その昔、一般の殺人に対して、尊属殺(平たくいうと親殺しです。)の科刑を加重して無期懲役または死刑と定めた条文の憲法裁判で、少数意見として合憲を主張した最高裁の裁判官が、典型的な儒教的世界観を持ち出して、子が親を殺すなどという道徳律に反する行為が、一般の殺人の刑罰と同様であってよいはずがないと主張して学界から呆れられたことがあります。
当時、尊属殺に至った事例の殆どには実に悲惨な背景がありました。殺された尊属の大半が、精神的。肉体的に被告を虐待していました。その実態よりも、「子たる者は何が何でも、親の言うことに従わなければならない。それをいかなる事情があろうとも殺めるとは何たることか。」という忠孝を旨とする儒家的価値観で法律を論じる裁判官の少数意見だったのですから。
国家による刑罰権の限界といいますか・・・。当時は、犯罪を引き起こす要因が社会やそのシステムや家族制度にあるとみるのか、個人の資質にあるとみるのか、そのあたりの刑罰理論論争が活発でした。最近特に、人を死に至らしめておいて反省の色が全くないタイプの犯罪者が増えています。あなたと同様に、犯罪によっては現行の刑罰規定が甘すぎるのではないかと考えるようになりました。もちろん、尊属殺や子殺しについては量刑をもっと厳しくする必要がありそうですね。
当時、尊属殺に至った事例の殆どには実に悲惨な背景がありました。殺された尊属の大半が、精神的。肉体的に被告を虐待していました。その実態よりも、「子たる者は何が何でも、親の言うことに従わなければならない。それをいかなる事情があろうとも殺めるとは何たることか。」という忠孝を旨とする儒家的価値観で法律を論じる裁判官の少数意見だったのですから。
国家による刑罰権の限界といいますか・・・。当時は、犯罪を引き起こす要因が社会やそのシステムや家族制度にあるとみるのか、個人の資質にあるとみるのか、そのあたりの刑罰理論論争が活発でした。最近特に、人を死に至らしめておいて反省の色が全くないタイプの犯罪者が増えています。あなたと同様に、犯罪によっては現行の刑罰規定が甘すぎるのではないかと考えるようになりました。もちろん、尊属殺や子殺しについては量刑をもっと厳しくする必要がありそうですね。