完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

この歳になっても。。。    ~たぶん「父源病」~

2018年08月20日 | 家族・肉親



私は初老男である。





初老男と名乗っているが、私は現在57歳である。






これを「初老」と名乗ってい良いのかどうかは微妙なところであろう。






しかし、この歳になっても。。。。。








         「家にいるのが辛い」







読み間違った人がいるのではないだろうか。






            「辛い(つらい)」




                     のである





            「幸い(さいわい)」




                        ではない。







農家の次男として、生まれて57年間。







思えば少しも、家にいて「心から安らんだ」ということが無い。







今日も今日とて、日曜日だというのに9時には家を出た。









大した用事があるわけではない。









家に居たくないだけだ。







       「何時からこうなったか」








たぶん「気が付いたら」である。








気が付いたころには、休みの日には父親の私を呼ぶ声に舌打ちをするようになった。










「百姓仕事」を手伝わされるからだ。








昭和40年代のことだから、やっと農作業のすべてが機械化されたことだ。










しかし、それは人間の手を必要としなくなることを意味していなかった。







「家にいる」ということは「百姓仕事を手伝わされる」ということを、深層心理に刷り込まれたのだ。







私が農業をリタイアして3年。







農作業は無くなった。








86歳になる親父が、私を呼びつけることも・・・・・。たまにあるが。






もちろん、百姓仕事をさせられるわけではない。







しかし、50年以上にわたって刷り込まれた「嫌悪感」は、親父という存在そのものに転嫁されて未だに私を怯えさせる。






それも「怒り」を伴った「嫌悪感」だ。







近親憎悪というモノは、とても厄介だ。







今「夫源病」なるモノが話題を呼んでいるが。






そうした意味で、私は間違いなく「父源病」だ。





そして、それは「家源病」につながっている。






親父はいつかは亡くなるだろう。






しかし、私の意識の中での「父現病」と「家源病」は、そう簡単に治らないだろう。






もしかすると・・・・。






一生治らないかもしれない。。。。。。







今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、根の深い厄介な病気になりませんように。






           May





彼のことを「尊敬できないが、軽蔑はしない」思っていたのだが、今は「充分」軽蔑している。









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