旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

柘植久慶著『あの頃日本は強かった』中公新書

2007年10月08日 10時44分47秒 | Weblog


日本兵7・8人がロシア軍の小部隊が露営しているのを発見して将校と下士官を殺害したところ、大きな図体をしたロシア兵たち30余名は幼児同然のありさまで戦闘を続行できなかった。

日本兵は違った。将校や下士官が全員戦死したり重症を負ったにしても残った中で最も上級のも者が指揮を執り、それなりの戦闘能力を発揮し続けることができた。ロシア兵は多くが文盲であった。したがってロシア兵と日本兵の間には自ら考えたり判断を下すという能力に歴然とした差があった。

文盲のロシアの兵隊さんからみると日本の兵隊さんが怖かったことであろう。文字が読めるということは、命令を理解しているということである。理解した上で命令を反復継続できるということである。つまり、敵前逃亡をすれば殺されることを理屈と体で明確に理解している日本の兵隊さんたちと戦ったのだから。

当時の日本兵の平均身長は5尺3寸(160cm)、ロシア兵の平均身長は5尺7寸(173cm)取っ組み合いの喧嘩ならロシア兵に分があった。ところが時代は近代戦。日露戦争は軍組織を根底で支える下士官兵の質の差は歴然としていた。このことが日本の勝利の一要因であったと著者は続ける。

ロシアの陸相として日露戦争の前に日本の小学校を視察したクロポトキンは日露の大いなる愛国意識の差に愕然とした。敗戦の責任をとらされて追放された彼は小学校校長として余生を児童教育に専念したそうだ。


わたしは断じて日露戦争勝利万歳派ではない。日露戦争の勝利によってもたらされた国家統制の強化がわが国に禍根を残したことを知らないわけでもない。しかし、三面記事的なこの種の著作を読まないわけでもない。

2 コメント

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私もこの本を読みました (ひろし)
2007-10-09 12:45:38
 私もこの本を読みました。明治の時代の人間の、強さ、良さがよく描かれていました。幕末の頃、日本に来たモースが天竜川の渡しに乗った時、身分の低い船頭が、何も分からない外国人に対して料金をだますこともなく、正規料金しかとろうとしないことに、感心した、という話を聞いたことがあります。
 当時がすべて良かったわけではもちろんありませんが
ああした貧しい時代の人間が持ちえた向上心は貴重です。
今の飽食の日本は再生できるのでしょうか。
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Unknown (Unknown)
2007-10-09 19:19:53

隣りが美味しいものを食っているのを横目で見ながら、いつか俺も美味しいものをたらふく食ってやると日々精進するのは難しいですね。

まず自分の精進に耐えられなくなる。次に隣の住人を妬ましく思う。終いには不遇を他人のせいにしてしまう。

貧しければ、川の向こうか海の向こうのお金持ちや怠け者を妬めばよい。腕力を鍛えてお金持ちや怠け者から奪えばよい。

明治の時代と同様に、日本を再生させるためには貧乏人をうまく利用するしかないということになるのではないでしょうか?




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