畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

日記

2016-01-16 18:27:30 | 農作業

1月16日(土)   ときどき 

午前中は出荷作業。昼前、歯医者。午後は、秀地区の田んぼ。ロータリー耕を終わらす。これで、田んぼについては、すべての作業が終わり、次の耕作者に引き継ぐことができた。


葬儀

2016-01-16 17:19:02 | 暮らし

1月15日(金)  のち

穴場の人たちは8時集合だ。穴場の人数は多く、10軒だ。しかし、遠方に住む2軒と地元の1軒は欠席。かつては、葬式といえばどんなことがあっても集合するものだとの意識だったが、時代とともに変わってきた。体調が悪いとか、どうしても仕事が休めないということで、集落の儀式に参加しなくなる。これもしようがないことだと思う。しかし、中には納得がいかず、文句たらやらの人もいる。時代に合わせなければしょうがないだろうと、不満を押し込めるように言う。まずは、そんな出発だ。

7人は二班に分かれる。二人はお墓に向かう。亜墓の掃除とか、納骨室の点検などだ。六角棒を刺す芝も用意する。

もう一斑は、納骨に向けての儀式のための小道具つくりだ。藁と竹を使っていくつか作る。藁は喪主が用意しておく。竹の切り出しに向かう。このあたりはあちこちに、真竹などの林がある。用途に合わせ、適当に切りだしてくる。まずは、住職が書いた仏教語の旗を4本。書いてある和紙を麻で、竹竿に取り付ける。幟のようなものだ。次は、四華花。色紙を竹串に斜めに巻きつけ横に細かく切り込みを入れて作る。それを竹筒に藁を詰め込んだ花立に差し込む。2個作る。次は金剛草履。藁を三つ編みにしたものを、10㎝ほどに切り、二つ折りにして、竹を割って作る竹串に挟む。喪主やお客が、野辺の道中をお墓に歩くときに一つ一つ持つことになる。お客の数だけ作るから、かなりの数になる。喪主から、40人ほどといわれているので、50個ほど作っておく。

墓班が出かけて、小一時間経つと、刈っての人が、お酒1本と奴豆腐、おからなますをそれぞれ重箱に積めて届けに行く。土葬の時の穴掘り人たちへのお茶代わりなのだろう。今ではお墓はたいして用もないから、ただの儀式だ。しばらくすると、二人は帰ってきて、小道具つくりに加わる。11時ころにはほぼ終わり、片づけ、掃除をすると、早お昼。昔は、刈っての人たちが作ったが、今は出前だ。

昔と違うのは、告別式も自宅ではなく、ホール葬になったこと。セレモニーホールでは告別式が終わり、火葬出棺のころだ。お骨になると、帰ってきて、墓地まで野辺の道中なのだが、自宅から歩くのは大変な高齢化のため、墓地の近くのお寺から、出発することになっている。

食後しばらく休んで、小道具を持って移動し、寺で待つ。新年の15日までは、鐘もたたかず、念仏もなしとのことで、念仏衆も述べ送りだけに集まる。一行がバスで到着すると、住職の指示で、本来は鐘が先頭だが、今回は旗を先頭に、墓地に向かう。庭を三周してから、野辺の道中に。(歩くのが少なくよかったなあ) 墓地に着き、納骨、お参りの間、穴場は草履を回収し、小道具一式を焼却する準備。そして最後にお参りして、すべては終わる。

公会堂に集まり、喪主からの金一封と、奴豆腐、からなますで、穴場と念仏衆の精進落としで、長い長い一日は終わる。

そろそろこうした、昔からの葬式はなくなってゆくだろう。