木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1372 正眼寺の花(27-10)

2015-05-31 08:00:00 | 花一般

  2015.05.27(水)、前回訪問から、約二週間が経過したので、花の顔触れが変わったものと考え、再度、正眼寺にお邪魔したのであります。 私の「花写真鑑」に記載済の花は前回紹介したので、今回は「花写真鑑」」に無い花、つまり、”新種”9種類を中心に紹介します。  

 

 「エダザキキキョウ(枝咲桔梗)」     ”新種” 登録NO1150

「花写真鑑」http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/edazakikikyou.html

 

 

 「ハナセキショウ(花石焦)」   ”新種” 登録No1151

「花写真鑑」http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/hanasekisyou.html

 

 「ツクシカラマツ(筑紫唐松)」  ”新種” 登録No1152

「花写真鑑」http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/tukusikaramatu.html

ちょっと写真がまずくてよくわからないかも・・・!。

 

 「キョウカノコ(京鹿子)」  ”新種” 登録No

「花写真鑑」http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/kyoukanoko.html

「シモツケ」と花はよく似てますが、葉がまったく異なります。

 

「トリアシショウマ (鳥足升麻)」  ”新種” 登録No1155

「花写真鑑」http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/toriasisyouma.html

 

 「ヤマアジサイ シチダンカ(七段花)」  ”新種” 登録No1149

「花写真鑑」http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/sitidanka.html

「ヤマアジサイ」から生まれた花のようですが、自然界での「交雑種」ばかりでなく、「園芸品種」も含まれているやも知れませんが、以下4点紹介します。

 ただし、この「七段花」は六甲山でシーボルトが見つけて以来、発見者が居なかったが、後年発見されて、それが広まったもので、”幻の山紫陽花”とされていたようですが、明らかに「交雑種」と言えそうです。

 

 「ヤマアジサイ フジノシラユキ(富士白雪)」  ”新種” 登録No1153

「花写真鑑」http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/hujinosirayuki.html

 

「ヤマアジサイ アイヒメ(藍姫 )」   ”新種” 登録No1153

「花写真鑑」http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/aihime.html

写真ではレンズやセンサーの具合で正しい色合いが出ていませんし、紫陽花は肥料や環境で花の色が変わりますが、この花の実物はその名の通り見事な”藍色”を呈しています。

 

 「ヤマアジサイ ベニツルギ(紅剣)」   ”新種” 登録No1157

「花写真鑑」http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/beniturugi.html

木が大きくならないのに、花が可憐に咲くところが気に入って、挿し木をしたものを、一株頂戴してきました。 木の高さ10cmたらずですが、蕾を付けています。

 ”新種”は以上です。

 

 「オオキンケイギク(大金鶏菊)」

「花写真鑑」http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/ookinkeigiku.html

外来生物法により、特定外来生物として、栽培、譲渡、販売、輸入などは禁止されてはいますが、自然に生えるものは止む無しとするのか否か知りません。 今の時期どこにでも咲き誇っている。 ここは寺の境内外の田んぼとの間ですが、珍しいのや八重咲きが我が世の春を謳歌しています。

 

 

私は今、可能なあらゆる方法で、”花を見て歩き、「花写真鑑」への登録件数を増やそうと、ボケた頭をひねり、壊れかけの足腰を叱咤しつつ、”新種”探しに励んでいます。

 そして、”新種”を見つける度に歓喜の声をあげているのです。 言い換えれば、今の私の生きがいと言ってもよい程に”新種”は大事な存在です。 それをブログに書かずしてどこに表すのでしようか?。

 ただ、花や、その”新種”に興味のない方には、毎回のブログに”新種”の文字が再々現れるのは、煩わしい、うっとおしい、他に書くことがないのか、と思われる事は十二分承知しています。

 しかし、私の”生きがい”とも言える”新種”さがしと、その記録を止めよと言うのは極めて厳しい注文であり、生きて行く目標さえ失いかねないことです。

 老い先短いのだからと言って、しぼんでいたくはないのです。何かをしていたい、していなければならない。その何かが、今は”新種”なのです。 (熱が冷めるまでの短い間かもしれませんがね。)

 

 よって、生ある限り、”新種”を求め、書き続けて行きます。

 

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