昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

追憶・じゃこしか一代記(6)小学校で

2007-04-04 18:46:23 | じゃこしか爺さんの想い出話
                     <冬の通学>
 通学に慣れてゆくに従って近道などの通学路を覚え、また上級生の跡について行き、最短距離の道を知るようになってからは、要領よく途中で遊びながら行くことを覚えました。
 しかし夏季間は時間を浮かせて色々と遊ぶことも出来ましたが、冬の通学では、厳しい寒さのために途中での道草などの余裕は全くありません。寒さを凌ぐ為に、母が造って呉れた分厚い靴下カバーを重ねて履き、更に靴の中に米俵の藁を敷き詰めたりもしたものです。
 それでも我慢出来ない時には、温まるまで良く走ったものです。なおこの冬の通学時には、一年生が我慢出来ずに途中で泣き出す者が、あちこちで見られました。中には高等科の生徒に背負われて行く者さえおりました。
 そのような寒さの中でも、上級生から倣い覚えたものや、自分たちで考えた遊びで楽しく通学したものです。まさに子どもたちは遊びの名人でした。
   
   1・・・馬糞蹴り・・・ 
 とにかく通学に慣れて来ると、家から真っ直ぐに向かう事はしないで、たいていは途中遊びながら行ったものです。今のように車が多いわけで無く、むしろ珍しい時代でしたから、タイヤーなどでアイスバーンが出来るわけも無く、除雪された道路は寒気と通行人の足で固められ、いつも歩行には丁度良い硬雪状態だったのです。
 私たちはグループを組んで、良く「馬糞蹴り」をしながら通学したものです。
「馬糞蹴り」と云うのは、当時の運搬業の主役は馬でしたから、馬糞だけは季節を問わず道路上に幾らでも転がっています。
 先ずカチンカチンに凍った馬糞の中から、なるべく硬くて真ん丸なのを選び出します。次にジャンケンでグループの中から鬼を一人決めてから、合図で一斉に逃げ始めます。鬼は馬糞を蹴りながら追い駆けて、その馬糞を相手に当てたら鬼の勝ち、当てられた者が今度は鬼に代わって追いかけるといった、極々単純な遊びなのですが、これが意外と楽しい上に、身体が温まるうえに学校にも早く着くことが出来ました。まさに一石二鳥の通学方法だったのです。
 
   2・・・スキー通学・・・

 新雪が積もった朝などは、長靴よりもむしろスキー方が便利だったので、時々スキー通学をしました。その時には普通の通学路で無くて、山を越えて行くのです。いわゆる山スキー或いはツアースキーと云ったところでしょう。

 私たちが住んでいた住吉町の炭砿住宅(八軒長屋)は、殆どが切り開いた山の中腹に建てられていましたから、家を出て少し登っただけで頂上に着くことができます。後は尾根伝いに松林の中を縫うように進むだけで、直に学校の裏山に辿り着くことが出来ます。そこから後は学校目掛けて、一気に滑り降りて行くだけです。
 弟や近所の子供たち列をつくって、松の原生林を滑って行く、この通学方法もまた気分爽快で楽しく、その上仲間意識や結束が固まり、とても有意義なものでした。

   3・・・雪スケート通学・・・
 
 新雪も踏み固められて来ると、今度はスケートの出番となります。ただスケートと云っても、氷上で滑るものとは異なります。しかし形そのものには余り違いは無く、ただその違いはそれぞれスケートの刃の厚さだけなのです。
 氷上を滑るスケートの刃はまるで包丁のようですが、雪スケートの場合は厚さが6ミリほどあって、硬雪であれば氷上同様に充分滑れるのです。勿論氷上並みにスピードも出る上に、技術さえ伴えば回転やスピンだって可能です。
 私は誰にも習ったことも、また資格が在ったわけでも無いのですが、スキーはもちろん、この雪スケートの達人だと自負していました。
 ですから、通学途上の坂道を滑り降りる時などは、いつも両腕を翼のように広げ、更に片足滑りで得意になっていました。片足で一気に滑ることの出来る者は、その当時の生徒の中に、私より他にはいなかったのでした。