昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

余寒とは云いながら

2009-02-24 17:29:33 | 日々の雑記
 ものの本によれば余寒とは、大寒が開けてからの寒さ、立春後の寒さのことを言っています。
 寒の入りはいつもだいたい同じなのでしょうが、今年の場合は寒の入りと大寒は昨年よりもそれぞれ一日早い五日と二十日でした。
 その寒中の間にはそれほど感じていなかった寒さが、寒明けの立春後には昨年にも増して強く感じるのは何故なのでしょうか。むしろ寒中のそれよりもかなり強く感じます。
 それは多分に加齢により体力が衰えている私だけのことで、人様はそんなことは余り感じて居ないのかも知れませんが。
 しかし実際の立春後の気温は、昨年と比べてそんなに差が無いのですが、それでもやはり私にはその寒さが応えるのです。
 今年の気温は、数年前の低さからすると有難いことに、かなりの暖かさであることは確かなのですが、立春後もう廿日も過ぎたのに寒中よりもかなり低いようです。
 それは、雪の降る日が昨年よりも多いうえに、倍も在る積雪が絶えず眼につくせいなのか、それともわが身の体力の衰えから余計にそのように感じているだけなのか、はっきりしたことは分かりませんが、とにかく今年の余寒はその言葉に相反して身に応えます。
 メタボに戻るのが怖くて少しでも運動をと思って、積極的に家の中で続けてきたのですが、やはり外歩きの方がより効果的だろうと、何時もより風が穏やかでその上晴れても居たので、これ幸いとばかりに久しぶり今日出掛けては見たのです。
 ところが、雪道の歩きづらさよりも寒さがきつくて、予定の半分も行かずに引き返してしまいました。
 いつもと同じ身支度のダウンコートに手袋とニット帽子だったのですが、手袋を通して来るその寒さは、まさに{身を刺す}言葉そのものでした。

 寒が明けて立春が過ぎてもうかなり経つのに、予報によればここ暫くは雪の日が多く、またきつい凍れもまだまだ続きそうですから、やはり家に閉じこもっての室内歩きと、ちょっと辛いがエアロバイクでの運動を続けるより他は無いようです。
 それにしても余寒とは云いながら、まったくそれは名ばかりで、なんとも癪に障る今日この頃の気温です。
 相手は自然現象だから、如何とも仕様が無いとは知りながら・・・

昨年は軒下に並ぶこれほどのツララは眼にしなかった筈ですが・・・

雪はなかなか消えずやたらと眼に付きます