ても例年なら座る場所も取れない丸山公園の花見が、寒さにめげず、雨にもめげず幾組かがカッパを羽織ってビールをあおっていた。

 花見の記憶は美唄にいたときくらいです。東明公園には毎年いっていました。一番混むときを外してひっそりと家族で食事を楽しんでくるくらいのものでした。札幌へ来て40年になるのですが、連休は一日ドライブに出かけるくらいで花見には一度も行っていない。ここに引っ越してきたとき、庭に山桜と八重桜各一本を植えていましたが、山桜が大きくなって邪魔になり、義兄からチェンソーを借りてきて切り倒した。数年後八重桜も処理しました。ほかに二種類のさくらんぼうの苗を植えたのでした。これは何年かすごく実をつけて呉れ楽しませてもらいました。これも実にカビが付くようになり切り倒しました。その当時は周りに家もなく我が家の桜で花見の気分になれたのです。その当時の形見みたいに梅が一本残っていて、今花盛りです。上手に剪定すれば梅も収穫できるのでしょうが、適当に切っただけではほとんど実がつかない。

 40年前に美唄から持ってきて植えてあるオンコが大きくなりすぎている。三分の一くらいに切るつもりです。体がその仕事に耐えてくれるかが問題です。
 
 
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軒下畑に馬鈴薯を植えました

2018-05-02 20:39:36 | 身辺雑記
  畑を耕してもらったとき、我が家の西側の軒下の部分に畝を一本掘ってもらっておいた。そこに堆肥と肥料をまいて「北あかり」を買ってきて植えました。どれほどの仕事でもないのですが、今の私には大仕事。あとこの連休中に「ささげ」の苗床を作るつものです。他のものを植える場所を決めて、その場所場所の土つくりをして置いて、もう少し暖かくなってからなぇを買ってきて植えることにします。

 先日の総会でお酒を飲んだのがいけなかったようで、声が詰まってひどい。体調も崩れている。やっぱりきっぱり酒はやめることにします。

 
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福祉センター詩吟 

2018-05-01 19:08:26 | 詩吟関係
  大型連休の真っ最中ということもあってか、今までの最低11名での稽古になりました。

 前半は前回やった「楠公」の復習です。11名と少ない人数ですので時間の配分がむつかしい。それで最初に楠正成がなぜこんなに有名なのか、という質問から入りました。中に建武の中興の功労者だからと答えてくれた方がいました。そこで、建武の中興後南北朝に別れたが楠正成は南朝に属し、南朝が皇室の正統とされたことが讃えられる元ととなっていることを話し、南朝が正統であると断じたのが徳川光圀で、水戸学では尊王の思想が継承されていて、維新の尊皇攘夷運動は水戸を出発点としているのだということを話してみました。そのうえで、全員に先に素読をしてもらってから 独吟をしました。予定通りの時間で終わり10分の休憩後、「生田に宿す」をやりました。ここでは詩文の解釈を少し丁寧にやった後、詩吟での「間」について、詩文の読み方、日本語のリズム「二語一拍」、余韻の引き方などについて少し触れてから、 独吟は素読を先にやってから吟じる形でやり、いつもの時間で終わらせました。

 
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