完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

ふと気が付けば・・・。     ~52歳の真実~

2013年02月23日 | Weblog
私は初老男である。

さて、気が付くとUpが2週間以上も空いてしまった。

まあ、単純に「サボった」ということ。


間が空いたが、ツッコみたいネタはいっぱいあったね。

まあ、本当にツッコみたいことがあったらUpしていたと思うけど。


と言うことで、ツッコみようのないまったくのプライベートのことをUpしようと思う。


人間と言うものはいい加減なもので、自分の歳がいくつであるか私のような歳になるとはっきりしなくなる。


50代に入ったことは覚えているが、はて、1だったか2だったか、はたまた4だったような気もするし・・・。

確かめてみるとこの1月で52歳となった。

初老男まっしぐらである。


もっとも、52歳は「初老ではない!」と力説する貴兄も多いのではないだろうか。

あくまでも私の感覚として52歳は「初老」なのである。


皆さんは、年齢について感慨の深い区切りの歳は無いだろうか。


私は意味なく「24」と言う歳に、まず感慨を覚えた。


23歳は「青年」って感じ?

対して24歳は「成年」って感じかな。


自分が24歳になったとき「甘えは許されない」って気になった。


それから「40」

これは、正確には「40代」というあいまいなとらえ方である。

40代に入ったとき、娘が小学校に入学し様々な儀式を経る中で、これからはこうした儀式いが頻繁に押し寄せてくることを思えば、それまでのような「気楽さ」では生活できないという感覚を持った。


そして、今現在の「52」という歳。


私は父方の祖父を知らない。

私が生まれる2年前に亡くなっているからだ。

癌で亡くなったと聞く。


それが「52」の歳だった。


そんなことに意味は無いのであろうが、やはり身内にそうしたことが起こった人は多分に「イヤな感じ」を抱くのではないだろうか。

現実の話をすれば、祖父の子どもたち(親父や叔父さん・叔母さん)は、52どころか皆60を越え、我が親父に至っては80を迎えてもカクシャクとして、息子に憎まれ口を利いている。


しかし、私のような「ネガティブ思考」の人間には、周りが「お前が一番爺ちゃんに似ている」などと言われるたり、血筋と言うものは「隔世遺伝」するものだなどと言われことで、そんな不安の塊を呑み込んでしまう。

実際、毎年受けている人減ドックの検査結果は着実の「衰え」を示し、保健師からはきつく生活改善を言われている。

おかしなもので、そのことがある反面、人生の後半に懸ってきていかに初老から完全な「老境」に突入するかを思案し続けている。それは少なくとも年金生活をどう生きるかなんていうくらいの先のことだ。


自分の周りの人たちが、次々と鬼籍に入っていくのを目の当たりにすると、自分のこれからの生き方を考えずにはいられない。

実際、人間は困ったことに「簡単に死なない」し「簡単に死んでしまう」ものなのだ。


まあ、そんな死までの時間の中でほんの少しの自己顕示欲の表れが、このブログであることは間違いない。


不安と試練。苦労と努力。深い思慮と実行。そんなものの積み重ねの中で、初老男の人生は続いていく・・・。


・・・そんなに大袈裟なもんじゃねぇよ!

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、気になる年齢など「鼻で笑って」やりますように。



         May


初老に万歳。



コメント
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