旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

位置づけ

2011年05月03日 20時40分48秒 | Weblog
母は自分がどこにいるのかをしきりに聞く。「ここはどこじゃったかいね。」が口癖だ。「ここがどこか分かったらなんかええことでもあるん。」と聞き返しても、決まって「まあええじゃない、ここがどこか知りたいだけなんじゃけん。」という返答だ。理由が本人にも解からないからだと理解している。母は、常に自分がどこにいて何をしたか、または何をしようとしているのかを知っておきたい、ただそれだけのことなのだろう。

私も、限られた全体(要は部分)または全体の中で自分がどのような位置にいるのかということが気にかかる。「なぜ。」と聞かれても答えようがない。地理的な位置の確認と集団内での自分の位置づけとでは趣が大いに異なるのだが、位置づけにこだわるという意味あいでは似ている。このようなことに気がつくのも、たまの母親孝行の賜物だと考えれば少々の子供扱いにも腹が立たない。

ユングというよりもユング学派の手による「人間と象徴 上下」を買って読み始めた。ユング自身によるその一節、「人間は"神なる"存在を定義することはできないのである。われわれのすべての限界によって、何かを"神なる"もの呼ぶとき、われわれはそれにたんに名前をつけたにすぎず、それは心情にもとづくものであっても、事実的な根拠にもとづいてはいない。」河合隼雄監訳。観点は傾聴に値する。(それにしても、なんともまあ下手な翻訳だこと。)