畑のつぶやき

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食、農への思い

共同作業

2009-09-12 20:58:12 | 暮らし
9月12日(土)  いちじ 

共同作業は、道路の草刈。この26日は、地域のお祭りである。祭前に、草刈をして、気持ちよく迎えようという、役員の計らいである。午前中の作業だ。
午後は、ハウス内に、シュンギク、ホウレンソウを種蒔。不織布で防虫。
今日の雨、思ったより降ってくれた。昼近くから降り始め、時間は短く、断続的ながら、十分湿らせてくれたようだ。夕方までに、約20㎜強。県内では、最も雨量が多いとの気象状況を見て、一安心。さらに、今夜も、断続的に降る予報。水かけはしないで済みそうだ。

所で、共同作業について。
農水省の、農村地域の環境保全のための補助事業として、土地改良区(という団体)に、活動に対して、予算がついたことは、以前に触れた。道路、水路の、周囲の草刈等を共同で行った場合、参加した人には、日当が支払われるようになった。それが、三年目に入ったと思う。今年も、今日は、三度目の作業である。
しかし、その参加者が、減ってくる傾向にある。私たちの集落単位は、15軒ほどだ。その中で、作業に参加すべきで(強制ではないが)、かつ、出来るのは、10軒位なのだが、参加者は、5名だった。
集落の環境維持としての、共同作業なのに、なぜ、参加者が減る傾向なのか。
いろいろな原因はある。農業者の絶対数の減少。兼業者の勤務の正規化。若い人たちの、共同作業に対する意識の変化。等々。
その中で、一つ考えられるのが、共同作業に対する日当の問題もあると思う。地域の作業に参加するのは、良し悪しは別として、住む人たちには、何らかの義務感があったと思う。少なくとも、参加できないときには、後ろめたさがあった。作業しているみんなに、「申し訳ないな」という気持ちがわいていたはずだ。
しかし、今、共同作業の参加者は、日当が払われる。参加できない(参加しない)人にとって、「俺は、日当を貰わないのだ」という意識が生まれる。それが、参加できなくて、申し訳ない、という気持ちから、日当を貰わないのだから、出なくてもかまわないんじゃないかという気持ちに変わる。
参加者は日当。不参加者は日当なし。だから、両者とも対等、という発想に変わっていく。地域の共同体的作業が、限りなく、賃労働的作業に変わっていく。