関東東北と日本列島を一気に駆け上って来た、時ならぬ台風並みの強風の物凄さで余り眠れなかったが、それも夜が白む頃になって落ち着き、それまで絶えず家を揺るがすように吹き付けていた突風が間遠になってから、漸くいつものように熟睡することができた。
だから老妻が何時起きたのか全く知らずに寝入っていたのだが、台所からの物音を夢の中での出来事として聞いていた。
初めこそ朧にしか聴こえなかったその物音は、覚醒が進むにつれてトントントンと次第にはっきりとして、それは老妻が俎板を叩く音、七草の「俎板叩き」であると直ぐに判った。
我が家の七草粥には餅を入れるのが、結婚以来の慣わしであった。それは私に始ったことで無く、私の子どもの頃からの仕来りだったから親代々続けられて来たものである。恐らく父も母も私同様無類の餅好きだったからで、それに私が似たのだろうと思われる。
例年通り今年の正月最後のお神酒を戴き、餅入りの七草粥も食して我が家の正月は終わった。そしてこれも又例年通りに玄関などの「正月飾り」と「鏡餅」などを取り下げて、それら飾りを更に可燃物と不燃物に分別して保管、後はドンド焼を待つばかりとなった。かくして我が家の平成19年度のお正月は無事に終わった。
だから老妻が何時起きたのか全く知らずに寝入っていたのだが、台所からの物音を夢の中での出来事として聞いていた。
初めこそ朧にしか聴こえなかったその物音は、覚醒が進むにつれてトントントンと次第にはっきりとして、それは老妻が俎板を叩く音、七草の「俎板叩き」であると直ぐに判った。
我が家の七草粥には餅を入れるのが、結婚以来の慣わしであった。それは私に始ったことで無く、私の子どもの頃からの仕来りだったから親代々続けられて来たものである。恐らく父も母も私同様無類の餅好きだったからで、それに私が似たのだろうと思われる。
例年通り今年の正月最後のお神酒を戴き、餅入りの七草粥も食して我が家の正月は終わった。そしてこれも又例年通りに玄関などの「正月飾り」と「鏡餅」などを取り下げて、それら飾りを更に可燃物と不燃物に分別して保管、後はドンド焼を待つばかりとなった。かくして我が家の平成19年度のお正月は無事に終わった。