旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

就労

2007年10月20日 12時11分09秒 | Weblog
同僚に迷惑をかけるとか、自分がいないと仕事がうまく進まないだろうとか考えたくなる気持ちもよく解ります。私の場合、加えてお客さんに迷惑がかかるという強迫観念から、社会人になってからの丸6年間というもの、ほとんど休日なしで朝早くから深夜まで働きづめでした。同僚たちもそうでした。

その結果、新入社員の退職が相次ぎ、当時中四国管内で採用された新卒社員50有余名のうち、7年目まで残ったのは私とあとひとりを残すのみでした。働き過ぎると人間、判断力が鈍ります。ある日、自分は一体何をやっているのか解らなくなってきたので、はずみで上司に退職届を出しました。さんざん慰留されました。当時、退職届を病院のベッドから送った社員、本人の所在が解らないという理由で親御さんが会社に退職届を持参された例すらありました。

過労で将来に希望が持てないと思いこんだ私は、結局、前職を辞めることになりました。ところが、ありとあらゆる上司からの指示に反抗し、「自分がやらなくたって会社にはいくらでも代りがいる。仕事はほどほどでいい。」と豪語する薩摩男児がいました。やるだけのことをやるとさっさと飲みに行って女の子を口説きまわる。ヤクザの女に手を出して脅迫される。しかし、「自分は人生を楽しむために働いているのであって、働くために生まれてきたのではない。」という姿勢を崩さない。

彼は現在も(前職 上場会社)の役員をやっています。私と彼の選択、どちらが正しかったのでしょうか。私には、スーパー業界や百貨店業界に友人や知人が多い。コンビニ業界を含めて、生き馬の目を抜くといわれる小売業界の人事労務には凄まじいものがあることもよく知っています。

私が就職活動を始めたころは、スーパー、住宅、車のディーラーが不人気の御三家でした。しかし今では、車のディーラーはともかくスーパーや住宅(特にプレハブ)は産業としての地盤を確立しています。優良企業ですし何よりも不況に強いというわけです。募集すれば応募があるのですから会社は強気です。だからこそ冷静になって自分を見直す時間が大事です。不本意でしょうが、とにかくもっともらしい口実をつけて休養を取ることです。仕事を休むことです。

会長は、当時わたしが勤めていた会社の社長と同様に万事強気ですからね。学ぶべきところは学ばないといけないのでしょうが、すべてを真に受けると殺されてしまいますよ。彼の薫陶を受けた現社長への対応も然り。会長さん、一心不乱にゴルフをやって話をする暇もなかい。息がつまりそうだったと一緒にゴルフをやったひとがぼやいていました。前社長も体調を崩して短命でしたね。長くビジネスマンを続けるためには心身ともに健康である必要があります。過去の成功事例に押しつぶされないようにくれぐれも気を付けてください。




刑法

2007年10月20日 11時59分57秒 | Weblog
往年の法学徒とはゆえ出来が悪かったもので、現行刑法の法源ともなるとなんとも・・・。

日本評論社 s48年5月刊 「現代法学辞典」で引いてみました。
刑法とは、「その実質的意義においては、何が犯罪となり、またどのような刑罰が科せられるかを規定した法律である。」のですから、戦後民主主義の成果を踏まえ、刑法という法律はわれわれ国民が定めたということになります。私が知る限りでは我が国刑法の理論的な水準はかなり高いので、どこかの国の刑法を真似た云々ではなくて我が国固有の論拠を持っていると考えて良いのではないのでしょうか。

こうも非情な犯罪が蔓延してくると、法的には犯罪者の人権そのものに対する再評価、再考察をせざるを得ないでしょうね。私は個人的に基本的人権の歴史とか、基本的人権の寄って立つ思想的な背景とかに興味を持っています。国家権力の発動としての科刑と基本的人権の関係についていうと、犯罪者にとっても被害者にとっても難しい問題が山積しています。

光市母子殺人事件が地元で裁かれています。心情的にはもっと早く判決が出せないものかと思いはしますが、死刑の残虐さや冤罪の問題を踏まえるとなんとも言えません。この裁判を機会に死刑の問題が国民的な議論になればいいのじゃないでしょうか。個人的には死刑を廃して懲役100年とか200年とかの禁固に処した方が犯罪者の薬になるような気もしますが・・・。かといって、死刑廃止論者に与することもできない。こういう問題に関していうと、やはり、人間がいい加減なのですね。