旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

カルメン・マキ

2009年06月16日 22時43分51秒 | Weblog
なんでも所属事務所があると事務所の都合でスケジュールを決められてしまう。たとえばCDの販売日が先に決まり、広告宣伝からエベントまで曲が決定してもいないのにスケジュールだけが先走る。その先走るスケジュールに合わせて作詞や選曲をするような商業ペースに限界を感じて現在はフリーである。フリーであるということは何から何まで自分で裁量決定をするということだ。この生活に満足しているとマキは語った。

マキの音楽は4つの顔を持っている。ひとつが良く知られた「時には母のない子のように」や昨日のコンサートで披露した「ふしあわせという名の猫」(この曲は寺山修司が作詞して浅川マキが歌っている。)にみられる抒情歌。ふたつ目がロックで、みっつ目がジャズ、よっつ目が言葉と音楽の境界に位置するような朗読だ。もはや売りだすことを捨てて自分が納得がゆく音楽を追求し始めているマキだから、観客に対するサービス精神というものは殆どない。「わたしの生きざまを見てよ。そしてわたしの音楽を聞いてよ。」娘さんが20歳になるそうだ。彼女との幸せのために歌っていると語っていた。相も変わらずシャイなひとなのである。

「戦争は知らない」
フォークルセダース

野に咲く花の名前は知らない
だけども野に咲く花が好き
帽子にいっぱい摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの

戦争の日を何も知らない
だけども私に父はいない
父を想えば ああ荒野に
赤い夕陽が 夕陽が沈む

戦で死んだ悲しい父さん
私はあなたの娘です
20年後のこのふるさとで 
明日お嫁に お嫁に行くの 

見ていてください 遥かな父さん
いわし雲飛ぶ空の下
戦知らずに二十歳になって
嫁いで母に母になるの

野に咲く花の名前は知らない
だけども野に咲く花が好き
帽子にいっぱい摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの

寺山修司作詞

マキは長い間この歌を歌いたかった。でも歌えなかった。娘さんが成長するにつれようやくこの歌を歌う心境になったそうだ。照明こそ手が込んでいなかったが、バイオリニストやピアニストの衣装や演奏、風貌、雰囲気は昔見た渋谷「天井桟敷」のそれであり、今もなお寺山修司と「天井桟敷」の影響を色濃く残しているマキとは、30数年前に東京のどこかで聴いていた「カルメンマキとOZ」のコンサート以来の巡り合いであった。マキがロックに転向したのはジャニス・ジョップリンの影響であるという。わたしも今は亡きジョップリンのファンのひとりである。