逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



我家のプリウスに保険での小修理の必要が出たので、同じプリウスの代車を借りた。ふと生涯燃費を見ると、走行42,000kmで21.2km/㍑、とプリウスらしからぬ、まさかの数字。


ちなみに我家のプリウスを確かめると31,000kmで生涯燃費28.2km/㍑である。


いくらレンタカーで雑に乗っているだろうとは言え、その差8km/㍑。1年1万km乗るとして、170*(10000/21.2-10000/28.2)=19,900円、年間2万円も私はエコ運転しているのだろうか???

それから、いつもの調子で、国道に入ったらACCを効かせて安全かつぶつからない楽な運転をしようとしたら、自動操舵をしてくれない。50km/hを越えないとACCが働かないようなので、ノロノロ運転時の半自動運転は出来ない仕様のようだ。


外側は殆ど同じ1世代前のプリウスなのだが、レーダーや車、自転車、人物の画像検出も違うようだ。



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4/19㈬、グレートジャーニー改のタイヤがバースト寸前となってしまい、当初考えていた、野平の一本桜をもう一度見に行くのが不可能になってしまった。車で行って、駐車場から数百メーター歩いて撮影に向かっても良いのだが、、、、、遅い昼食を取った後、さあどうしよう?
そうだ、もう一度、嶺方峠へ行こう。午前中e-Bikeで登った道をロードスターで、バビューンと登る。


撮影の人気スポットなのだが、この時間帯は誰もおらず。


ラッキー。八方尾根、白馬槍、杓子岳。


白馬三山のみならず、五龍岳方面も雲が取れて、良い感じ。


車の位置を変えて、また撮影。


自転車が写らないように、


さらにもう一枚。


写真も撮り飽きたので、今日の汗を流しに、白馬塩の道温泉 倉下の湯へ戻る。


塩っぱい濁り湯の源泉かけ流し、温度も41℃くらいで、雄大な景色をながめながら長湯ができる露天風呂を一人占め。

帰りに中綱湖に寄るも、風があって湖面に写る桜は取れず。


一日に2回、グレートジャーニー改とロードスターで嶺方峠へ登ったこの日、気温も高かったので、フルオープンで家までドライブして帰って来た。



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平地の桜がほぼ終わった後に、伊那谷に花桃のお花見に出かけていた。そこで知ったのは、花桃の起源は福沢桃介がドイツに行った時に持ち帰った3色花桃を須原発電所に植えたのが始まりだとの事。
ならば、須原まで行って見ようと、4/17㈪出かけてみた。
須原発電所のオリジナルは水車エッシャーワイス、発電機シーメンスなので、ここの商談のついでに、自分の名前の付く、花桃を買い求めたという話は納得できる。


発電所の放水路堤に沿って植えられている三色花桃、残念ながらもう散りつつある。


さらに奥の方に歩いていくと、良さげな花桃の老木群。


福沢桃介が植えたものか?それともその子孫なのか知らないけれど、この花桃から、現在の南信州の花桃ブームが始まったのかと思うと感慨深いものがある。


せっかく須原まで来たので、定勝寺に寄って庭を見てゆく。寄進された達磨像が印象深かった。



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4/10㈪午前中の箕輪の花桃街道はまだ花桃が五分咲で残念であった。午後は去年偶然遭遇した大曽倉川周辺の花桃を見に出かけた。大曽倉川を渡り、車のすれ違えない細い道を辿って、着きました、去年発見の地点。


圧倒される色彩。何種類もの花桃と芝桜、ムスカリ、水仙、、、。あまりにも綺麗なので、手入れ中の女性に「凄いですね」と声を掛けてみた。


ここ、以前は桃園だったのだが、両親が歳を取り、出荷をやめて花桃を植えたのだとか。春先は農家の実家は忙しいので、都会から週末に戻り、手入れをしてやっているとの事。頭が下がる思いだ。
許可を貰って、少し小高い隣の畑との境界に登らせてもらえば、木曽駒ケ岳を背景に、ピンク、白が拡がる。


これで、もう少し雲の無い木曽駒ケ岳がクリアーに写れば100点満点なのだが。それは望み過ぎ。


去年発見の花桃と再会できたので、次は谷の反対側にある、その名も、「花桃の里」すみよしやへ。


30年ほど前、茶屋の周りに花桃を植え始めて、この辺りの花桃流行の流れを作った店らしい。


もう午後遅くなって、お茶屋さんはオーダーストップ。なれど、我家はサーモスの紅茶にクッキーを持参しているので、遅い、午後の紅茶を園内で頂く。


一休み後、さらに上流に歩いて、


午後の日差しで色が変化していく花桃を眺めて、今日のドライブはお終い。



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4/10㈪、我家の花桃も咲き、奈良井川段丘の花桃もほぼ咲きそろったので、伊那谷の花桃も咲いているだろうと、伊那谷にドライブに出かけた。
最初に訪れたのはみのわ花桃街道の下古田の展望台


咲いているけれど、まだ五分咲き、中にはまだ蕾の木もあり、1週間早かったかなぁ。


咲いていれば、素晴らしいのだろうけどと、ブツブツ言いながら5分咲の花桃街道をドライブ。これも荒れ果てている、伊那梅園をちょっと覗き、


今日はハズレだったか?と、カタクリの里の案内板を目にしたので、山道に逸れ数km登る。良く整備されているけれど、まだ咲いていないジャン。



ここもハズレかと、日当たりの良い方に向かうと、僅かですが、咲いていました。


でもまだまだ満開には程遠く、ここも後1週間ほど後が正解だったかなぁ?


さて、次はどこへ行こうかとGoogleマップを覗いていると、花桃街道の近くに、中曽根のエドヒガンという印がある。桜はもう終わっているかもしれないが、行って見ましょうと立ち寄ったのだが、これが大正解。


通称権現桜の横の家の当主が代々桜守をしてきたおかげで、幹の太さに負けない、勢いの良い桜だ。


もう満開を過ぎて、散り始めではあるが、南アルプス仙丈岳を背景に、天空に向けて枝を広げている。


これで、午前中の天竜川右岸、箕輪、伊那のお花見はおしまい。お昼ご飯はかんてんぱぱガーデンで、寒天ラーメンとミニカツ丼。


午後の天竜川左岸の花桃見物はまた明日、記事UP。



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4/1㈯、ほくとの桜めぐり2日目の最初は三代校舎ふれあいの里へ。


下津金にあるこの小学校、明治、大正、昭和の校舎が3つ並んでいて、しかも昭和の校舎はレストラン、明治の校舎も食堂や講習会場として現役使用されているのが素晴らしい。


山梨県にも明治に学制令が出てすぐに擬洋風に建築された小学校が幾つか残っているらしい。その内訪ねてみよう。


3階の太鼓楼から校庭を見下ろせば、満開の桜の向こうに甲斐駒ヶ岳。


続いて訪れたのは、谷戸城址公園。桜の向こうに八ヶ岳。


次は神田(しんでん)の大糸桜。こちらもかなりの古木で支えられてようやく咲いている感じ。


蕪の桜並木、牧草地の向こうに八ヶ岳。


振り返れば、甲斐駒ヶ岳。


道中、北の杜カントリークラブ近くの個人の庭。もう芝桜が咲いている。


最後に清春芸術村の桜を眺めて、今日のお花見ツアーは修了。


これでほくとの桜のほとんどの場所でお花見ができた。



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3/31(金)のほくとの桜見物のお泊りは、神代桜から1000m標高が高く、あと一ヶ月後?に桜が咲くという、清泉寮を選んだ。


7年前の正月、寒い中泊まった時見たこの絶景を再体験できるかも?と思ったからだ。


朝、早起きし、厚着で外に出たが、残念ながら、太陽の登る位置が北東にズレ、しかも春霞が有るので、富士山のシルエットがしっかり浮かび上がってくれない。


甲斐駒ヶ岳、仙丈岳が茜色に染まるのも見たかったのだが、モルゲンロートは現れず残念。


たっぷりと朝食を食べ、朝風呂を浴びてから、腹ごなしに周辺のお散歩。
今朝飲んだ、牛乳の生産者/ジャージー牛たちにご挨拶、頭撫でをして、、


清泉寮の創立者である、ポール・ラッシュ氏が眠る、清里聖アンデレ教会へ。信者ではないが一応お参り。


以前住んでいた、横浜の家の近くに、この教会の基盤となった横浜聖アンデレ教会があり、クリスマスの頃には聖歌隊が近所を回ってクリスマスキャロルを聞かせてくれたのが懐かしい。
教会の内部は椅子席と畳敷きのある不思議な空間だった。


せっかく清泉寮に来たので、お花見の前に、絶景ポイントへ。


お昼近くになって、残ったほくとの桜見物に繰り出した。続きはまた明日UP。



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桜の三大古木の一つ、山高の神代桜を見るべく、3/31(金)に清里の清泉寮を予約してあった。所が1週間ほど前に友人から例年より2週間も早く神代桜が満開になったとの情報が入る。神代桜はだめでも、宿の予約も有るので、他のもう少し標高の高い所の桜でも見ようかと、北杜市の桜地図をダウンロードし、A2判にポスター印刷して北杜市に出かけた。



長坂インターをおりてすぐ、牛池に到着。溜池の周りの桜がほぼ満開。


桜の向こうに甲斐駒ヶ岳。近所の工場の方が、昼休みにお花見としゃれこんでいた。


続いて、先週満開を迎えたという山高の神代桜のある実相寺へ。



満開を少し過ぎてはいるけれど、充分見ごたえのある神代桜。


しかし、よくまあ咲いているもんだ。一度死に絶えそうになり、そのむくろから再度、再生したものの、やっと立っていると言う感じ。


続いて、こちらは戦後生まれの真原桜並木へ。


戦後、開拓団が切り開いた道の両側に植えた桜。
さらに横道には新しい桜も植えられている。


最後に、神宮川の桜並木を眺め、


宿へとむかったのであった。回ったのはこんなコース。



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最近、自転車に乗る機会が多くて、若干お疲れ気味。3/22㈬は快晴で気温は4月末の暖かさだと言うが、自転車に乗る元気が無い。こんな時は冬用タイヤを履いていないので冬の間ご無沙汰だったロードスターに乗りましょう。標高2000m近くだけれど、今年は道路は通じているはずの霧ヶ峰をめざす。(去年のなだれ通行止めの時のサイクリングはこちら

途中の立石公園から諏訪湖を見下ろしながら穂高連峰を眺める。


霧の辻に来たけれど、広い駐車場に車は2,3台のみ。乗鞍岳~穂高連峰を一望する景色を一人占め。


左に目を転ずれば、真っ白な御岳と乗鞍岳。


和田峠方向に走って八島湿原へ。雪はもう解けて、湿原の氷も半分融けていた。


再度、霧の辻から霧ヶ峰へ。ワインディングロードを駆け上がる。


ビーナスラインはフルオープンのロードスターが沢山走っているのだが、今日は一台も会わず。皆さんまだ寒いと思っているのだろうな。


気温は信じがたいことに18℃、フルオープンで走るのに丁度良い天気だ。


富士見台では富士山もかすかに見えたが、東方向、南アルプスは逆光で綺麗な写真にならない。のんびりお湯を沸かし、ランチとコーヒー、そして一人景色を楽しむ。
白樺湖に下り、さらにビーナスラインを辿る。2in1スキー場。まだ雪はあるが、お客が少ないね。


ゆったりとドライブを楽しみ、最後に岡谷のロマネットで今日の汗を流して帰宅。

 



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コロナも少し下火になった?頃を見計らって、1/22㈰隣県へ1泊旅行、浜名湖の舘山寺温泉へ。
天気は下り坂だが、到着時は何とか晴れていて、浜名湖を遊覧船で回る。



夕暮れ間近、浜名湖に日が傾いていく。


急いで宿に帰って、12階の露天風呂から、浜名湖に沈む夕日の眺めながら湯治三昧。今日の疲れを癒した。その後、鰻とステーキの食べ放題、飲み放題で体重が1kg増加。
翌日、舘山寺の穴大師で弘法大師を参拝し、


小雨がぱらつき、寒風の吹き付ける中、弘法岩の上で修行に励んだが、一向に悟りは開けなかった。


修行が足りないのを補う為、舘山寺のある半島を一周。トサカ岩から浜名湖PAを望む。



昼食後、浜松へ。大河ドラマなどに興味があるわけでは無いが、、、、


どうする家康の観光名所を押さえに浜松城で、今日の観光はおしまい。


大寒波が襲来する前日の1/23に無事帰宅。



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この所寒さが緩んで、家の影の部分の雪もすっかり融けた1/14㈯、但し雨がぱらついているので、人出はそれほどでもないだろうと、朝日古見の古川寺(こせんじ)に厄除けのお参りに行ってきた。もう自分には厄年は無いだろうと思っていたら、72歳は八方塞がりだと言う。旅行にも行きたいし、自転車にも乗りたいので、八方塞がりを打破すべく出かけた次第。
しかし、田舎の山寺にこの人だかりだ。


出店が6軒ほど、さらに暖かいうどんを食べさせる食堂まで開いている。
コロナも怖いので、さっさとお参りを済ませ、退散。


それならと、同じ真言宗で丁度1週間前に厄除け祈祷祭が行われた今井の宝輪寺にもお参りしておこうと、立ち寄ると、境内には誰も居ない。


境内をゆっくり散歩して、静かにお参りをしてきた。

【おまけ】ここ宝輪寺も一週間前はこんなだったらしい。




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5年前の免許書き換えの直前に東名高速でネズミになってしまい、「あぁ、折角のゴールド免許が次はダメ」と思っていたら、既に更新ハガキが送られており、そう言った人には、記録上は違反の事実と点数は残るが、発行されるのはゴールド免許と知り、大喜びした。
5年後の今日、先月受けた高齢者教習終了証を持って、免許センターに向かった。みぞれ交じりの悪天候だったが、行く手には大きな虹がかかっている。何かよい事が有りそうな予兆。



天気が悪いこともあって、免許センターはガラガラ、テキパキと処理が進んで行く。


だがしかし、今回は5年1ヶ月前のスピード違反が反映されて、ブルー免許だと諦めていたのだが、発行された免許証を見ると、何とゴールド免許=優良運転者免許だよ!


やったね!うまい事、手続きの谷間に落ちて、10数年のゴールド免許歴が継続することになった。公安委員会からの思わぬクリスマスプレゼントだよ。
高齢者扱いなので、有効期限が5⇒3年になったのは寂しいけれど、これからも安全運転で優良運転者の扱いをされるように努力しよう。



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今回の上京の目的、3年振りの高校在京同期会出席前に、大学同級生の友人その2のK氏を訪問することになっていた。当初の約束は、駅前のファミレスで他の友人S氏を交えてダベろうかという話だったのが、番狂わせ、自宅で奥様がランチを準備しているので、是非となった。で、出てきたのがこれ、


まいったなぁ、一応小さな手土産はもってきたが、フルコースのランチじゃん。
40年振りに会ったS氏の早期退職後の起業の苦労話とか、話題には困らなかったので、お箸が進んだが、3人では食べきれずに、残してしまったのは申し訳ない。


K氏宅訪問後は都心に出て、高校の同期会に出席。3年振りと言う事、そして私のように、信州からの出席もわずかあり、30数名出席の盛会であった。



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埼玉の横田ハープシコード工房を訪問した後は、関越、圏央道経由で横浜に戻り、45年過ごした横浜の旧居3ヶ所を訪問。数十年経った今もあまり変わらない環境のままであることに、少しほっとした。
車をスマホで予約してあった横浜ビブレ地下駐車場に停め、西口の飲み屋ビルへ。今日の宴会は機械科/精密機械科の合同ミニ同窓会。某T社2人、某F社2人の宴会をO君がアレンジしてくれた。



卒業以来、SNSでは見知っていても、実地に会うのは48年振りだったりするが、すぐに昔の話題に戻れるのであった。とは言え、記憶の朧気になった点も多々あり、私は同郷のA君が精密機械科卒業だとばかり思っていたが、実は1年後の機械科卒業であることを、半世紀ぶりに知ってしまった。

早割りで5時から始めた宴会であったので、昔懐かしい、でも少し様相の変わった横浜駅周辺を散歩の後、16号経由、今晩お世話になる立川の親戚の家に帰ったのであった。



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東京で高校の同期会があるので、3年振りに首都圏へ出かけることになった。
せっかく上京するのだから、コロナ禍の旅行禁止の鬱憤を晴らすべく、今まで会おうとしていて、会えていなかった友人の所にオジャマする旅を計画した。

第一日目の午前中に、埼玉の丘陵地帯、まるでトトロの森の中にでもあるような、「横田ハープシコード工房」を訪問した。


横田君は大学の同級生の一人。私を含め、そのほとんどが大企業のサラリーマンに成ると言う運命に逆らい、ハープシコードとかチェンバロと呼ばれる、メジャーではない古楽器を作って、卒業後50年を生きてきた人だ。以前から訪問したいと思いながら、最後に会ってからもう40数年経ってしまった。
彼が作っているハープシコードと言うのは、ピアノの前身の鍵盤楽器なのだが、ピアノは打楽器、ハープシコードは弦楽器なので、全然違う繊細な音がする。また強弱をつけて、大きな音で鳴らせるピアノフォルテに押されて、一時期は音楽界からほとんど忘れ去られた古楽器である。



高低の順に張られた弦を鍵盤ではじいて音を出す。



これを個人で、鍵盤のアクション機構から、


弦をはじく部分まで、部品の一つ一つを手で作り出していく、気の遠くなるような作業で作られている楽器だ。


こんな楽器を一から作るのにはさぞかし立派な工作機械や工具があるのかと思ったら、かんな盤などの基本的な木工機械と、治具、そしてそれほど多くは無い手工具のみで、この楽器を作っているとのこと。弘法は筆を選ばずで、少ない工具でこれだけの楽器を作ってしまえるのだ。


沢山あるのは、組立の時に使う、Fクランプとハタガネくらいだろうか?


一からの手作り、しかも大型の楽器なので、それを作っても、買ってくれる人が居るのか、以前から心配していたのだが、世の中は良くしたもの、生涯で数十台販売し、奥さんの内助の功もあり、それで十分生計を立ててこられたのだと聞き少し安心した。

古楽器やバロック音楽に興味のある人は、こんな可搬式のハープシコードもあるので、一台いかがだろうか?


ハープシコードの音色に癒されて、昔話をしながら、つい長居をしてしまった半日であった。



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