昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

追憶・じゃこしか一代記(8)小学校で・<学芸会>

2007-04-13 18:05:05 | じゃこしか爺さんの想い出話
   
                     <学芸会>

 毎年秋に行われる学芸会で、学年の劇の出演者にクラスから選ばれ、主役にばってきされたことがあります。
 何しろかれこれ六十年も昔のことですから、あまり詳しくは覚えておりませんが、戦争も一番華やかな頃だったので、その演目も当時の世相をテーマーにしたものだったとおもいます。
 バックの音楽「海ゆかば・・・」が静かにながれる劇の中で、私は海軍に憧れる一人の少年を演じていました。実際にもそのころの少年の誰しもが、当然のよう軍人をめざしていた時代でしたから、身をいれて演じていたのを想い出します。
 ただ劇の演目にはあまり関係の無いことなのですが、相手役の中にTさんという女生徒がいて、或る日とつぜんに練習を休んでしまい、それ以後まったく姿を見せなくなりました。とにかく気になってしかたがなかったのですが、かといって先生方に直接聞くのもはばかられて、ただただ子ども心に幾日も悶々と過ごしていました。
 その後しばらくして出演者の一人から、いまTさんは流行り病いの「猩紅熱=ショウコウネツ」に罹って入院中で、劇には出られないのだと聞かされて、ガッカリしたことを覚えております。今にしておもえば、少年の日のはかなくも淡いの恋心だったのかも知れません。女性徒に対してそんな気持ちを抱いたのは、その時が初めてでした。そんなたあいもない記憶が、いまなおおぼろげに残っております。きっとそれがわたしの初恋だったのでしょう。
 とにかくその劇は評判が良く大成功でしたが、両親が観に来ていたかどうかは分かりませんし、また今のように父兄たちに公開していたかどうかも、まったく記憶ののこっておりません。


                       <運動会>
 
 生徒の夏の楽しみはやはり運動会でしょう。
日頃体操に時間で鍛えた実力を、多くの親たちなどの前で存分に発揮できる、年に一度の日だったのです。
 朝早くから若駒のように張り切り、男子はランニングシャツに赤や青などの線を縫いつけたパンツに白の運動足袋、女子は開襟シャツにブルマーそれに運動足袋を履き、更に紅白の鉢巻や運動帽でグランドに駆けつけるのが常でした。
 なお男子たちは、足が軽く持久力が付くからと、代々上級生から言い伝えられていた、蓬の葉を搾って腿と臑に両足に塗り付けたものです。

 親たちが来なくなって生徒だけの運動会になったのは、たしか戦争も後半になってからはずです。生徒はみな昼飯の日の丸弁当だけ持って出掛けのです。
 当時の運動競技は、一般的な徒歩競争やリレーなどもありましたが、やはり戦時中だけに戦争色の濃い、騎馬戦・棒倒し・旗取りなどの競技が多かったと思います。また競技とは別に、武道の基本形とか技などを採り入れた体操や組体操もあったと記憶しています。