今日は73歳の誕生日、どうにかこうにか生き延びて来た73年間を振り返ると、今更ながら感慨深いものがある。
先ず肉親を対象にすると、親父よりもおふくろよりも、はたまた三人いる兄達よりも遥かに長生きして来た勘定だ。
それもこれも人々に与えらえたそれぞれの寿命と云われれば、それまでかもしれないが、二十歳そこそこで病死した兄達のことを思うと、己の長生きがとても済まないような、叉逆に天から与えられた寿命の有難さを、しみじみ思う今日の我が誕生日である。
さて私の誕生日のことだが、戸籍上では昭和7年8月である。しかし何故かもう一つあって、同じ年の2月も誕生日と言われている。生まれた処は、樺太北部の拠点都市の在である。当時樺太と云えば日本国でありながらも植民地的行政化にあって、生誕死亡の届けなどは全て本籍地の送付されて初めて発効したと思われる。
私の本籍地は山形県であったから、役場同士の手違いか、或いは親父が本家への通知が遅れたのか、または知らせを受けながら本家の方での届けが遅れ、今更半年も以前のこととは言えずに、気付いたその日を役場に届けた結果かも知れないのである。当時の樺太ではそのような事はザラに有ったという。
だから占いなどに良く利用される星座占いは、戸籍上の「しし座」と実際の「みずがめ座」の二つになるわけで、占いなどは余り好まないから正座の振り分けなども全く分からない始末である。しかし我が女房殿は女のこと故何かと持ち出して来る。その度に戸惑いを覚えて面食らうのだが、それも女の手遊びストレス解消の手段かと思えばと、ほどほどに付きあっている。
誕生日だからと云っても、この年では今更祝うことも無いだろう、むしろ「誕生日は正月同様であの世への一里塚でめでたいことでないから、何もしなくても良いよ」と云っていたのだが、老妻は夕食に生鮨を取り寄せていた。もともと鮨は大好物で毎日続いても平気なほどであるから、それに老妻の折角の好意を有難く頂戴した。やはり生鮨は何時食べても美味いものである。
それにしても73年良くぞこれまで生きて来られたものである。日本男性の平均寿命は78、64歳とあるから、後6年ほどは生きられる勘定だが、それまでにならないとしても、残された日一日を大事に生きてゆきたいと真剣に思う日でもあった。
先ず肉親を対象にすると、親父よりもおふくろよりも、はたまた三人いる兄達よりも遥かに長生きして来た勘定だ。
それもこれも人々に与えらえたそれぞれの寿命と云われれば、それまでかもしれないが、二十歳そこそこで病死した兄達のことを思うと、己の長生きがとても済まないような、叉逆に天から与えられた寿命の有難さを、しみじみ思う今日の我が誕生日である。
さて私の誕生日のことだが、戸籍上では昭和7年8月である。しかし何故かもう一つあって、同じ年の2月も誕生日と言われている。生まれた処は、樺太北部の拠点都市の在である。当時樺太と云えば日本国でありながらも植民地的行政化にあって、生誕死亡の届けなどは全て本籍地の送付されて初めて発効したと思われる。
私の本籍地は山形県であったから、役場同士の手違いか、或いは親父が本家への通知が遅れたのか、または知らせを受けながら本家の方での届けが遅れ、今更半年も以前のこととは言えずに、気付いたその日を役場に届けた結果かも知れないのである。当時の樺太ではそのような事はザラに有ったという。
だから占いなどに良く利用される星座占いは、戸籍上の「しし座」と実際の「みずがめ座」の二つになるわけで、占いなどは余り好まないから正座の振り分けなども全く分からない始末である。しかし我が女房殿は女のこと故何かと持ち出して来る。その度に戸惑いを覚えて面食らうのだが、それも女の手遊びストレス解消の手段かと思えばと、ほどほどに付きあっている。
誕生日だからと云っても、この年では今更祝うことも無いだろう、むしろ「誕生日は正月同様であの世への一里塚でめでたいことでないから、何もしなくても良いよ」と云っていたのだが、老妻は夕食に生鮨を取り寄せていた。もともと鮨は大好物で毎日続いても平気なほどであるから、それに老妻の折角の好意を有難く頂戴した。やはり生鮨は何時食べても美味いものである。
それにしても73年良くぞこれまで生きて来られたものである。日本男性の平均寿命は78、64歳とあるから、後6年ほどは生きられる勘定だが、それまでにならないとしても、残された日一日を大事に生きてゆきたいと真剣に思う日でもあった。
そして初めまして。私の母も樺太生まれです。祖父母がまだ幼い母を抱きしめて船に乗り、私に命がつなげてくれました。
これからも、貴Blogを大切に有りがたく読ませていただきます。
取り急ぎお祝いと感謝まで。
馬齢を数えている内にこの年に成っておりました。この先どれほど生きられるかは分かりませんが、樺太での体験を活かして、皆様のお役に立てればと思います。
どうぞお母様を大事になさって下さい。
まだまだ駆け出しですが、今後とも宜しくお願い致します。
この度は有り難うございました。
実年齢70パーセントの年齢を活用して、今後を生きて行く勇気が出て来ました。
私も昔は何処其処の橋の下から拾って来たのだと云われました。何のことは無く、きょうだい皆が言われていたのでした。
それも親の愛情の裏打ちだったのでしょう。
年齢7割の話に励まされました。今後とも宜しくお願いいたします。
二歳上のお兄さんがおいでですか。頼りになるでしょう。羨ましいですね。
昔流からすれば人生50年ですが、熊子さんの実年齢7割人生からゆくと先はまだまだ長いです。お互いに良き人生を送りましょう。どうぞ宜しくお願い致します。
戦時中の話しを読ませていただき、又今日誕生日の経緯をお聞きして、当時の行政の幼さを知りました。夏と冬、2回の誕生日なかなか居ないのではないですか。
今、駒大苫小牧と大阪桐蔭の試合を見ていました。延長10回、6対5決勝戦へ進むことができ、おめでとうございました。
明日も、選手達にも頑張って貰いましょう。
応援しますよ。