昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

鮨屋の親仁さん!

2005-01-17 20:31:02 | 日々の雑記
 昨日朝刊のお悔やみ欄で、以前何かと便宜を頂いた鮨屋の親仁さんの訃報を知り、六時からのお通夜に出席した。
 祭壇の遺影はやや老けられたかな・・・と感じたものの、以前の優しさがそのまま残るものだった。お経を聞きながら約二十年にもなる親仁さんとの付き合いの数々を思い出していた。「親仁」さんと呼んでいたが、私よりは五歳戸年下だった。しかし鮨職人としての世界で、二十二年の職人を経て独立して二十六年と云う年月を過ごして来ただけに、中々の苦労人の上思慮深い方で教えられる事も多かった。

 私の現役時代には、銀行・大手取引先などの接待にどれほど便宜を図って頂いた事か、それは計り知れないほどだった。
 企業が行う接待は何処でも大体似たようなもので余り代わり映えしないのが普通だが、そんな中で少しでも差をつけたくて色々と思案する。その差が相手に好印象を与え、事が有利に進展する事が多いものだが、そうした点で随分便宜を受けた事があった。
 鮨屋のことだから、相手の気を引くには「鮨ネタ」の選択が手っ取り早い。北海道の東の果てではネタの種類にも限度がある。そこで親仁さんには目新しい「鮨ネタ」探しを内緒にして依頼する。

 その当時は養殖物のハマチなどは多く出回っており大して珍しくは無かったが、「シマアジ・カンパチ」の類は、殊に天然物になると入荷量も少な正に鮨ネタの逸品である。また養殖が主体のホタテも天然ものが手に入ると、こっそりと私だけに知らせてくれることになっていた。予告無しに呼び出されて、しかも思いよらぬ鮨ネタに舌鼓を打ち喜んだ。そうして私は大いに面目を得たものだ。

 その様な接待が思うように出来たお陰でどれだけ助けられた事か。その後現役を去り自費では高級な鮨屋などへ行く事は到底叶わず、会う事も無く今に至っていた。今はただただ心安らかにお永眠り下さいとご冥福をお祈りするのみである。

 聞けば昨年六月頃に発病して労災病院に入院していたと言うが、その頃私はその労災のリハビリ科に週に二回四ヵ月間も通っていたのに・・・せめてその頃に一度でもお目に掛かって居たらと、とても残念でならない。