私は初老男である。
初老男と名乗っているが、私は現在57歳である。
これを「初老」と名乗ってい良いのかどうかは微妙なところであろう。
しかし、この歳になっても。。。。。
「家にいるのが辛い」
読み間違った人がいるのではないだろうか。
「辛い(つらい)」
のである
「幸い(さいわい)」
ではない。
農家の次男として、生まれて57年間。
思えば少しも、家にいて「心から安らんだ」ということが無い。
今日も今日とて、日曜日だというのに9時には家を出た。
大した用事があるわけではない。
家に居たくないだけだ。
「何時からこうなったか」
たぶん「気が付いたら」である。
気が付いたころには、休みの日には父親の私を呼ぶ声に舌打ちをするようになった。
「百姓仕事」を手伝わされるからだ。
昭和40年代のことだから、やっと農作業のすべてが機械化されたことだ。
しかし、それは人間の手を必要としなくなることを意味していなかった。
「家にいる」ということは「百姓仕事を手伝わされる」ということを、深層心理に刷り込まれたのだ。
私が農業をリタイアして3年。
農作業は無くなった。
86歳になる親父が、私を呼びつけることも・・・・・。たまにあるが。
もちろん、百姓仕事をさせられるわけではない。
しかし、50年以上にわたって刷り込まれた「嫌悪感」は、親父という存在そのものに転嫁されて未だに私を怯えさせる。
それも「怒り」を伴った「嫌悪感」だ。
近親憎悪というモノは、とても厄介だ。
今「夫源病」なるモノが話題を呼んでいるが。
そうした意味で、私は間違いなく「父源病」だ。
そして、それは「家源病」につながっている。
親父はいつかは亡くなるだろう。
しかし、私の意識の中での「父現病」と「家源病」は、そう簡単に治らないだろう。
もしかすると・・・・。
一生治らないかもしれない。。。。。。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、根の深い厄介な病気になりませんように。
May
彼のことを「尊敬できないが、軽蔑はしない」思っていたのだが、今は「充分」軽蔑している。
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