完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

さらにエラソウになっちゃった?     ~落語ディーパ「死神」を聴いて~

2020年09月13日 | 落語



私は初老男である。







やはり、人間には「波」があるようだ。






今の私には「落語の波」がきている。








気が付くとまた、落語ディーパを見ている。








特別編としての「死神」







演じるは柳家わさび。







一之輔が、この「死神」を演じるには彼がピッタリと言っていたが・・・・。







ちょっと何を言っているのかわからない。








落語は「面白おかしい」ものである。







それは間違いはない。






しかし、逆に「良くわからない噺」も少なくない。







「死神」も笑えるタイプの噺とは思えない。







故に「むずかしい噺」とも言える。








実は今「死神」は、私が初めて買った落語カセットである。








演じたのは三遊亭圓生。








高校生くらいの時だった。








落語の醍醐味でもあるのだが・・・・。








その噺を最初に聞いたのが「いつ・どこの・だれが演じたモノであるか」が非常に大事になる。








なぜなら、それを基準として同じ噺を聴くことになるからだ。








高校生の時に聞いた圓生の「死神」は、それほど「おもしろい」とは思わなかった。








しかし、おもしろいとあまり思わないのに「ひきつける力」は半端なかった。









そうした意味において、柳家わさびには酷だったかもしれない。









当たり前であるが、古典落語の世界は江戸時代から明治あたりが舞台になる。








当然、時が経てば経つほどその当時のことは「想像」になる。







演じる方も聴く方も。








その想像による解釈に、私のような初老男はついつい違和感を感じる時がある。






それが「落語」であるって思えればいいのだけれど。








その違和感さえ、力尽くで抑え込んでくれるような落語を聞かせてもらえないと・・・・許せないなぁ。









話が飛んでしまって申し訳ないが「寄席芸人伝」(古谷満敏著)という古いマンガがある。









その中に「八人芸」という芸があったことが書かれている。







マンガの中で「つまらない芸」と称されているのだが、私は見たことがない。







柳家わさびの「死神」は、その見たことのない「八人芸」に見えた。








そんな八人芸もどきをやらなくても、噺のおもしろさを伝えることはできるはずだ。








それができるようにならねば真打の名が泣くというモノだ。







彼はまだ若い。昨年真打になったばかりだ。








本人が言っていたように、この噺は「笑い」を求めるものでは無く「人間の生き死に」を際立たせることが噺の主であろう。







彼の今の若さで演じた「死神」は、やはりまだまだ「完成された」とは思えない。








20年後の彼の「死神」を楽しみにしよう。







今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、落語家がいかに成長していくかを目の当たりにしますように。










                May








「死神」のハイライトは、ラストであろう。最後の「倒れ方」にある。それまでの流れの中がどうであるかも当然大切なのだが・・・・。彼の倒れ方は、やはりちょっと勢いがありすぎるんじゃないかなぁ。








コメント
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