旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

パドマバリ

2007年10月12日 09時37分35秒 | Weblog
レギャンビーチの夕日




9月7日
デンパサール空港に到着したのは南海に宵闇迫る5時、空港に出迎えてくれたお馴染のMさんほかダマン**の女性会員10有余の熱烈な歓迎ぶりには少なからず驚きました。レイの香りにつつまれて気分は南国。Mさんの案内で宿泊先のホテル・パドマバリに向かいました。

バリでは椰子の木より高い建物の建築が禁止されています。バドマバリは熱帯植物園の中に点在する二階建ての豪華なコテージ風。バリ滞在の3日間を豪華で快適なツィンの部屋でくつろぎました。

ディナーはなんと焼いた秋刀魚に刺身の盛り合わせ・焼き鳥に鍋焼きうどん・日本酒にビール・焼酎まで飛び出すホテル近くの日本料理店でした。食材は日本から輸入しているというのにリーゾナブルな食事代でした。Kツアー隊長に感謝。
この夜、T・F・Mの若手会員3名は、天井がとてつもなく高く、太い木材で建築されたバカでかいホテル内の豪奢なレストラン兼パブで心行くまで南国情緒を味わいました。

9月8日
バドマバリの眼の先にはインド洋を望むレギャンビーチがあります。早朝の海岸にはサーファーの姿が多く見受けられました。その昔、ヒッピーやサーファーたちがレギャンビーチに集うようになってからビーチの名は世界中に知れわたる様になりました。

みんなで朝食のバイキングをとってからウブドで開かれる記念式典の会場に向かいました。

*******寄贈10周年記念式典
インドネシアでは行政の区分が州・県・村なので日本でいう市や町がありません。村といっても、日本的な感覚でいうと「町といった感じの村」を挙げての歓迎でした。式場にはどこかで見かけたことがあるようなおかみさん風の女性たち100有余名や村長・医師が参列していました。なぜか韓国の女性のみの**の会員10有余名が列席していました。

村長の祝辞および謝辞に続いて女性のドクターによる熱のはいった公衆衛生の指導がありました。続いておかみさんたちが入れ替わり立ち替わりで婦人移動検診車の寄贈に対する感謝の気持ちを述べ、更なる支援を受けることができるように訴えます。

会場の一番後ろの方に突っ立って、ときおり大きな声をあげているおじさんがいました。マイクを握り締めて曰く、「ほんらいインドネシアの行政府がやるべきことを日本のみなさんが手を差し伸べて助けてくれているのだ。みんなもっと感謝しなさいということを訴えたかった。」とのことでした。「井戸水を飲むときには、井戸を掘った人のことを忘れるな。」のたとえが引用され、閉会に先立つT団長による挨拶は大きな拍手で迎えられました。

婦人検診車の前で記念撮影をしてから午後はゴルフの練習組と観光組との別行動になりました。

観光組はバリ県立病院まで足をのばして血液センターを視察?に行きました。あいにくの休館で中に入ることはできませんでした。しかし外からでも寄贈した*****の名前は読んで取れます。テロ事件直前に寄贈設置された血液センターのおかげで尊い人命が救われたことを多くのバリ市民は知っています。

場所を変えて、夕刻から始まったダマン**主催のレセプションの列席者は100有余名に達しました。広島北**のY会員に託されたKガバナーからのメセージの代読や、今回出席できなかったN会員からのメーッセージの代読、広島安芸**のN会員からの謝辞、団長T会員の挨拶。最後はT会員の生誕**年のアニバーサリー。この間に韓国**からの挨拶があって、日本語・韓国語・インドネシア語が入り乱れての盛大な式典が終了した頃には時計はとうに9時をまわっていました。レセプション後のパーティーは歌ありダンスありで大いに盛り上がりました。

この日もパドマバリに帰ってから、やはり若手3人でパブが閉まるまで飲みました。

9月9日
この日の夕方から、ダマン**の皆さんとの懇親会がありました。バリの舞踏を鑑賞しながら王侯気分で飲んで語る楽しい催しでした。Tさんの挨拶が受けました。「アイアムジャパニーズ マイワイフイズジャパニーズ サンキュー」。空港でも若手3人は飲みました。深夜デンパサール空港からガルーダ・インドネシア航空機は日本に向けて飛び立ちました。岩国**のY会員、お疲れ様でした。