鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

天蚕(シルク)と真珠(パール)

2012-04-25 22:46:50 | Weblog
くもりがち。夕方小雨。


昨日、一昨日と、何の脈絡もなく、蚕(かいこ)の話になってしまった。

私の住んでいる地域は、過去に、養蚕が盛んだったようで、あるブランド?紬の産地の一帯でもある。
大店(おおだな)の若旦那さんの着流しに、御羽織。
一反、お高い物だとン百万の値段がつく・・・ということなのだけれど、真偽は知らない。

この紬のモトは、絹で、絹のモトは、蚕(或いは、天蚕・・・ヤママユ)が、蛹化するときに籠る繭であるということは、まあ、この辺では、社会科のお勉強のウチである。
昔は(昭和の後半だけれど)、桑畑も多うございました(・・・何故ここで、語尾が変わるのかは、不問に付してください)。

ヤママユ蛾の蛹を燻蒸して殺虫してから、糸を紡ぐのだけれど、糸紡ぎの映像は、あの女工哀史というか・・・『ああ野麦峠』という映画にもあった。
女工さんも地獄だけれど、気の毒なヤママユの蛹は、御陀仏。
別に、絹糸を取られるために生まれてきたわけでもなかろうと思うのだけれど。

ほっときゃ、蛾に羽化して、飛んで行ってしまうのだから、そのままにしておいてもよさそうなもんだが、私は、蛾が、大の苦手で、1匹だけでも悲鳴を上げるのに、集団で、羽化された日には、たぶん、気が変になる・・・だろうと思うし、恐ろしくて、外出もできない・・・。

養殖ではない天蚕は、淡い黄緑色をしている。
光沢が美しい絹となるのだけれど・・・モトは、『蛾』である・・・あまり考えたくないが・・・。

同じように、生きた母貝に、核を埋め込んで、痛がる貝が、自分の身を守るために、貝自身が、異物を包んで、作るのが真珠。
人間でいえば、胆石だとか、結石なんかを想像すると近いかも(・・・いや、全く遠いか・・・)???なんか、ホント・・・痛そうだよね~~~。
でもって、1年経つと、真珠として、取りだされて、美しい柔らかな光を放つ宝石となる。

絹も真珠も、その光沢が命だし、月の光のように淡くて、柔らかい美しさに包まれている。
・・・それは、当然・・・命の美しさなのだ。
蛾と貝が、その命尽きる前に、ひとに殺されて、取りだされるものだから、美しくないはずがない。

・・・あの美しい輝きは、羽根を広げると目を覆いたくなるような蛾と、ゴツゴツした外皮にぬらぬらした陰性の粘液が、大本だとは、たぶん、誰も信じたくない。