昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

忘れえぬ人々から・・・ラブレター!

2005-01-23 22:19:29 | 日々の雑記
 就職後三年が過ぎて、私は三度目の配置転換で地域の総括店に移った。既に十八歳に成っていた。人には晩熟(おくて)と思われていたが、人並みに女性の存在がとかく気に成り初め、心ときめかす恋多き青年に成長していた。

 新しい職場にいた先輩がNさんだった。Nさんは、前の職場で出会ったSさんの硬派的な生き方に比べると、全くその逆で常に女性の噂が絶えず、周りからはいっぱしの色事師と目されていた。
 確かにNさんは甘いマスクをした優男でその特技はずば抜けた歌唱力持ち主だった。宴会などで当時の流行歌手「岡晴夫」ばりの歌声で皆を魅了し、特に女性に持てていた。

 その彼が何かと面倒を私の面倒を良く見てくれた。女性が多い職場だから男性が少ない上に年配者が主体で若年者は私が只一人で、キャッチボールなどの運動相手にされて急激に親しくなっていった。

 その頃配給所に配給物を受け取りに来る若い娘さんがいた。中学を出て間もないと思われるその娘さんは、配給日には必ず一人で私達の売り場にやって来た。初め彼女に目を付けたのはNさんだったが、年齢差が有り過ぎて私を取り持つ気になったようで、殊更彼女の様子を私に伝いて来た。
 「どうだいあの娘・・・可愛い思わないか?どこか愁いがあって、竹久夢二の絵のような娘さんだよね!○○君ならどう思うかな?」との問い掛けにも、当時まだ夢二の存在の知らなかった私は只そんなものかと思っただけだった。

 その翌日の昼休みの時だった。一緒に昼食を摂りながら、Nさんは又例の彼女の事を持ち出して「昨日色々とあの娘を観察していて気付いたのだが、あの君を見る目付きは只事ではないと無いと思う。絶対に君に気が有るに違えない。今がチャンスだから思い切って当たって見ろよ。迷っている時はぶち当たるのが一番さ。」と追い討ちをかける様に、便箋と封筒を弁当入れるかばんから取り出して、「実は・・ラブレターの見本を書いて来たから直ぐにでもこれを清書して届けてやれ!」と渋る私に半ば強引に説き伏せた。未だ初な私は、興味本位に乗せられているとは露知らずに、家に持ち帰り一夜掛けて仕上げた。文章内容は今では全く記憶に無いが、その時点では文章の巧さにつくづく感心したものである。

 苦心のラブレターは都合よく彼女に手渡せたものの、その結果は散々たるものだった。
 彼女はそれ以来プッツリと姿を見せなくなった。そして一週間も過ぎた頃になって、職場への行き帰りの路上でおかしな事に気付いた。あの彼女の仲間と思われる若い娘達が、私の方を見ながら肩を寄せ合いひそひそと話しながら笑っているのである。中には明らさに指差しているのもいた。
それ以来大分経ってからだが、あのラブレターは彼女の手から仲間に渡り、皆で回し読みされていた事を知った。その後尾ひれが付いて、地区全体の女達に伝わり更にその親達にも知られるまでになっていた。
 かくして私の初恋は見るも無残な結果で終わって仕舞ったが、一つの教訓を得た。
それはラブレターなどと云う、後日に証拠の残るような事は絶対にしては駄目だと云う事だった。それ以来私はその事をしっかりと肝に銘じて、ラブレターなる物は一度も書いたことはない。