旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

位置づけ

2011年05月03日 20時40分48秒 | Weblog
母は自分がどこにいるのかをしきりに聞く。「ここはどこじゃったかいね。」が口癖だ。「ここがどこか分かったらなんかええことでもあるん。」と聞き返しても、決まって「まあええじゃない、ここがどこか知りたいだけなんじゃけん。」という返答だ。理由が本人にも解からないからだと理解している。母は、常に自分がどこにいて何をしたか、または何をしようとしているのかを知っておきたい、ただそれだけのことなのだろう。

私も、限られた全体(要は部分)または全体の中で自分がどのような位置にいるのかということが気にかかる。「なぜ。」と聞かれても答えようがない。地理的な位置の確認と集団内での自分の位置づけとでは趣が大いに異なるのだが、位置づけにこだわるという意味あいでは似ている。このようなことに気がつくのも、たまの母親孝行の賜物だと考えれば少々の子供扱いにも腹が立たない。

ユングというよりもユング学派の手による「人間と象徴 上下」を買って読み始めた。ユング自身によるその一節、「人間は"神なる"存在を定義することはできないのである。われわれのすべての限界によって、何かを"神なる"もの呼ぶとき、われわれはそれにたんに名前をつけたにすぎず、それは心情にもとづくものであっても、事実的な根拠にもとづいてはいない。」河合隼雄監訳。観点は傾聴に値する。(それにしても、なんともまあ下手な翻訳だこと。)


岩波講座 東洋思想

2011年05月01日 22時09分22秒 | Weblog
「岩波講座 東洋思想」全16巻を落札した。先日落札した「岩波講座 現代思想」全16巻もろくに読んでもいないのだから性急に過ぎたといえなくもない。「論語」に始まって「大学・中庸」からいきなり王陽明に跳んでから朱子に戻ってみたら、為政者のイデオロギーそのもののような事大主義、権威主義が鼻について面白くもなんともない。

林達夫の影響から原始キリスト教に興味がないわけではない。また中沢新一がもったいぶるチベット仏教について知っておきたいし、儒学やインド仏教、イスラームにも関心がある。もともと好奇心のベクトルが東洋思想全般に広がろうとしていた。朱子学についていうと歴史的な背景から学び直せば、改めてなんらかの興味が湧いてくるように思う。また、神格化される前の思想家シャカについて権威筋の見解をぜひ拝読してみたい。

日本国語大辞典

2011年05月01日 16時04分19秒 | Weblog
本箱にしまいこんでいた小学館の「日本国語大辞典全20巻」(の縮刷版)を、本日、手の届く本立に移しかえることができた。いちいち本棚から引っ張り出すのが面倒だったので大辞典を引くのが億劫になりかかっていた。特に古典の場合、翻訳が古いと難解な言葉が多い。環境が格段に向上した、再びじっくりと古典を楽しむことができる。併せて、加藤周一著作集・小林秀雄全集の傍らに「林達夫著作集」を移動した。好きな本は手が届く所に置く。

ヤフオクの「岩波講座 東洋哲学 全16巻」に入札している。この講座は既に2度落札に失敗している。今回はなんとか落札したいのだが、前回と同様に応札するひとが多い。どうしても欲しい講座ではないので相場で買うつもりはない。安ければ買うという態度の入札なので前回と同様に落札は難しそうだ。

菜園会議

2011年05月01日 08時11分17秒 | Weblog
根っからの貧乏症だから連休の2日目もせわしい。午前は、庭のもみじやキンモクセイの剪定を済ませて菜園にでかけた。ジャガイモのひと株ひと株の傍らに穴を掘って有機肥料(鶏糞)をすき込む。トマトのわき芽をつんで土寄せをする。地這いキュウリとインゲンの種がようやく芽をだした。ダイコンとシュンギクは深緑の双葉から新緑の本葉を吹き出し始めた。珍しく私の予想と天気予報が一致した。夜半から雨模様だから水やりはいらない。菜園は気候をうまく利用できるようになると楽しみが増す。

昼は母親と食事をした。身体が欲している、ニンニクの摂取が足りないようなので土曜日に餃子を食べるようにしている。土日に他人との約束があるとニンニク系の料理を食べるわけにはいかない。この連休はアポなしだ。久しぶりに「王将」の餃子を2人前注文すると胃袋が鳴った。残念なことにうち3個は母親の胃袋におさまった。それから85歳になりたての母親と連れだって近くにある海田の「イオン」をねり歩いた。骨粗鬆症がすすんでいる。とにかく母上には歩いていただかなくてはならない。

夕刻まで親子孝行をしてふたたび菜園に降り立った。隣接する菜園のおばさまから聞きたくもない話を聞かされた。「前にこの区画を借りとっちゃったご夫婦は、まあ知ってか知らずか、いっつもジャガイモの連作をやりよっちゃったんよ。しかもねえ、まい年まい年の春、秋の2回も続けてねえ。」だと。これは衝撃だった。区画が2年ほど休んでいたにしても、これは大問題だ。これまで以上に土の改良をやらないと悲惨な収穫になりそうだ。

先日、やはり隣接する区画のにいさんに「どうみてもここは撒いた種や苗の生育がとろい。地主にねじこんで地代の値下げ交渉をしてみようか。」と話しかけたら、即答でにいさん曰く「おたくの腕が悪いからじゃゆうて返り討ちにあいまっせ。」だと。ところが情報通のおばさまは、このバカ話がバカ話にならないような情報まで提供してくれた。私はこの情報に大いに戦慄を覚えた。怖い話の後でおばさま「まあせっかくの土いじりじゃけん、楽しみながらやりましょうや。」と言い残してそそくさと菜園を後にした。もちろん、この怖い話の内容は連作のそれではない。