マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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名張市安部田の民俗調査①三重県のいのこ行事

2022年12月05日 07時42分11秒 | もっと遠くへ(三重編)
平成28年11月14日のことだ。

知人のAさんが住まいする地域でしている、と知らせてくれたイノコモチ行事である。

10年ほど前、大阪の都会の街から転居してきたAさん。

当時、氏神さんの秋祭りに獅子舞が奉納される形態にも驚かれた。

さらに、伝えてくれたコメントに、驚いた。

「こちらの亥の子餅は、お餅とか無くて、子供達が灯籠の天辺みたいな石に紐を結んで家々を回り、庭で餅つきのように石で土をつく感じです。歌を歌いながらやりますが、内容はよく聞き取れないのでわからないです。半紙にお金を包んで渡してあげるのですが、子供達の良いお小遣いになるようです」とあった。

所作は、これまで見たこともない特有の形態に、腰を抜かすほどの衝撃を受けた。
紛れもないイノコ行事であるが、これまで私が取材してきた地域のすべてが、新米藁で作った藁ヅトで地面を叩く作法であった。

Aさんが住む地域は、藁ヅトでなく、イノコの石である。

灯籠のてっぺんにある形といえば、おそらくイノコの石の形は、宝珠であろう。

その2年後の令和元年11月13日にも知らせてくれた三重県名張市・安部田のイノコノモチ。

このときの知らせは、家の庭に現れた子供たちをとらえた動画である。

時間帯は、夜。

真っ暗な景色に揺れ動く人の陰。

槌を打つ音は、聞こえないが、その動きのある映像を見てわかった。

紐で括った石をもって地面を突く石槌搗きであろう。

動画に子どもたちが発する囃し詞がある。

民俗でいえば、詞章であるが、それは「いのこもちついて きのうもろう おおうめ こうめ ひげのはえたおやじ こっからかんのいおたれ もひとついわのどっさこ もひとついわのどっさこ こっからかんのいおたれ」のように聞こえる。

子供たちの発声がわかりにくく、おそらく正解ではないと思うが・・。

是非とも来年のイノコモチは拝見したく、よろしくお願いしますと伝えていた。

その動画から調べた三重県のネット情報に、近似するイノコ行事の情報が見つかった。

三重県鈴鹿市・亀山市に跨る野登山(のぼりやま)山頂にある野登寺(やとうじ)山麓下

亀山市安坂山町坂本にイノコさん(※イノコ祭り)があるようだ。

ご神体の石に巻き付け、子どもたちが引っ張る手綱は、皮を剥いで水に晒して柔らかくした藤蔓(ふじつる)。

暗くなってから出かける集落の祝事の家へ廻っていく。

祝いは婚礼、新築、出産、病気全快、表彰などなど。

祝いのイノコモチ詞章は「イノコさん イノコさん イノコ餅 搗こか この家のモチはどんなモチになるか このモチは〇〇さんのキンタマ(※ドッシンと土を打つ)」。

亀山市両備町の野登地区(旧野登村)の事例である。

野登地区まちづくり協議会がアップしている映像では地面を藁ヅトで叩く所作。

前述した地区とどれほどの距離があるのかわからないが、石槌打ちでなく藁ヅトの2例である。

亀山市は、この他に石打ちの羽若(はわか)町事例もある。

記事によれば、旧暦の10月15日。

辺法寺地区の事例も紹介している。

あるデイサービス施設がアップしていたブログ記事によれば、実施日は旧暦の10月の十五夜。

時間帯は午後5時半である。

「地区の子どもたち(小学生、中学生)が、“新藁 亥の子で 祝おかな~~~♪」と囃し、集落を巡る。所作の詞章は” 亥~の子 亥の子 亥の子の晩に 重~箱 拾て あ~けてみれば ほかほか まんじゅが はいっとった ひとつ ふたつ みっつ よっつ いつつ むっつ ななつ やっつ ここのつ とお もひとつおまけにどっこいしょ“」である。

当地もまた、”重箱“に”饅頭“詞章がある。

大阪・南河内郡の南加納や奈良県・天理市楢町に遺っていた詞章と同じであったとは、驚くべき事項である。

三重県北牟婁郡紀北町(旧赤羽村)にもイノコ行事があった。

三重県が大正時代から昭和10年代にかけて、当時の尋常高等小学校(国民学校)を単位に作成された『郷土教育資料』史に、「亥の子行事では、ボタ餅を作って神に供え、男の子は朝からイノコ槌(※建築の石槌打ちに使った槌を小さく切ったもの)に菊を挿し、その周りに何本かの縄を付けたものをこしらえ、これで地面を突き、亥の子歌を歌いながら各家を回り、その後でボタ餅をもらった。」と、いう記事があるようだ。

三重県事例のイノコは石槌打ち作法だけでなく、藁ズトを用いて祝う地域もある。

三重県四日市市富田地区の亥の子は、藁ズトを用いる地面打ち。

同じく四日市市の高角町も藁ズトである。

ブログに紹介している詞章は「亥の子の餅は ついても ついてもおれません もうひとつ ついたらようおれた…」のようだ。

また、四日市市の曽井町でも藁ズトであるが、子どもたちの先頭に藁縄で飾った上に花を飾る花車もあるから驚きである。詞章は「いのこのもちは ついても ついても おれません もひとつついたら おれすぎた おまけにこまけに どっこいしょ」だった。

ウィキペディアによれば、四日市市の神前地区も藁ヅト。

詞章は曽井町とまったく同じの「そーれ、そーれ、そーれ 亥の子の餅は ついても ついても 折れません もうひとつ ついたら折れすぎた おまけに こまけに どっこいしょ」だった。

また、前述した南河内郡南加納に寄り近い大阪・堺市南区上神谷(こうちだに)のイノコ事例もまた藁ズト(※藁製のいのこ槌)であるが、興味深いのは、詞章である。

「い~のこ~の晩に 重箱拾て~ な~か開けて見~れば 今~年の新米はいたっ~た そ~れもう一つつ~いて 帰りましょ」。まさに南加納とほぼほぼの同文事例である。

詞章はともかく、先の事例のように同地区内に藁ヅトと石槌打ちの二つの作法が混在しているのはどういう具合でそうなったのだろうか。

ちなみに、両作法とも紹介している卒業論文抄に纏められた『亥の子行事について~主として丹波地方の場合~(※昭和53年太田氏執筆時)』が、とても参考になる。

なお、抄文では藁イノコ、石イノコに区別するが、地域別区分はできない、とある。

(R1.11.14 記)
※ 映像はイメージ
  <H22.11.22 SB982SH撮影 大阪・南河内郡のゐのこより>


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