手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

詩吟の会のあり方について  雑考

2018-05-20 20:00:43 | 詩吟関係
  私の吟歴も45年になる。詩吟をやる多くの方は、一人の宗家に教えをいただき、独立するにも宗家の了解を得て、その宗家の吟法を受け継ぎ、会名にも宗家の会名にゆかりのある会名として伝統を受け継ぐ形になる。宗家の吟法を受け継ぐ。更に宗家の教えを通して詩吟についての多くのことを学ぶことになる。私は 象堂流という会派に所属していて、会を作り指導者としての資格を皆伝師範までいただき、会員も40名近くまで育てていました。 象堂流では準師範から指導者として教室を持つことが許され、私も準師範で教室を立ち上げて活動をしてきました。その間お弟子さんが指導者としての資格をとり、お弟子さんを何人か持つ人も出で来ましたが、独立は10名以上になりきちんと指導ができるようになるまで認めず、傘下道場として活動してもらってきました。そんな先生が二人出来ましたが、二人とも続けて指導できなくて、独立もできませんでした。いろいろな事情もあって 象堂流で教室が20年になったとき、退会させていただき、現在の碌峭会を立ち上げてきました。そして今の北詩連に加盟させていただいたのですがいろいろと考えさせられることがあります。今詩吟人口が激減して、会員増強の一環として指導者の資格を取った方には早く独立させるような動きになっている。宗家から独立を認められるような実績を持たないまま、一人でも二人でもお弟子さんができれば独立することができるようになっている。中には教本のすべてを勉強し終えていないまま独立している先生もいる。宗家流では一寸認められないような感じが残る。更にお弟子さんを持たなければ、役員になれないという束縛もあり、名目だけの会員をつくることもあるみたいだ。何か歪みがあるように思えてならない。詩吟人口の減少という現実の中ではやむを得ないことなのかもしれないが、私にはすとんと胸に落ちる姿になっていない。
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