さて、下平田の亥の子の行事である。
元々は農業を営む村の行事であっただけにかつては農家の家を無巡っていたという。
農家旧村はおよそ5、60軒。
子供も農家の男の子が行っていたが、現在は子供会の主催行事に移っている。
他所から移転してきた人たちが住みつき新旧が馴染んだ村になった。
旧村の子供がたくさんいた時代は随分と前。
いつしか少子化が訪れる。
新町の住民が増えて子供会に移った。
そのころも男の子だけで行われていた。
「うちの息子がしていたときは男の子だけやった。それほど子供が多かったということだ」と話す水利組合の男性。
その後に改正されて「女の子も加わるようになったのは20年前ぐらいだろうか」と話す。
男女ともに行われるようになったが対象者は小学5年生と6年生はかわりない。
兄ちゃんや姉ちゃんがしている亥の子のデンボ叩き。
それを終えて自宅に帰ってきたらがっぽり貰ったお金の額が家で話題になる。
そんな様子を知った子供はまだ到達年齢に達していない。
さらに成長した小学4年生になればわくわくするという。
この年に集まってきた対象の子供は5年生が3人で6年生は7人。
下の子の兄弟も一緒に母親と付いてきた。
かつては子供だけで地域を巡っていたが、昨今の事情から考えて母親が付き添いで巡っている。
一旦は集会所に集まった子供たちは出荷場に移動する。
ここで先日作ったデンボを一人ずつ受け取る。
デンボの見本は長老が作った。
作り方を教わりながら作ったデンボは自作である。
長さは異なるものの立派なデンボに仕上った。
総代からここを持って示す輪っか部分。
地面を叩くほうが太くて重たい部分。
ここをデンボと呼ぶと総代は話す。
「今日は12月15日で亥の子といいます。子供たちがそれぞれの家を回って、デンボを叩いて家の繁栄を祝うのです。この前覚えた亥の子の唄を元気よく大きな声で繁栄のために唄ってください」と挨拶された。
下平田地区の軒数は多い。
以前は一団で行っていたから終わる時間も夜八時を過ぎていた。
夕御飯も食べずにやってきた子供たち。
少しでも早く終わりたいと現在は二つの組に分かれて地区を巡っていく。
地区を分担する線引きは平田川。
北と南に分かれて出かけて行った。
チャイムを鳴らして家の人に「亥の子をしてもいいですか」と声をかける。
了解を得て始まったデンボ叩きは玄関先。
庭までは入らずに叩くデンボ。
「亥の子の晩に 餅の搗かん家は 箸の家建てて 馬の糞で 壁塗って ここの嫁さん何時もろた 3月3日の朝もろた 鰯三匹 酒五合 新米藁でいぉう(祝)てやろ もひとつおまけにいぉっ(祝)てやろ」と唄う。
1軒、1軒と巡るたびに型崩れするデンボ。
藁は地面に散っていく。
子供が作っただけに崩れやすいと話す母親。
祝儀のお金を貰えば「ありがとうございます」の黄色い声が一斉に弾ける。
現在は新婚の家だけでなく子供が居る家が対象になっているようだ。
藁の埃がでるからとか子供がいないからとかで断る家もあるそうだ。
平田に嫁いできた子供会の母親が話すには「始めてみたときは、バンバン叩くし、これっ何なのとすっごく驚いた」ことを覚えているという。
実際、見聞きしたことがない人にとっては驚きしかなかったのであろう。
何十軒巡ったのであろうか。
車の往来が激しい大通りに向かう家や新しい家に農家の佇まいをみせる家など平田地区は広い。
およそ一時間経ったころに分かれた組と合流した子供たちは集会所に入っていった。
そこで行われるお礼に貰った戦利品(金)を分け合うのだ。
テーブルに並べられたお金を数えていく。
昔は年長の6年生が多めに取っていたが、現在は人数で割り切れるように分配していく。
亥の子で収穫した分け前のお金が貰えるのは2年間。
中学生になれば資格を失う。
お菓子の数もきっちり分け合って解散した。
(H23.12.15 EOS40D撮影)
元々は農業を営む村の行事であっただけにかつては農家の家を無巡っていたという。
農家旧村はおよそ5、60軒。
子供も農家の男の子が行っていたが、現在は子供会の主催行事に移っている。
他所から移転してきた人たちが住みつき新旧が馴染んだ村になった。
旧村の子供がたくさんいた時代は随分と前。
いつしか少子化が訪れる。
新町の住民が増えて子供会に移った。
そのころも男の子だけで行われていた。
「うちの息子がしていたときは男の子だけやった。それほど子供が多かったということだ」と話す水利組合の男性。
その後に改正されて「女の子も加わるようになったのは20年前ぐらいだろうか」と話す。
男女ともに行われるようになったが対象者は小学5年生と6年生はかわりない。
兄ちゃんや姉ちゃんがしている亥の子のデンボ叩き。
それを終えて自宅に帰ってきたらがっぽり貰ったお金の額が家で話題になる。
そんな様子を知った子供はまだ到達年齢に達していない。
さらに成長した小学4年生になればわくわくするという。
この年に集まってきた対象の子供は5年生が3人で6年生は7人。
下の子の兄弟も一緒に母親と付いてきた。
かつては子供だけで地域を巡っていたが、昨今の事情から考えて母親が付き添いで巡っている。
一旦は集会所に集まった子供たちは出荷場に移動する。
ここで先日作ったデンボを一人ずつ受け取る。
デンボの見本は長老が作った。
作り方を教わりながら作ったデンボは自作である。
長さは異なるものの立派なデンボに仕上った。
総代からここを持って示す輪っか部分。
地面を叩くほうが太くて重たい部分。
ここをデンボと呼ぶと総代は話す。
「今日は12月15日で亥の子といいます。子供たちがそれぞれの家を回って、デンボを叩いて家の繁栄を祝うのです。この前覚えた亥の子の唄を元気よく大きな声で繁栄のために唄ってください」と挨拶された。
下平田地区の軒数は多い。
以前は一団で行っていたから終わる時間も夜八時を過ぎていた。
夕御飯も食べずにやってきた子供たち。
少しでも早く終わりたいと現在は二つの組に分かれて地区を巡っていく。
地区を分担する線引きは平田川。
北と南に分かれて出かけて行った。
チャイムを鳴らして家の人に「亥の子をしてもいいですか」と声をかける。
了解を得て始まったデンボ叩きは玄関先。
庭までは入らずに叩くデンボ。
「亥の子の晩に 餅の搗かん家は 箸の家建てて 馬の糞で 壁塗って ここの嫁さん何時もろた 3月3日の朝もろた 鰯三匹 酒五合 新米藁でいぉう(祝)てやろ もひとつおまけにいぉっ(祝)てやろ」と唄う。
1軒、1軒と巡るたびに型崩れするデンボ。
藁は地面に散っていく。
子供が作っただけに崩れやすいと話す母親。
祝儀のお金を貰えば「ありがとうございます」の黄色い声が一斉に弾ける。
現在は新婚の家だけでなく子供が居る家が対象になっているようだ。
藁の埃がでるからとか子供がいないからとかで断る家もあるそうだ。
平田に嫁いできた子供会の母親が話すには「始めてみたときは、バンバン叩くし、これっ何なのとすっごく驚いた」ことを覚えているという。
実際、見聞きしたことがない人にとっては驚きしかなかったのであろう。
何十軒巡ったのであろうか。
車の往来が激しい大通りに向かう家や新しい家に農家の佇まいをみせる家など平田地区は広い。
およそ一時間経ったころに分かれた組と合流した子供たちは集会所に入っていった。
そこで行われるお礼に貰った戦利品(金)を分け合うのだ。
テーブルに並べられたお金を数えていく。
昔は年長の6年生が多めに取っていたが、現在は人数で割り切れるように分配していく。
亥の子で収穫した分け前のお金が貰えるのは2年間。
中学生になれば資格を失う。
お菓子の数もきっちり分け合って解散した。
(H23.12.15 EOS40D撮影)