シルクロード雑学大学で、絹の道を楽しんでいるのだが、信州に帰って来たので、近所の絹関連の場所、岡谷に出かける事にした。塩尻峠を越えれば、諏訪湖の向こうに富士山が、、、残念、雲で見えない。
宮坂製糸所の横に去年移転した岡谷蚕糸博物館に来てみた。
ここでは、実際に数個の繭から、糸を取る体験をしたり、
絹産業の繁栄と衰退の歴史を辿る事が出来る。
世界遺産になった富岡の官営製糸工場に導入された、手前のフランス式繰糸機は鋳鉄フレームと、銅板桶等、全金属製だったのに、
それを模倣した後の日本製の繰糸機はフレームはおろか弾み車まで木製、繭桶は瀬戸物、金属製は給湯管のみ。
技術指導にきた外国人からみたら、醜悪かつ滑稽な、模倣品、パチもんに見えたろうが、コストが安く、小柄な女工に合ったこの繰糸機を使った岡谷の製糸工場が、富岡の官営工場を圧倒していくことになる。
資本蓄積が進み、大量生産が進むと、動力も
天竜川の水車から、蒸気機関になり、
繰糸機も、女工の手先と注意力で均一な糸を作っていた時代から、次々と新型の大型自動機が導入されて行く。その究極がこれ、
女工哀史時代の数百倍の能力の繰糸機、糸の太さを自動制御している。銘板は、日産自動車、そう、あの日産が繰糸機をつくっていたんだ。(トヨタも自動織機だったし、繊維機械と自動車産業は、意外と関係が深い。)
でこんな機械ができてしまうと、どこでも機械があれば糸ができるようになり、岡谷の製糸業は衰退していくことになる。
と、クリスティンセンのイノベーションのジレンマや産業論も勉強できる施設になっているのであった。