<遠 足>
(1)・・・展望台・・・
わたしが約14年間育ち暮らした塔路町は、4キロほど内陸に入った盆地に在りました。その名のとおり町をとりまいている山のなかで、東側の一番奥にあって一際高い山が、町民から親しまれていた「天望台」です。
標高がどれほどだったのか今ではまったく覚えていませんが、とにかくどっしりとした姿の良い山で、朝な夕なにか町民に安心感を与えてくれる、とても貴重な存在でした。
この展望台の頂上からは街全体が一望できるうえに、スズランの群生地としても有名でした。時季になると5・6年生と高等科の生徒の遠足によく利用にされていました。穏やかに見えながらじっさいにはけっこう嶮しかったので、低学年のばあいは途中の中腹まででした。
5年生になって初めて頂上まで登ったのでしたが、その初めての眺めの良さは最高でした。また頂上のあたりはとても起伏に富んでいて、男子生徒らには最適な遊び場となり、昼食の時間も忘れ遊び廻っていたものです。しかし戦争も後半になって、この頂上に陸軍の監視所がおかれてからは、そこに近付くことは一切禁止されてしまったのです。
またこの天望台の麓には、昔アイヌの人たちが住んでいたことから「アイヌ」と呼ばれ、そのころも数件の農家があって、ジャガ芋やかぼちゃなどの野菜を作っていた。
ま たこの麓一帯は蕗などの山菜が豊かなうえに、近くの塔路川の支流にはイワナも棲んでいたので、春先には山菜採りに、夏休みにはイワナ釣に良く出か掛けたものでした。
(2)・・・塔路湖・・・
遠足で良く出掛けた先きのもう一つは、山とは全く正反対の浜塔路町の(塔路湖)でした。広さはどの位だったか分かりませんが、子どもの足でも時間さえ掛ければ一周出来たのですから、たいした広さでははなかった。
私たちは岸辺の深さがせいぜい膝上少しの辺りで、主に「トゲウオ~トンギョと呼んでいた」を捕まえて遊び、時には魚たちが水草に作った巣を壊したり、また巣の中の雌を追い出したりして遊んでいたのです。
またこの湖には「主=ヌシ」が棲んでいて、人を襲うとの噂されていましたから、遠足のほかに夏休みなどにも出掛けたこともありましたが、一人では絶対に近付くことはしませんでした。
どうやらそのヌシの正体は、かなり年数を経た「イトウ」だったようで、それを釣り上げたと人たちの話では、優に2メートルを超えて居たそうですから、そのころでもめったに見られぬ大物だったのでしょう。
それほどの大物ならば、小さな子どもくらいは楽々呑み込んでしまうだろうと云われ、子どもたちはしばらく近寄ろうしませんでした。
またその後湖岸を利用して陸軍の飛行場が造られるにいたって、自然と足が遠のき遠足にも遊びにもほとんど行くことは無くなってしまいました。