旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

人間観

2011年05月12日 21時35分04秒 | Weblog
J・P・サルトルの「実存主義とは何か」が届いた。無神論的実存主義者というレッテルを貼られて憤慨した御大ハイデッガーに言わせると、通俗的な講演記録なのであえて著作とは記さない。

『17世紀の哲学者がみた人間観
人間という概念は、神の頭の中では製造者の頭にあるペーパーナイフの製造技術と同一に考えてよい。神は職人がひとつの定義、ひとつの技術に従ってペーパーナイフを製造するのと同じように、さまざまな技術とひとつの概念にしたがって人間を創るのである。こうして個々の人間は神の悟性のなかに存するひとつの概念を実現することになる。

実存主義的人間観
実存が本質に先立つとは、人間はまず先に実存し、世界内で出会われ、世界内に不意に姿を現し、そのあとで定義されるものだということを意味する。実存主義の考える人間が定義できないのは、人間が最初はなにものでもないからだ。人間は自らがつくったところのものになる。したがって人間の本姓は存在しない。人間は自らそう考えるところのものであり、自ら望むところのものである。また、実存してのちみずから考えるところのものであるにすぎない。つまり、人間は自らつくるところのもの以外のなにものでもない。』J・P・サルトル「実存主義とは何か」より抜粋のうえ一部改竄。

ハイデッガーのサルトル批判はともかく、松浪信三郎著「実存主義」(岩波新書)よりもわかりやすい講演記録だ。