旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

アンガジュマン

2011年05月18日 22時03分35秒 | Weblog
サルトルの「実存主義とは何か」1955年8月初版に続いて、その改訂版「実存主義とは何か」1996年2月初版が届いた。1955年版については講演の記録にしては翻訳のキレが悪く著述のようなまわりくどさを感じていた。40年を経た1996年改訂版では伊吹武彦の翻訳が一掃されて気鋭の若手研究者による翻訳によって講演の臨場感がうまく表現されているのではないかと期待した。

迂闊だった。改定版なのだから気鋭の若手研究者が登場することはない。初版と同様に伊吹訳だった。1988年に伊吹は逝去しているというのに殆ど手が加わっていない。この改訂版のために「1945年の実存主義」を新たに書き下ろした海老坂武がひかえめに伊吹訳を「平明でわかりやすく、リズムのあるすぐれた翻訳」だとことわったうえで、「ここはややわかりにくいのではないか、ここはやや原文から外れているのではないかと思われる箇所」を巻末の訳注ページに訳し直している。

その数は「実存主義はヒューマニズムである」で58箇所、「討論」で38個所に及ぶ。もちろん、海老沢の訳し直しの方が日本語としてみるとはるかに明晰だ。残念なことに、こういう改訂版だから講演の臨場感など望むべくもない。

初版の表紙は薄い。改訂版がハードカバーなので読む際に心なしか緊張する。「時代に巻き込まれている、拘束されている以上は、自分を積極的に時代に巻き込む、拘束することを選ぶ。身に起こることを受け入れるのではなく、身に起こることを引き受ける。状況に対する受動性から能動性への転換、これがサルトルのアンガジュマンという用語の誕生点である。(海老沢による巻頭文「1945年の実存主義」から引用ののち一部を改竄)

また海老沢はおなじ巻頭文のなかで、「貧困という経済状態がひとを革命的にするという命題」に対して、サルトルが「貧乏人が貧困を捉え直し、自らの貧困として引き受け、さらに貧乏人によって貧困がはっきりと許しがたいものとなる人間世界の中に置き換えられるということがあってはじめて、貧困は革命的な力になりうるのだ。」と考えていたことを明らかにしたうえで、かれは社会的・経済的・歴史的な要因が人間をつくるのではなくて、人間的主体性の自由な投企が歴史をつくるのだと考えていたと解説する。