昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

心に残る酒

2004-10-26 21:10:39 | じゃこしか爺さんの想い出話
 夕方所用で外出帰り車の中で、聞くとも無しに耳にしながら何時の間にか聴き入っていた、NHK放送「今夜も一杯やりますか?」の副題は「心に残る酒」だった。
酒については元々付き合い酒が殆どで、特に毎夜の晩酌などの習慣も無く気が向けば風呂上りにビールを飲む程度、己自身では特に「酒飲み」とは思っていない。
 
 そんな程度の酒飲みながら、現役時代には市内のビール愛好会の役員を務め、更に遡れば三十代前半勤務していた酒類販売会社時代には、道内の有名ブランドの酒蔵を巡り歩いた事もある。又この時代「朝日ビール」の北海道進出の折には、毎夜拡売と称して街の酒場を飲み歩いた事もあった。 因みに今は、高血圧に脂肪肝それに糖尿病予備軍が加われば、酒類は完全なるドクターストップの身の上である。

 しかし酒について云えばやはり父と兄のことが一番心に残っている。どちらも酒豪として世間に通用していた。特に父は職場ではおろか地域一番と呼ばれていたほどである。 
その二人の酒のタイプは共に明るく、興にのれば歌い果てには踊り出すタイプだった。
  
    (Ⅰ) 父と酒
  
     ☆ 衣服のままで入浴・・!
 
 炭住街でも名立たる酒豪で通っている父の事だから、何か酒での出来事が起れば必ず父の名前がイの一番に取り沙汰された。
 或る夜のこと地域の詰め所(地域を管理統括する部署)の担当者から、「お宅のご主人が服を着たまま風呂(炭住街の共同浴場)に入っている」と知らせて来た。応対に出た母がそんな筈が無いと云っても聞き入れず、「白髪交じりの坊主頭の50年配と云うから間違いないと」・・・「そんな事を云ったって、内の父さんは今布団の中ですよ」の母の言葉に納得せず家に上がり込んで来て、床で眠り込んでいる父を確かめて大笑いしたとの事。
      
     ☆ 他人の家で夜を明かす・・!
 
 その頃の炭砿の住宅はいわゆる長屋と呼ばれるもので、6軒から8軒で構成され山の傾斜地を利用して建っていた。深酔いの父が夜遅くに帰宅して坂道を登りきった家に上がり込んで床に就いた。そこの家でも布団から出ている頭が白交じりの坊主頭だった為に朝まで全然気付かなかったという。家の造りも並びが全く同じだったのが間違いのもとだった。
      
     ☆ 酔いにまかせて盲腸を・・!
 
 宴会の席上で腹痛を起した父が勝手に盲腸炎と判断して「盲腸炎に間違いから自分で切り取る」と言い出して剃刀を持ち出したという。周りの人たちが驚いて止めたのだが、言い出したら他人の云う事など中々聞き入れない頑固者、実際に刃を当て出血に流石に酔いも覚め、結局は病院に担ぎ込まれる羽目となった。その結果は単なる腹痛と判り無事に帰宅した。良く云って豪放磊落・・悪く云いば無茶苦茶そのものの父であった。
  
     (Ⅱ) 長兄と酒
 
 兄は父と負けず劣らずの酒豪で、腰を据えて飲むとダルマ(ウイスキー)一本を空け更に日本酒を五合ほども空けて平然としていたという。普段でもビールなどを飲む場合幾ら飲んでも飲む片端から覚めて行くと云って、焼酎を半分ほど足して飲んでいた。
 また兄は手料理が得意で、材料などは自分で買って来てその料理を肴に酒を楽しみ、お正月やお盆には8歳年下の私達家族を呼んで、父親代わり宜しく手料理を振舞い、果ては飲んで酔いしれ歌って踊って飲み潰れれて寝てしまうのが常だった。
 その父は「人生僅かに50年」の譬え通り丁度五十歳で他界、兄は父よりも10年長く生きて還暦を目の前にして他界した。二人ともあの世とやらで、季節の折々に何かと理由付けて飲んでいるのだろう。
 傍には母が何時もの笑みを浮かべて座っている・・・!そんな昔の風景が浮かんでくる。




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